外厩のはなし

 「外厩」という耳慣れない言葉に、ここ何年か、触れる機会が増えていることと思います。

 新聞や雑誌などでおおっぴらに言われるようになったのは、あのコスモバルクが活躍するようになった頃からでしょうか。地方競馬ホッカイドウ競馬所属のまま、認定競走を勝っていわゆる「カク地」馬としてJRAのクラシック戦線に殴り込んだ。ただの「カク地」馬というだけならば、認定競走の制度が導入されて以来、前例はあったわけですが、コスモバルクの場合、それが「外厩」制度を使って「カク地」馬の資格を獲得していた、というので話題になりました。

 そもそも、その「外厩」制度を正式に導入したのがホッカイドウ競馬が最初で、その制度導入の一年目からいきなり出現したのがコスモバルクだったので、馬もさることながら、その「外厩」制度の方もまた大いに注目度があがった、というわけです。その後、昨年の三月には大井競馬場もこの制度を導入、外厩をめぐる動きは、表立った報道などはまだ乏しい中、確実に広がりを見せ始めています。

 地方競馬から動き始めたこの「外厩」は、しかし今後、単に地方競馬にとどまらず、いずれJRAも含めた日本競馬全体の未来像を見通す上で、かなり重要なファクターになってくるでしょう。

 「外厩」――読んで字の如く、外部の厩舎ということです。外部、とわざわざ言う以上はそれに対応する内部が想定されているわけで、そちらは競馬場の通常の厩舎のこと。「外厩」とはその「内厩」とは別の、言わば〈それ以外〉の厩舎施設、ということになります。コスモバルクの場合、所属はホッカイドウ競馬ですが、門別トレセンの厩舎=内厩に必ずしもいつもいるわけではなく、管理する田部調教師が「外厩」として使っているビッグレッドファームと連携しながら管理と調教を行っている、という形になっています。もちろん、どんな牧場施設でもいいわけではなく、一定の条件をクリアした施設に対してホッカイドウ競馬から「外厩」(「認定厩舎」と呼ばれています)の認可がおりるわけですが、いずれにせよ、主催者の厳しい管理によって公正を確保する「内厩」主体の競馬を展開してきた戦後の日本競馬のこれまでの流れを変えてゆくことになる、大きな一歩と言っていいでしょう。

 もっとも、「外厩」という言い方自体は、それまでもありました。主催者から正式に貸与されている馬房のとは別に、休養馬などを置いておくための厩舎を競馬場やトレセンの近くに調教師が借りていたりする、それを慣習的に「外厩」と呼ぶことはありました。美浦栗東トレセンの近所によく見られる牧場などもそうですし、また、地方競馬の場合はもっとはっきりと、たとえば調教師の自宅の庭先や近所の民家の敷地を借りて厩舎にしていることも珍しくありませんでした。今でもそんな古い形の外厩の名残りは、笠松など、いくつかの地方の競馬場のまわりにちらほら見られます。これもまた、正しく日本の競馬文化財です。

 そもそも歴史的に言えば、競馬に関わる厩舎の成り立ち自体、そういうものでした。戦前から戦後のある時期までの地方競馬は、普段はそういう民家(主に農家だったりしましたが)の軒先に馬をつないで、そこから競馬が開催される土地に出向いて競馬を使う、そんな暮らしぶりが当たり前でした。戦後、中央競馬会や地方競馬の主催者組織が整備されてゆくにつれて、公正を確保するためにも厩舎をなるべく競馬場など一カ所に集めて集中管理するやり方がとられるようになった。俗に「管理競馬」と言われるゆえんですが、そんな過程で、現在に至る「内厩」を基本にした厩舎制度ができてきたと言っていいでしょう。

 とは言え、世界の競馬の状況を見てみると、こういう「外厩」の方がむしろ当たり前だったりする。調教師が経営する厩舎自体が民間経営の独立独歩で、主催者が馬房も施設も調教師に貸与する形をとり、同時に徹底的に管理する日本のような「内厩」主体の競馬の方が、むしろ世界的には珍しいかも知れない。ここ二十年あまり、「国際化」をスローガンにさまざまな改革を意欲的にやってきたJRAですから、こういう厩舎制度も当然、この先、国際標準にしてゆくことでしょう。いま、「外厩」が改めて取り沙汰されるようになっているのは、そういう意味では、競馬が本来あるべき形に、ある意味国際標準に沿いつつある、そんな過渡期のひとつの現われ、ということかも知れません。