男らしさ・考 vol.31~40

マンガの世界では、それまであった少年マンガ、少女マンガ、という、それはそれで幸福でもあった棲み分けが、おおむね80年前後になしくずしに崩壊している。いわゆる「ラブコメ」の浸透、「恋愛」というモティーフの内在化がひとつ大きなきっかけになった。それは昭和初期から約半世紀、敗戦をはさんで生き続けてきた「家庭」を前提とした「女子供」という枠組みが内側から破れてゆく過程、別の言い方をすれば、「おとな」によって庇護されるべき存在としての子供、という自明の前提が成り立たなくなってきたことと関わっていた。

 初期の少女マンガは、男の作家が描いていたことはすでに知られている。藤子不二雄、赤塚不二男、松本零士ちばてつや……後の大家の多くは若い頃、少女マンガも手がけていた。だが、60年代半ば頃、実際に女性の描き手が登場するようになると、わずか数年で彼らは駆逐されてゆく。「おとな」という立ち位置から子供=将来のおとな、に向かってものを描く、という自意識で創作に臨んでいた彼らマンガ家たちは、しかしその「将来のおとな」の中にも立派に性差が、もう少し正確に言えば、生物的な性差に基づく内面のありようの違いが平然とはらまれていることに、否応なしに気づかされた。もちろん読者もまた。市場はそれくらい正直だった。

それまで自明だった男の子、女の子、という区別は一律に「子供」という枠組みに規定されていたし、少年マンガ、少女マンガ、の棲み分けもそこに依拠していた。けれども、そこに内面に関わる性差を発見した時から、いずれその棲み分けは解消されるべき運命だった。

同時に、それまでは、子供のために、という使命感でマンガを描き続けていたマンガ家たちの中にも別のモティベーションを宿り始める。 「自分のために」マンガを描くこと。それによって作品性が高まり、文学との親近性も見られるようになった、などと言われるけれども、いずれそのような変化は、女性のマンガ家によってあっけらかんと導入されてきたことは、改めて指摘しておいていいことだろう。



正直言って、男の子にとって少女マンガを読む、というのは、かなり微妙な体験だった。少なくとも、今の三十代後半くらいまで、1980年前後の少年マンガと少女マンガの間の垣根の事実上の崩壊を、リアルタイムのティーンエイジャーとして体験した世代までは。

「ラブコメ」に象徴されるような、学校空間をベースにしたある種の「恋愛」の〈リアル〉を、1970年代の少女マンガのある部分は、それまでと違う形式に盛りつけようとしていた。当時の男の子たちの一部も、そのことを何か直感的に感じ取るようになっていた。実際には、女兄弟がいて、彼女たちの読んでいたものを垣間見て、といった経緯が比較的多かったと思うが、それ以外にも、わざわざ自ら少女マンガを求めて読んでしまう層というのも確実に登場するようになっていた。書店で、恥ずかしさとうしろめたさのないまぜになった、何とも居心地の悪い抵抗感と共に、少女マンガ雑誌や単行本をそっとレジに持ってゆく体験。そこにはある意味、エロ本を買うのと通底するようなある種の禁忌が、確かに働いていた。

ならばその逆に、女の子にとって少年マンガを読むことは、さて、どうだったろう。推測なのだが、そのような微妙な体験と感じられる度合いはおそらく薄かったのではないか。たとえば、1980年代、「友情」「努力」「勝利」を掲げ、五百万部態勢を現実のものにした全盛期の『少年ジャンプ』を、男兄弟や教室の男の子たち経由で平然と読み、『キャプテン翼』から『Dr.スランプ』、『ドラゴンボール』や『北斗の拳』などを彼らと一緒になって楽しむ女の子というのも出現していた。あるいは、男兄弟とのケンカを平然と対等にできる女の子の出現。最初はおそらく野球から、後にプロレスごっこなども経由しつつ、それまでの、女の子、という自明から解放され始めた彼女たちの中に、男の子へと平行移動する動きが現れていた。少女マンガをそっと読む男の子と全く同等に、そのようにフィジカルな自分、マッチョなワタシに気づいてしまう女の子たちもまた、現れ始めていたのが、わがニッポンの戦後のもたらした「豊かさ」だった



最近、結婚できない三十代、が問題になっている。経済的支援が必要だ、いや、出産後も女性が職場復帰できる環境の整備を、とまあ、議論はあれこれかまびすしい。少子高齢化社会対策、という意味もあるのか、果ては、政府主催のお見合いを、という案までも。

だが、若い衆が結婚しない、できないその理由として、たとえば当の三十代男性の間に、女嫌い、が静かに広まっていることについては、まだちゃんと認識されていない。

海外で言われるウーマンヘイティング、とは違う。積極的に憎む、嫌うというよりも、むしろ敬遠する、一歩引いて眺める、という方が近い。もちろん、女性はかつてのオヤジのように単に身のまわりの世話を押しつける対象でもなくなっているし、と言って、こちらから庇護する対象とも思いにくい。ましてや、未だに専業主婦の座を虎視眈々と狙う女性の、ある意味昔ながらの女の視線はうとましい。第一、結婚したところで家事や育児も分担制、最後は年金までも半分とられるようになるらしいし、そんなこんなで最終的にリスクを負わされるのは今や男の方じゃないか――そんな気分が確実に蔓延している。

同時に、働く女性の中には「嫁さんが欲しい」と言う声も少なくない。つまり、仕事で疲れて帰ってきた時に家でメシを作って待っていてくれる人がいたらいいのに、という意味で、何のことはない、女性が立派に社会進出することで、彼女たちもまた、かつてのオヤジと同じ立ち位置に置かれるようになったという次第。「旦那はいらないけど子供は欲しい」というのも同じこと。異性を敬遠する気分は今やお互いさま、らしいのだ。

DVと呼ばれる夫婦間の家庭内暴力にしても、男の理不尽な暴力、という型通りと共に、女の側からの暴力もかなり増えている。性的存在としての自分、をうまく落ち着かせる術が見失われたまま、社会的な自分、仕事を介して自立するワタシ、だけで何とか生きてゆこうとするゆえの難儀。「ラブコメ」で恋愛の手ほどきをされた世代の、しかしその後「家庭」という日常へ着地してゆく経路がうまく示されないままだったツケは今、こんな形でまわってきているらしい。




性的であることがうとましい、という感覚。人間である以上、性的存在でもあるのは避けがたい必然なのに、その部分をうまく認識しにくいままの不自由。そこらへん、われらニッポン人はどうやら苦手らしい。それが伝統的なものか、文化的なものか、などはともかくとして。

しかし、一方でヌード写真はおろか、AVその他まで手軽に氾濫し、浮気も不倫も珍しくなくなっているそんな現在のまっただ中で、かえって性的であることがうとましく思えるようになるのは、はて、なぜだろう。性的な刺激がありすぎて鈍感になるから? いやいや、そんな説明では乱暴すぎる。刺激が生身の関係抜きで単体として消費され得るようになった分、性的な領域が生身の身体、等身大の関係性から離れたところに幽閉されるようになっている。「恋愛」と性愛の分裂。もっとひらたく言えば、ココロの領分とカラダの領域の、意図せざる分割統治の完成。一見、性的に奔放になったかにも見える現在は、しかし糸の切れた凧のような「自由」、確たるものさしのない存在への不安もはらんでいる。

もともと西欧人のように、性的な快楽が宗教的な禁忌との関係で規定されているわけでもない。西欧の日本研究者なども、日本文化に性的モラルの縛りが薄いことは以前から指摘している。倫理、あるいは道徳と関わりの薄くなったところに存在できるようになった性的な快楽は、それ自体純粋商品と化してゆきやすい。挿入を要件としない「抜き」系風俗ジャンルの近年の発達は、法的規制による側面と共に、そのような性的な快楽自体が、人と人との具体的な関係性を抜きに勝手に成り立ちうるようになった現実の、ひとつの表現でもある。

三十歳を超えて独身で、なおかつ女性にあまり興味もない、という男に対して、ああ、だったら男に興味があるのか、といった疑惑が向けられることも未だに少なくない。ある種立派なセクハラである。女であれ男であれ、性的であること自体がうとましい、という感覚に対して、男女を問わず今、静かに向かい合う必要があるのだと思う。



たとえば、「巨乳」というもの言いがある。大きいおっぱいについての評言。最近は逆に「貧乳」などという言い方も。いずれにせよ女性の胸についてのもの。だが、乳房がそこまで性的なものとして意識されるようになったのは、実はそんなに古いことではない。

和服が当たり前だった頃は、胸の大きいのは不細工とされた。さらしを巻いて「巨乳」を平たくつぶしてまで和服に似合うように変形させた。街なかで平然と乳房をさらして授乳する母親の姿も珍しくなかったし、何よりそれを性的なものとして見ることもなかった。そう、おっぱいは性的な対象ではなかったのだ、かつては。

芸能人、女性タレントの水着姿がグラビアで盛んに紹介されるようになったのは、七〇年代に入った頃から。紹介文にBWHのスリーサイズが添えられるようになるのもそれ以降。いや、それ以前に、まず女性がブラジャーを当たり前につけるようになった戦後があった。それは普段着としての洋服が普及してゆく過程であり、身体とは立体であることに日常の身だしなみから誰もが気づかされてゆく経緯でもあった。女性が身体の線がはっきり出る洋服を着て街を歩くようになり、胸も腰もそれまでと違った意味を付与されてゆく。

戦争末期、特攻隊の慰問に訪れたもんぺ姿の女子学生と特攻隊員の記念写真の中には、後ろから女子学生を抱きかかえるようにした隊員の手が何気なく胸に当てられているショットがある。今なら問題になるようなポーズだが、しかし、写真を見る限りそこには互いに何の屈託も感じられない。庇護する兄と守られる妹、という雛型が当時の意識として前提になっていたにせよ、この違いは大きい。

和服が当たり前の頃、性的なものとして見られるのはむしろ、うなじやふくらはぎ、だった。それが戦後、洋服の普及と共に胸や腰、尻、などへ移行してゆく。ハラスメントの対象も、その文脈もまた、そのように歴史が反映している。



女性の男らしさ、と言うと妙な顔をされる。オンナの皮をかぶったオヤジ、と揶揄すれば直ちに集中砲火を食らう。けれども、言い方はともかく、そう表現したくなるような女の人が近年、あたりまえに増えている。同時に、そういう女の人のはらむ力強さ、頼もしさ、みたいなものもまた、知らず知らずのうちにニッポンの現在として、受け容れられるようになっている。そう感じる。

「男らしさ」と言ってしまうと性差にだけ眼がゆく。社会的な人間、世の中をひとり歩きしてゆく存在としての個人、もっとくだけて言えば「一人前」の意味だ、と説明すれば、少しはわかってもらいやすい。信頼できる大人、としての女の人の雛型。ちゃんとした人、の輪郭。

かつて、社会的になることは男に限られていた。それを普通に「大人」と呼んだ。女子供は「家庭」の中で庇護されて、外で働くなどはもってのほか。もちろん、諸般の事情で働かざるを得ない女子供は常にいたけれども、規範として例外で、ましてそれが生涯続くなどは原則想定外。何より、男のタテマエとしてそれは「恥」だった。女の「大人」とはまず「母親」であり、良妻賢母、がその最も端的な表現。それ以外の雛型は考慮されなかった。

だが、戦後とは、女性が社会化してゆく過程でもあった。『青い山脈』の青春から始まり、女子大生亡国論、が唱えられ、そして偏差値教育へと移行する中で、学校というものさしにおける女性の優位が確定してゆく。良妻賢母、はすでに古くさいものとして背景に退いていた。

そして、男女雇用機会均等法以降、一般企業でも総合職として採用される女性が増え、「働く女性」のイメージはそれまでになく、一気に普遍化された。だがその後、当初の期待通りに会社にとどまったのはごく一部。多くはリタイアし、派遣社員という形で自分の暮らしを守りながら働く形に落ち着いている。男に伍して会社社会で正直に立身出世をめざす女性は、案外少なかった。それほどまでに、それまでの「大人」の雛型は彼女たちにとってなじめないものだった。それは同時にまた、彼女たち自身の手で新しい「大人」の雛型を作り出さねばならないことでもあった。




女性が社会的になると、当然性的でもあるようになる。「家庭」を離れてなお性的であり得るような女性に、しかしオヤジ=これまでの「大人」、の側はまだ慣れていない。

何より、彼らオヤジは自分が性的であることなど、これまで改めて省みる必要はなかった。社会的な存在であり、「大人」とされる男であることは、自動的に性的なものとみなされていた。そんな自分との関係でのみ初めて女は性的になり得る、という幸せな思い込み。だから、社会化した女が自ら性的であることを示し始めるなどは、まさに想定外。つきあい方がわからない。最近、新聞やテレビを賑わす悲喜こもごものセクハラ沙汰も、それらオヤジの側の無理解や不作法というだけでもなく、社会的に、性的になってゆく女性の側に煽られて反応してしまっている自分自身の性的領域に、期せずして翻弄、復讐されているところもあるように思う。

かつての少年小説から、戦後の少年マンガまで通底していた「友情」「努力」「勝利」の徳目もまた、女性の側に平等に投影されてくる。大人の女性同士の友情。普通、恋愛など性的存在の位相がからむと成り立ちにくい友情も、一人前として社会に働く女性同士ならばそうでもない。今世紀に入るあたりからこっち、ドラマや映画、流行歌なども含めて、そのようなモティーフを反映したものが目立って増えてきている。

もとはティーン向け小説で映画化されて評判になった『下妻物語』などは、その典型だった。土屋アンナのヤンキーと深田恭子のロリータ、という一七歳の主人公ふたりの組み合わせは、かつての青春ものにおける硬派と軟派の現在形である。「女は人前で涙を見せちゃいけねえんだよな」というせりふまでもが、パロディでなく本気に響くのがいまどき。あるいは、同じくもとは少女マンガで映画で支持を広げた『ナナ』なども。「恋愛」は確かに介在するけれども、しかし女同士の友情を凌駕しない。男たちがギャグやパロディ以上の描かれ方、演じられ方を求められなくなっているのも、これらいまどきのオンナのための“おはなし”の特徴かも知れない。




スポーツ、と言い、アスリート、と呼ぶ。よろずカタカナ書きに変換するのが普通の昨今のこと、かつては 運動、であり、運動選手、体育会系、であったことはもう忘れられているかも知れない。だが、今も昔も、誰にもそのように身体を動かす能力が備わっていたわけではない。自由自在に、思い通りに自分の身体を動かすことができるのは限られた者だった、男も女も。

フィジカルな筋肉美、というのは男の場合、ホモセクシュアルの方向に解釈されたりする。だが、美醜を別にしても、筋肉の存在を認識してきた来歴にも立派に歴史は介在する。事実、マッチョ、というのは日本語に置き換えにくい、横文字のもの言いのひとつだろう。発達した筋肉がついた身体から発散され、解釈されてゆく“何ものか”。それは力強さであり、確かさであり、頼もしさであり、そのような身体を持つ人格の属性にも繰り込まれてゆく。そして、それらの上にある種の美意識もまた、当然のようにからんでくるからこそ、ややこしい。

同時に、女のマッチョ、というのもある。胸や尻、くびれた腰、ありがちな「女らしさ」のスタイルの良さ、単なる造形だけでもない。確かに力を宿した、質量を伴った身体の気配。そしてもちろん、それらの身体を備えた人格としても、また。

かつて東京オリンピックで優勝した女子バレーボール、当時「東洋の魔女」と呼ばれたあのメンバーも、しかし大松監督というオヤジの視線の下で初めてチームたり得ていた。そのように見られていた。個々の選手の身体は、今残されている映像を見ても健気なほどに素朴で、頼りなげだ。逆に今、バレー選手に限らず、スケートの荒川静香やゴルフの宮里藍レスリングの浜口京子……などなど、一線級で活躍する女性アスリートたちのたたずまいのはらむ力強さは、以前にはあまりなかったもののように思える。敢えて言葉にしようとすれば、そう、筋肉とそれに見合った内面が、かつてに比べればずっと無理なくバランスするようになった、そんな印象なのだ。




かつて、女性に対する「男まさり」という評言は、決してほめ言葉ではなかった。気性がきつい、我が強い、男をないがしろにする、ダメにする。ものをよく言い、何かというと出しゃばって、タテマエとして男の専管事項の社会的領域に首を突っ込む。けれども、それは裏返せば頼もしさ、頼りがいある個人ということでもあった。女である、という一点を別にすれば。

「きゃん」というのもあった。女性に適用すれば「おきゃん」。粋で勇み肌な個性を表すもの言いだったらしい。ある時期、江戸は深川あたりの芸者はそれを売りにした、とも。木場の職人衆のセクシュアリティに見合った「女らしさ」の雛型、だったのかも知れない。文献では、これを「侠」と表記して、男女を問わない。とすれば、ほうら、確かな人格、信頼できる個性に性差ってのは、実は昔っからあまり関係なかったりもするのだ、案の定。

男装の麗人、という型通りもあった。かの「東洋のマタ・ハリ川島芳子あたりから盛んに言われるようになったもの言いだが、あれも元は昭和初年、村松梢風の手による読みものからで、それが水谷八重子入江たか子その他の演じる舞台や映画に移し換えられることで、国民規模にイメージが拡散していった、というあたりは、あの無法松などともよく似ている。いわゆるタカラヅカの形成とも同時代。セクシュアリティの変貌を受容する新しい都市住民たちから発する気分がそれらを支えた。「男装」が肝心で、断髪、ショートカットでなおかつ洋服、というのがツボだったらしい。なおかつ、一人称が「僕」。それらのキャラクターに喚起される嗜好は戦後、手塚治虫リボンの騎士』のサファイアから、池田理代子『ベルサイユのバラ』のオスカル、などを経由しながら、また違う水準では戦後の女剣劇から女子プロレスなどにも水脈を分かち与えつつ、われらニッポン人の精神史に未だ正面から語られて得ぬある領域、を占めている。

 ちなみに、梢風の孫、村松友視もこの「男装の麗人」について書いている。「複雑怪奇」と評された「女」川島芳子に彼もまた、振り回されているのが微笑ましい。




だが、「男まさり」は古くからあった。とりわけ、ある種カリスマ的な吸引力を備えた女性にそのような性格が宿ることは珍しくなかった。性格だけでなく男装を伴う場合も、また。

九州ならば玄洋社、本紙とその読者諸兄姉には釈迦に説法、何をいまさら、だろうが、その創設当時の伝説的人物「人参畑の婆さん」高場乱もまた、そのような「男装」の女傑だった。幼少より男として育てられたと言われ、自身は眼科医に。そのかたわら興志塾を経営し、頭山満以下、後の玄洋社に連なる豪傑たちを育てることになったその経緯については、すでにこれまで何冊もの書籍、研究の蓄積があるけれども、ひとまず民俗学者として関心があるのは、その「男まさり」のキャラクターとイメージの来歴、具体的には当時、幕末から明治にかけて急激に勃興していた九州界隈出自のマッチョイズムと密接にからんでいたはずの、その語られざる水脈について、なのだ。

たとえば、火野葦平『花と龍』にも、同じく断髪異装の女傑「どてら婆さん」が登場する。猪首の短躯でどてらを羽織った、若松港の仲仕を仕切る一方の雄。あるいは、同じく明治期に勇名を馳せた博多見番の馬賊芸者たちも思い起こされる。折からの戦争景気、上げ潮の近代に跋扈する炭坑成金など遊客のふところから、有無を言わせず財布をぶんどって使い放題に使い、と言って県知事その他の役人などには、あたしらはケチな勤め人のふところなんぞ狙わん、とタンカを切る気風のよさ。心意気で世渡りしてみせ、時に意地の張り合いもする、そんなまさに「侠」が活きていた。

女のマッチョ、いや、ここはもう少しふさわしく言えば、タフ、ということか。タフ――これもまた、日本語においそれと置き換えにくい横文字の単語だが、そのように男も女もある方向に確かなものになってゆかざるを得なかった、それこそが「近代」に身ひとつで対峙せざるを得なかった九州、ニッポン近代史上での九州という風土の宿命だったりするのだと改めて思う。