累積黒字も同時に問うべし

 来年三月でどうせ組合は解散になるんだから、オレはそれまで何もしないぞ。そうだ、有給休暇も残っているし、だいいち馬券の有効期間はふた月だから、年度内に払い戻し業務を終えるためには、三月末から逆算して一月末までの開催までしか責任はないはずだ。というわけで、一月まででオレの仕事は終わり。それから先は知らんからな。

 こんなことを平然と言い放つ人間が、競馬の主催者の、それも幹部にのさばっているそうです。敢えてどことは言いません。ある地方競馬場の話、とだけ言っておきます。

 あるいはまた、こんな話も。

 とある県で、巨額の裏ガネが発覚しました。そのカネを管理する役割だった者たちが逮捕されたけれども、その中には、ついこの間まで競馬場の幹部職員だった者も混じっていた。その職員の上司で、それら裏ガネ工作の元締めとされる県のトップは、その競馬場の廃止を強硬に主張してきた中心人物。存廃問題が暫定的な存続で決着がついた後、その職員は県庁に戻されたのですが、その際、軽トラック数台分の書類をあわてて競馬場から運び出す姿が複数、目撃されています。普通に考えれば、何かやましいことがあるからの行動で、しかもその上司である県のトップ自身、その裏ガネから私的な流用をしていたらしいことが地元では公然とささやかれている。また、逮捕された職員も競馬場にいる間に家を新築し、いいクルマを買い、はて、どこにそんなカネがあるんだろう、と訝られるくらいの派手な暮らしだったとか。

 競馬事業というのは行政にとっては、そのように打ち出の小槌、「官」がバクチを運営することのリスクはあれども、一方では“濡れ手で粟”の儲けが期待できるものだったようです。少なくとも、九〇年代の前半くらいまでは。

 けれども、じゃあその競馬事業がこれまでどれだけ地元自治体の財政に寄与してきたのか、累積黒字の貢献の方は、「存廃」が議論にのぼり、累積赤字が取り上げられる過程では通常、なかったことにされます。ほら、これだけ赤字を出してみなさんの税金で補填してまで競馬なんてバクチをやらなきゃならないんですか、だったらもうつぶした方がいいんじゃないですか、といった“おはなし”だけが、おのれの手さえ汚れなければ「廃止」がホンネの行政と、「記者クラブ」制度に縛られて動けない地元メディアとが手に手を取って作ってゆく。競馬事業と地域の関係についての本質的な問いは、これだけ競馬場がつぶれてゆく中でも、結局未だに示されないままです。

 何度でも言います。控除率25%という世界的にも高いテラ銭での競馬を、それも「官」の保護のもとで経営しながら赤字を垂れ流してきたことの責任を、主催者はどう考えるのか、どんな「存廃」問題も、まずはそれをはっきり問うことから始めるべきです。これからのニッポン競馬の健全化には、民営化が大前提、というのもそういうことです。

 こういうことを長年言い続けていると、おまえは主催者や地全協、農水省など「官」ばかり悪く言うが、ならば、厩舎関係者や馬主などに責任はないのか――そんなご意見も頂戴します。

 もちろん、あります。主催者と同じく彼らもまた、既得権や慣習法をタテに公正競馬の実現に楯突いてきた経緯も各地である。加えて、そんなずさんな主催者をほったらかしにしたまま、自分たちの競馬と競馬場がどういう仕組みで成り立っているのか、経営状態はどうか、健全な運営をしているのか……などなど、本来自分たちの職場としてチェックすべきことを全くと言っていいほど怠ってきた。馬主会は馬主会で、賞金や手当の多寡など、まさに「我が田に水を引くような」ことばかり考え、地域に競馬をどのように根付かせ、市民権を獲得してゆくか、などに関心は薄かった。さらに周辺の関係業者なども、はっきり言ってぼったくりの値段で入札を続けてきています。それは公共事業などと同じ構造ですが、何よりいけないのは、こと競馬事業についてはそのようなぼったくりを外部から監査するシステムがまともに働いてきた形跡がない、そのことです。ノーチェックで「親方日の丸」の“濡れ手で粟”をやってきたんですから、そりゃあ、おいしかったでしょう。

 しかも、競馬の構造改革が言われ、競馬法のさらなる改正もスケジュールにのぼっているこの時期でもなお、そのような「親方日の丸」のぼったくり構造は巧妙に温存されようとしています。その意味で今、最も「熱い」のは場外発売関連でしょうか。「民間委託」のタテマエを守ったふりをしながら、券売機メーカーやその間に巣くう関連会社(民間、と称してその実、農水系元役人の天下り丸抱え、です)などの間で、結果として旧態依然のやりたい放題が、表沙汰にされることもなく、また、関心を持つジャーナリズムもほぼ皆無のまま、粛々と画策されている。このあたりは、大きく言えばあの道路公団郵政民営化の問題であらわになった構造と全く同じ、戦後のニッポン競馬をめぐる「世の始めから隠されている大切なこと」のひとつです。このような「お役所競馬」にまつわる悪弊、ジャパン・スタンダードの歪みに気づき、人頼みでなく当の自分たちの手でまず正そうとしてゆく気持ちを持つ者が、たとえわずかであれ、現場から生まれてきた競馬場、それはまだ十分生き延びられる。どうせ上の方でやってることだから、というあきらめの気分が現場に蔓延すること、それが今、最もあぶないことです。