改めて、「国際化」とは何だったのか?

さあ、改めて、考えてみようじゃないですか。ニッポン競馬の「国際化」とは、果たして何だったのか?、について。
今年のジャパンカップの海外登録馬が激減とか。国内馬も出走回避が続出、このままだと史上最低の出走頭数で開催されることになるようです。この原稿が載る頃には結果が出ているでしょうが、普段はJRAに気配り万全なスポーツ紙の中にも、興行の勧進元としてのJRAの能力に疑問を呈するところが、ここにきてさすがに出てきました。
かつて、ジャパンカップは“熱い”レースでした。まだ見ぬ「海外」という大きな現実が、忽然と眼の前に現われる。そのことだけで、確かに興奮しました。恥ずかしながら、この僕でさえも。
同時に、これももう昔話になりつつあるのかも知れませんが、地方代表馬枠というのもありました。秋のオールカマーがその代表選定戦。思えばこのオールカマーも、今や全く名前だけ。かつては文字通りの何でもありで、たまに条件馬やアラブから果敢に挑戦する猛者がいたりと、わくわくするレースだったのに今や単にどこにでも転がってるGⅢ。競走体系をいじり、レースの意味を変えることは必要だとしても、それまでそのレースを戦ってきた無数の馬と関係者への最大限の敬意を払いながら、であるべきなのに、こういう心ない仕打ちは何なのでしょうか。
「日本」を背負って「世界」と戦う、「地方」を背負って「中央」に出てゆく、そんな「国際化」以前のニッポン競馬の“おはなし”の最も根幹を支えていた構造が、創設当初のジャパンカップには一気に集約されていました。新たにできたジャパンカップを勝つ、ことは、その頃古馬の最大の目標となっていた春秋の天皇賞よりも、暮れの有馬記念よりも、何かひとつ別枠でスペシャルなこと、でした。
ロッキータイガーが猛然とシンボリルドルフに肉薄した時も、長っ手綱のカツラギエースが逃げ切った時も、オグリキャップホーリックスが凄絶な叩き合いをやらかした時も、僕は府中のスタンドにいました。後にも先にもあれほど身も世もなく絶叫して競馬に興奮したことは、おそらくない。そこには単に馬券の対象としてだけでなく、ひとつの“おはなし”、それも同時代の「気分」と密接にからみあったところで浮上する“おはなし”=物語が間違いなく活きて稼働していた。だからこそ、そう、競馬ってのはほんとにおもしろかったんです。
それから四半世紀、確かに、ニッポンの競走馬は強くなった。みるみるうちに世界水準に追いついていった。もちろんまだまだ本当ではないにせよ、血統も、何より育成調教の過程も、短い間に信じられないくらい変わった。そして、「世界」はあたりまえになった。誰もが少なくともそう感じるようになった。プロ野球にとっての「大リーグ」がそうだったように。それは今「メジャーリーグ」といつしか呼び方を変えて、日本人選手が当たり前に向こうから契約を求められるようになっています。衛星放送で、時に地上波でさえ、それらメジャーリーグの試合が見られるようになった。だから、プロ野球人気の凋落は時代の必然ですが、でも、その中でロッテや日本ハムなど、地域密着型の「自分たちの野球」をプロモートしようとした球団に確実にファンが戻り、そして地力さえアップされている。カネにあかせて人気選手を買いあさるだけの巨人がどういう悲惨なことになっているか。おおざっぱに言って同じことが、ゆっくりと競馬にも起こり始めているのは、素朴に見れば誰にも実感できることではないでしょうか。
何より、競馬の最大のネックは、いくら「国際化」をし、日本の馬や騎手が向こうの大レースを走っても、その馬券を国内で買うことはできない、その点です。そして、「世界」に門戸を開いてゆくことは、これまで興行としての競馬を成り立たせていた“おはなし”の前提を自ら失うことだったことも。
「世界」へ開くと同時にもうひとつの障壁、「中央」と「地方」の間の距離もまた埋められねばなりません。アンカツや岩田はもちろん、大井所属のまま関東のリーディングに顔を出す内田博なども含めて、地方育ちの騎手の腕の確かさはファンが一番よく知っています。同じ日本で競馬をやっていて、人も馬も同じ仕事をしていて、それでいて「世界」よりもなお開かれていない現実。これが「国際化」の結果だとしたら、そんなもの犬にでも食われろ、です。
かつてのジャパンカップの「熱さ」を取り戻すには、たとえば、地方のそれぞれの地区代表の馬たちが年に一回、集って一発勝負の大レースを戦うことをやる。忘れられかけているかも知れませんが、ついこの間まで、暮れの東京大賞典や全日本アラブ大賞典は、そういう「甲子園」みたいなレースでした。それこそオールカマーの精神を復活させて、全国から代表馬を選定する体系をつくって、全国発売すれば買うファンは絶対にいる。そりゃあ有馬記念とは比べものにならないにせよ、プロモートの仕方さえ間違わなければ盛り上がることは間違いない。いくら売り上げ額を誇ったところで経費その他がかかりすぎてロクに儲けも出ず、ヘタをすれば赤字になる近年のJBCなどより、よっぽど「交流」本来の趣旨に近いように思います。JRAと戦う前に、地方同士、地元の地区同士のチャンピオンシップをきちんとやって、全国規模でアピールしてゆく。それらの積み重ねの上に、JRAも世界もある、そんな健康な遠近法の再構築が必要です。競馬が文化だ、と言うのなら、地方馬もアラブも、ばんえいさえも含めた門戸開放の本当のオールカマー、ニッポン競馬のお祭りの復活をやるくらいの器量ってものが、四半世紀かけた「国際化」の結果が良くも悪くも見えてきた今だからこそ、競馬の勧進元には求められています。