子猫殺しの板東真砂子

雉も鳴かずば撃たれまい。生まれた子猫を野良猫対策のため自ら始末する、と公言した作家の板東真砂子が袋だたきにあっている。発端はこの夏の日経掲載のコラム。じきにネットで火がつき、よせばいいのにご本人が週刊誌その他で盛んに「反論」などしたものだから火に油。タヒチ在住、結構な豪邸に外国人男性と同居、という属性も裏目に出て、あちこち巻き込んで結構な論争沙汰に。果ては海外でも報じられ、現地ポリネシア政府が動物虐待で告訴に乗り出すなど、その後も事態は微妙にくすぶっている。

だがこれ、動物愛護がどうの、といったご大層な問題でもないだろう。要は、わざわざ口外すべきでもないことを得意げに能書き垂れて見せた、その無神経さ、「作家」の自意識にあぐらをかいた特権意識ありありの気配が世間のカンにさわった、まずはそれだけ。言ってることはともかく、おまえが言うな、なのだ。

かつて、産婆という仕事があった。今は助産婦と言わねばならぬらしいが、生と死のぎりぎりの切羽に関わる仕事である以上、望まれぬ子や事情あって育たぬ子を、自らの判断で始末する、それも仕事のうちだった。誰もがそのことを暗黙のうちに知っていたし、だからこそ言わずもがな、敢えて口にすることもなかった。「いのち」とは常にそんなもの、たかだかその程度のことはすでに人の世は思い知っている。そんな畏れ、謙虚さのないまま言挙げするような了見違いは、そりゃあなた、当然叩かれますがな。

「それを言っちゃぁ、おしまいよ」というのは、この件についての藤原新也の言。さすが、かつて『東京漂流』で「ニンゲンは犬に食われるほど自由だ」とやった御仁、器量が違う。