殿軍の器量とは

 殿軍(しんがり)、というもの言いを思い出した。全軍雪崩を打って敗走中の民主党国対委員長に、渡部恒三が登板したのを見てだ。

 兵法では進むよりも退くのが一番難しい。だからそういう時に最後方、しんがりに最も百戦錬磨、武芸にも人格にも優れた将を頼むという。未だ収拾つかずに迷走中の偽メール騒動は、政界永田町のデジタルディバイド、情報環境の落差による「世代」差を浮き彫りにした。ことは民主党だけではない、自民党とて基本的な体質の酷似する「若手」はわんさといる。ただ、それを野放しにして勘違いさせないだけの重しというか、抑えが良くも悪くもまだかろうじてある、それだけのことだ。だが、その「それだけ」が、この状況では案外大きかったりする。

 民主党の問題は、そんな「若手」のお目付を勝って出る年配者もいず、また同時に、その立場を尊重する土壌も気風も「若手」の間に希薄になっているらしいことだ。この期に及んでなお、小沢一郎は動かなかった。誰もが国対を尻込みした。みんな人ごとなのだ。結局、元竹下派七奉行の生き残り、この渡部しかいなかったという人材払底のどんづまり。味方を守りながら敵の追撃をしのぐというこの難局に、さて、「老兵」渡部恒三センセイ、いかに対応するのか。

 と思ってよく見ればこの「老兵」、昭和七年生まれだから、まだ石原東京都知事と同い年。そうか、ジイさまのふりするのもまた政治、ということか。いずれにせよ、この殿軍の去就、ちと目が離せない。
(俄)