ローゼンホーマ、福山へ

 ローゼンホーマ、里帰りしました。今から二十年前、八六年にデビュー以来40戦連続連対、無敗で園田の楠賞や大井の全日本アラブ大賞典を制し、福山初の一億円馬となったアラブの英雄です。

 当年とって二三歳、北海道からの長距離輸送は心配ではあったのですが、関係者のていねいなケアもあってひとまず無事にこなし、一八年ぶりになつかしい福山に戻ってきました。

 昨年暮れにサラブレッドを導入、それでも主催者の福山市は、「サラは入れても、アラブに支えられてきた競馬場の責任として、アラブも最後まで面倒みる」と明確に表明していたのですが、やはりサラブレッド導入という話題の大きかったところに、地元馬主会が追い打ちをかけるようにサラ当歳馬を大量購入したり、そんなこんなで馬産地以下、他の競馬場でもおおむね「もう福山もアラブを見捨てた、サラブレッド一辺倒になった」と思われていたフシがありました。そんな中、客枯れの目立つ年度末の時期の話題づくりが目当てとは言え、主催者としては何とか意地を見せた形です。

 名前を冠したローゼンホーマ記念にあわせての里帰り、というので、いつも以上に地元のオールドファンが熱っぽい視線を送っていました。去年笠松が呼んだオグリキャップには集客力はさすがに遠く及びませんが、そのかわり地元の想いは負けていない。単に馬をお目見えさせるだけでなく、現役当時の蹄鉄や重賞の肩掛け、口取り写真の類は言うに及ばず、かつての登録書類や全日本アラブ大賞典を制した時の予想紙、古い雑誌記事なども場内に展示され、さらには当時のレースビデオもエンドレスで流されるというサービスぶり。いずれご多分に漏れず手元不如意な地方競馬のこと、予算はかけられない分、主催者職員も含めて関係者の手作りイベントという感じで、これはこれで味わいのあるものになりました。まさに地元密着、うちらの競馬場、という地方競馬ならでは味わい。ビデオの画面の前にじっとすわってかつての強さに見入るファンも、問わず語りに話し出します。

「昔、よう見にかよったんよ。そりゃあ、ぼれぇ強い馬じゃったよ。あげな馬はもう出んじゃろ」


「割と元気にしよるのう。なんぼになった? 二三? はぁ、大したもんやのう」

 現役時代に主戦騎手だった那我性哲也調教師が、当時の勝負服でまたがってパドックに登場。「お〜い、まだ乗れろう」と飛ぶヤジもご愛敬。さすがにトモが少し弱っていたので本馬場はちょっとかわいそうというので引き馬だけになりましたが、カメラ片手のファンが群がってやはりスターホースの貫禄十分。三日間のお目見えで、初日はあいにく前日までの雨で馬場も悪く、馬自身もいくらか疲れた様子でしたが、翌日から天気になって体調も一変、やはり若い馬がまわりにいるのと何より競馬場ということで、馬にもかつての記憶がよみがえったような感じでした。

「着いた時はトモなんか熊脚になって寝とったんやけど、えらいもんやなあ、二日もしたらツナギがしゃんと立ってきたもんなあ」

 とにかく売り上げ第一、少しでも馬券が売れることに血眼になるのはこの現状ではどこの競馬場も同じですが、同時に地元であること、その競馬場ならではの歴史も来歴もあること、だからこそ無数の記憶がそこに重なっていること、そういう部分を大事にする。そう、いまどきのもの言いだと「リスペクト」する、その心意気がいまの小さな競馬には必要だと改めて思います。うちの街には競馬場がある、地元の人たちがそう思ってくれるようになることがまず大切。いくら売り上げを上げて累積数十億、数百億円単位で地元自治体の財政に貢献してきていても、結局日陰の存在でしかなかった地方競馬のありよう自体を、もういい加減過去のものにしてゆかないといけない。でないと、今後また売り上げがあがってもまた、財政にむしり取られるだけで、馬にも、馬で仕事をする人たちの方に潤いはまわってこないという悪循環は解消されません。