交流重賞なんかやめちまえ

「もうこうなったら、遠くの親戚より近くの他人やからなあ」

朝晩さすがに少しは涼しくなった、とある開催日、検量室の片隅で、ひとりの調教師がこう言って苦笑いしました。応えて別のひとりが曰く。

「ほんまやほんまや。なんやかんや言うても、いざわが身に難儀がふりかかってこんと誰も親身になってくれんからなあ」

遠くの親戚、というのが農水省やらJRA、地全協などの競馬エスタブリッシュメント方面をさしているのは明らか。どんなに現場が苦しんでいても、何ひとつ有効な手立てを講じてくれないのはもうわかった。ならばよし、あとはもう苦しんでいる同士、貧者の一灯で何とかしようとするしかないじゃないか。

連携計画を、ということは前から言われていました。施設はもとより競走馬馬主も、とにかく競馬をやってゆく上で必要なそういう資源はなるべく共有して経費削減して、近い競馬場同士が手をつなぐように努力してみろ――まあ、おおむねこういう趣旨のことは、農水省以下、まさにその競馬エスタブリッシュメント方面からすでにご託宣があって、でもお前ら言うだけじゃないかよ、というツッコミはともかく、それはとりあえず正論なのですが、しかしお役人競馬の哀しさ、理屈でわかっていてもなかなか腰も上げられず、この期に及んでなお主催者同士の動きが見えず、というのが例によっての実情でした。

とは言え、本当に生き死にがかかれば、さすがに話も少し違ってくる。主催者とて座して死を待つばかりじゃ情けない。馬ならば輸送費がかかるけれども、人ならば、というわけで、とりあえず騎手の交流は以前より活発になり始めています。この夏、高知と福山が騎手交流を二回やって、場外でも馬券を売ってみたら、あの瀕死の高知に少しだけ潤いが戻ってきた。ならば、というわけで、今度は佐賀、荒尾の九州勢にも声かけて、西日本の小さな競馬場四場での騎手交流戦などもやってみています。サラ導入でようやく全国区への足がかりを得たものの、地元ファンはなじみが薄くて売り上げは思ったほど伸びず、さらに反動でアラブ在籍馬の流出に拍車がかかったりで痛し痒しの福山も、このところ金沢だ姫路だと、サラの交流競走に勇躍、参戦してゆくようになって、少なくとも騎手を始めとした現場の関係者はいくらかでも前向きな気持ちになり始めている。

これまで廃止になった競馬場から心ならずも育成牧場などに転身した関係者の中にも、やっぱり競馬がやりたい、ともう一度、ひと勝負しようという動きも出ています。こういうご時世のこと、海外までも大胆に視野に入れる人もいたりして、なるほど、これまでみたいに免許に縛られ、車検のような面接や試験に怯えて、結局は競馬場に守られたまま身動きとれなかった時代と違う、自分の腕と技術に自信さえあれば、もっともっと広くてゆったりとした、それこそ「国際標準」でいう競馬という稼業に眼を開いてゆくこともできるようになっているらしい。それはそれで、ひとまず善哉、と言っておきましょう。仕事の意味、稼業の手ざわり、そしてそれらの上に初めて宿る「自由」の実感を、初めて自分のものにできることは、これまで仕事としてきたニッポン競馬のいびつさ、歪み具合に気づく契機にだってなり得るはずですから。

だから、敢えて言います。もう、やればやるほど赤字になって、売り上げも伸びずファンも喜ばず、ましてや地元の厩舎関係者からして、どうせ軒を貸すだけだから、と初手からしらけてしまっているようなJRAとの交流重賞など、南関東などはともかく、それ以外のまさに今、瀕死の地方競馬場でまでも無理してやることはないんじゃないでしょうか。以前は、それこそ年に一回か二回、武豊やJRAの看板馬がやってきて、お祭り気分で盛り上がって売り上げも上々、年間の赤字の何割かを確実に埋めることができる、そんな時期も確かにありました。けれども、今やあのJBCですらペイできず、ふだんの交流重賞はどんどん魅力のないものになり、GⅠだ何だと言ってもそれだけの重みも誇りも、当の関係者自身が持てない現状では、その意義に根本的な疑問をさしはさまざるを得ません。無理して3000万の賞金を捻出するくらいなら300万でいい、地方馬同士がしのぎを削る場にして、その代わり全国的に売る。それこそかつてのような本当の意味でのオールカマー、牡馬も牝馬も、サラもアラも何でもありの地方交流重賞をいくつか立ち上げた方が、今の地方競馬を支えてくれているファンのニーズにも合っているはず。

誰もがJRAみたいになれると思ってしまった、その結果のこの現状に対する後始末という意味で、そういう上ばかり見ようとする発想自体からもう一度考え直してみる必要が、今の地方競馬にはあるように思います。

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