ゐなか、の、じけん、再び――幡ヶ谷 妹バラバラ殺人事件

――現代の個人はめいめい勝手次第の、生存を巧んで居るつもりで居るか知らぬが、流行や感染以上に昔からの隠れた力に、実はまだ斯うして折々は引回されて居るのである。  

柳田國男「妹の力」

――あたし男だったらよかったわ/力ずくで男のおもうままにならずにすんだかもしれないだけ/あたし男に生まれればよかったわ

中島みゆき「ファイト!」

 

 波乱の年、と言われる亥年の年明け早々、いきなり刺激的なディテールを抱えた事件が明るみに出た。東京都内、幡ヶ谷の歯科医の一家で起った、次男による妹の殺人、およびバラバラ解体事件。前後して、年末に新宿で男性の切断遺体が見つかった事件の犯人(妻だった)が逮捕され、それ以外にも茨城などで同種の遺体切断事件が連続したこともあり、年初から「バラバラ事件」が世間に強く意識されるようになった。とりあえず、2007年はそのように始まった。

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“切断遺体 頭髪、胸部など切り取る

 

 東京都渋谷区の歯科医、武藤衛さん(62)方で長女の短大生、亜澄(あずみ)さん(20)の切断遺体が見つかった事件で、亜澄さんの遺体から頭髪と胸部、下腹部が切り取られていたことが分かった。死体損壊容疑で逮捕された次兄の予備校生、勇貴容疑者(21)は胸部などについて「流し台のディスポーザー生ごみ処理機)で処分した」と供述している。性別などの判別を困難にする工作と取れる半面、激しい恨みを示す行為ともみられ、警視庁捜査1課は理由を追及している。

 

 調べによると、亜澄さんの遺体は十数個に切断され、四つのポリ袋に入れられて勇貴容疑者の自室のクローゼットなどに隠されていた。ほとんどが関節部分で切断されていたが、胸部と下腹部が切り取られていた。また、頭髪は短く切られていた。勇貴容疑者は、切断した遺体を「後で捨てるつもりだった」と供述している。切断に使ったのこぎりと文化包丁は洗い、返り血を浴びた着衣は洗濯したという。

 

 また、殺害状況については「頭を殴ったが、気絶した後で起き上がったので首を絞めた」と供述している。遺体には水死の形跡もあり、捜査1課は、激しく暴行した後で亜澄さんを浴室に運び、水を張った浴槽に頭を沈めた可能性があるとみている。(毎日新聞

 メディアはもちろん、発情した。確かに、報道として流れ出てくる事件のディテールは異様だった。三浪中だった浪人生の兄が、短大に在学しながら芸能活動も始めていた妹を殺害し、さらにバラバラにした、というできごとの基幹の部分はもとより、そのバラバラの遺体が自室のクローゼットにビニール袋に入れて置いてあったこと、内臓はプラスティックのケースに入れて別にしていたこと、髪の毛と胸部(どう考えても乳房だ)と下腹部(陰部、と思わざるを得ない)が切り取られ、それらがディスポーザーで処理されていたこと…遺体からとった下着をサークル合宿に持参していたこと…などなど、単なる残虐性、猟奇性だけでなく、性的嗜好の倒錯、変態性があからさまに想定されるようになっていた。

 第一報に続いて展開される週刊誌、スポーツ紙からワイドショー系の報道では、必然的にそのあたりに焦点が当てられていった。

三浪二男を逆上させた巨乳妹のカラダ

 

 東京・幡ケ谷の歯科医師一家の二男が、短大生の妹の遺体を切断したバラバラ殺人。逮捕された武藤勇貴(21)は「お互いを避け、ここ3年は妹と話をしなかった」と供述している。歯科医を目指し3浪中の兄と、B90センチの巨乳で「グラドル」を目指した妹・亜澄さん(20)。ダメ兄貴を凶行に走らせた背景が見えてきた。

 

「わたしには夢があるけど、勇クンにはないね」

「いくら勉強したってダメじゃん」

 

 亜澄さんはリビングでテレビを見ながら口論となり、兄をそうなじった。カッとした勇貴は「すぐさま木刀で妹の頭を2回殴り、さらに首を絞めた」と犯行状況を話しているという。

 

「勇貴は本当に死んだか不安になり、遺体を浴室に運び、水をはった浴槽に頭を沈めた。その後、浴室で遺体を関節ごとに数十カ所も切り刻み、ポリ袋4つに分け自室に隠したのです。奇妙なことに臓器だけは氷で冷やし、金庫のようなプラスチック製の収納箱に“保存”していました」(捜査事情通)

 

 東京・高輪にある私立短大に通っていた亜澄さんは、昨年7月から「グラビアアイドルになりたい」と都内の芸能プロに所属。「高峯駆」の芸名で映画や舞台に出演し、デビュー作のR―15指定のVシネマ「くりぃむレモン~プールサイドの亜美~」ではチョイ役ながら、青い特攻服に身を包み、格闘シーンをこなしていた。

 

「勝ち気な性格で、負けず嫌い。思ったことをハッキリ口にする子でした。新人にもかかわらず、共演者と意見の食い違いから衝突することもあったようです」(プロダクション関係者)

 

 ちなみに、彼女は日刊ゲンダイ本紙「@失礼します」にも売り込んできていた。プロフィルにはスリーサイズ「B90・W58・H87」のほか、「趣味・スキューバダイビング」と書き添えてあった。

 一方、両親と祖父はいずれも歯科医。上の兄(23)も歯学部進学という歯科医一家に育った勇貴は、中高一貫日大豊山の中学時代から「後を継ぎたい」と兄と同じ日大歯学部への入学を希望したが、推薦を得られず浪人するハメに。

 

「その後も2度にわたり受験に失敗。“4度目の正直”と入学費や授業料が300万円もする医系専門予備校に通っていた。ただでさえ3浪で鬱屈しているところへ、奔放に楽しんでいる妹からなじられたことでキレたのでしょう」(捜査事情通)

 

 「くりぃむレモン」は水泳部の女子高生の“禁断の愛”を描いた作品で、主演の子はヌードになり、セックスシーンも出てくる。チョイ役で出た妹からバカにされカッとなったのかもしれない。

 今のところ、勇貴から謝罪の言葉は出ていない。(ゲンダイネット

 ひとつ違いの兄と妹、性的嗜好の異常さの気配……背景に「近親相姦」までが取りざたされるまで、時間はかからなかった。

 昨今の情報環境のこと、いわゆるマスコミ報道を起点としてインターネットにも、〈できごと〉の波紋がみるみる広がってゆく。掲示板の類から個人のブログや日記に至るまで、この事件についての私的な印象や感想の類が短期間に集中的に書き込まれ相互に乱反射してゆくさまは、このところある事件に対するメディアの発情に伴って引き起こされるお約束の事態だが、しかし、「バラバラ事件」という戦前は昭和七年、玉の井での事件以来の古風なもの言いでひとくくりにされたこのところの事件の中でも、この幡ヶ谷の事件だけは、また格別の印象を世間の意識に与えるものだったようだ。

 それは単に事件のディテールの異常さ、不可解さ、だけが理由でもおそらく、ない。兄と妹、家族内での軋轢、といった、比較的見てとりやすいモティーフの向こう側に、うまく整理のつきにくい漠然とした、でもふだんから確実に感じている居心地の悪さ、といった領域が確実にひそんでいて、そこに世間の側の意識が反応してしまったからこその波紋の広がりよう、だったはずだ。

 一方で、メディアの報道の文法には、あらかじめある傾きがあった。

 まず、「東京」ということで、さらに「両親が歯医者」ということで、あらかじめ一定のイメージが立ち上がるようになってしまった。裕福で、昨今言われるところの「勝ち組」じゃないか、という前提で、報道の現場も動いていたふしがある。そんな家庭での三人兄妹、長男は順風満帆、親の跡を継ぐべく歯学部学生、それに対してかたや浪人生、しかも三浪もしている真っ最中の次男と、どうやら奔放で芸能活動などもしていた末の妹、という組み合わせでの惨劇、というわけで、「勝ち組」家庭にはらまれた軋轢、として解釈しようとしていた。

 けれども、そのような報道文法のステレオタイプからもれ落ちてくる何ものか、というのも、そのステレオタイプで動いてゆくメディアの自動筆記状態がなめらかになっている分、余計にこちら側に感得されるものだったりもする。先の居心地の悪さ、すでに世間が何となく感じていただろう感覚の領域はなおのこと、その〈それ以外〉の部分に反応してゆく。

 とは言え、ひとまず焦点はやはり、兄と妹、である。事件の警察的リアリズムでの事実は今後、捜査そして裁判の過程などで明らかにされてゆくだろうけれども、それらの水準とはひとまず別に、メディアの舞台との相互性の中で世間が反応してしまった、その部分に今後、もう少しつぶさに言葉を与えてゆくためのひとつの覚え書きとして、限られた紙幅の中で、いくつか当座の補助線を引いてみたい。



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 幡ヶ谷というのは、東京の中でも古い街並みが残っている地域である。

 隣接する笹塚と共に、新宿から京王線で数駅、甲州街道沿いのロケーション。主として戦後、商店街ができて賑わうようになった。小田急で下北沢、西武線ならば落合や野方、江古田といったあたり。新宿や池袋と言ったターミナルの繁華街からそれくらいの距離。歩けなくもない距離、というか、かつての日本人なら普通に歩いていただろう。

 先回りして言っておけばそれは、人情に厚く、隣近所のつきあいも未だに濃密で、なにくれと互いに世話を焼いてもくれる、それこそ映画『男はつらいよ』の世界のような、昔ながらのコミュニティの生きている「下町」、といった、いずれありがちな型通りのイメージともまた違う、メディアの舞台ではそれほど焦点が当てられることのない、しかし確実に〈いま・ここ〉に存在するもうひとつの東京、でもある。

 細い路地、クルマも通りにくいほどの商店街、生け垣のしつらえられた、しかし敷地の面積などからすれば明らかにいまどきの一戸建てよりは狭い、少し前までの日本家屋のモジュールが主体の住宅地。軒も低く、窓も小さく、外へ向かって開口部を大きくとりたがる昨今の一戸建てのつくりとは違ったたたずまいの家が、おとなしく並んでいる。

 これが同じ城西方面でも杉並あたり、たとえば荻窪界隈など、戦前、新たに住宅地として開発されたような場所になると、大谷石の塀をめぐらせたり、門構えとは別に小さな勝手口が別についていたり、といった少し前のお屋敷系のつくりも目につくようになってくる。幡ヶ谷や笹塚界隈にもそのようなお屋敷はないではないけれども、やはり戦後に地域の輪郭が整っていった分、杉並などに比べればまだつつましやかな、その分、下町的な「町内」に近い生活感覚もある程度は生きている、そういう土地である。

 もちろんいまどきのこと、ある程度の期間定住している住人たちの高齢化は進み、遺産相続のたびに土地の切り売りをせざるを得ないような、東京では珍しくない転変もあるだろう。また、家賃収入をあての賃貸アパート、マンションの実入りも、昨今、まわりで思うほど楽でもないのが通例。商店街も、いまどきのような大規模店舗がおいそれと出店できる土地が少ない分、一気にさびれはしないまでも、徒歩か自転車で行き来できる程度の商圏で何とか支えられていることには変わりない。

 しかし、かつて「町内」というまとまりをそれなりに成り立たせていたような、ある程度濃密な視線の交錯、住人相互に意識しあう感覚みたいなものは、少なくともある年代以上の住人たちの間には未だに残る。季節ごとの共同作業も、共に支える神社の祭りも、形としてはひとまず薄くなったとしても、そういう「町内」に棲み、生きているための基本的な感覚、というのは、アパート住まいに代表されるような単身生活者や、新築マンションに引っ越してきた若い家族などはともかく、そこからそうそう動きようのない、地域の中核となる住人たちの間からは、そんなに一気に減衰してしまうものでもない。言わば、パソコンのディレクトリに古いOSや使わなくなったアプリケーションの残骸が残ってしまうように、彼らがそこに生きている限りはずっとすり込まれたまま、だったりする。

 被害者が「家庭内で問題があった」と友人にもらしていたと言われ、また、彼女が芸能活動を始めていたことについて母親が言っていたと伝えられた「世間体が悪いから」の内実とは、そういう生活感覚の側からのものだ。そして、その「世間」の中身というのは、何もあのよそよそしい「社会」というもの言いの間尺に支えられているものでもない。もっと身近で等身大な、それこそ「町内」の視線の交錯の上にまず成り立っているものなのだし、その上に「常識」だの「当たり前」だの「世間並み」だのといったもの言いで語られてゆく価値観や道徳、倫理感なども乗っかっている。それはしょせん未だに借り物でしかない、あの大文字の「社会」と必ずしもうまく重なってくれるものでもない。むしろ往々にして、それらは同じ住人たちの意識の中で、都合良く棲み分けられていたりする。と同時にまた、その子供たちの世代になるとその「社会」と「世間」の棲み分けの感覚も、すでにうまく継承されていなかったりする。

 たとえば、ペットボトルに水を入れて敷地のまわりに並べておくような家が、未だにちらほらあるような、そんな街、とでも言ってみれば、少しは、ああ、と思っていただけるだろうか。*1

 あのペットボトルをめぐる風俗、というか流行は、もともと「野良猫よけ」という説明と共に広まったもので、その後効果のないことも証明されている。しかし、ことの本質としてそれは、ペットボトルというそれまでにはなかった、でも確実に「器」ではあるような異物を、どうやって合理的に「捨てる」ことができるか、についての、ひとつの意図せざる答案になっていた。

 中身のなくなった、からっぽの器というやつは、なぜかそのままでは捨てにくい。何もリサイクル意識の問題などではない。それがタバコの箱であれ、ビールの空き缶であれ、特にそう意識せずともつい片手でつぶしてから捨てる、という習い性は、ずっと以前からあたしたちの中にある。考えなしにやっている行為だが、むしろだからこそ、その背後に何か説明のできない意識、感覚がひそんでいる。それは、古くは瓢箪からうつぼ舟の伝承などに至るまで、中空のままだと何かが宿ってしまう、という、フォークロアにつきもののそんな感覚ともどこかで通底している。

 だが、ペットボトルはつぶれにくい。手で握ってもダメだし、足で踏んでみたところである程度まで復元してしまう。と言って、そのまま手もとに残しておいたところで、他の素材、たとえばガラス瓶のような通常の器としても使い回しにくい。何より、“もの”として軽過ぎて、中身を満たさないと自立すらしにくい。そういう“もの”としての始末の悪さに対する違和感がすでにわだかまっていたところに、「野良猫よけ」という効用が与えられたことで、みんな安心してそれに水を詰めて家の外へ「捨てる」ことができるようになった。もちろん、「捨てる」という意識はないのだが、結果としてそれは「捨てる」ことになっていた。「野良猫よけ」として効果のないことが明らかになってもなお、今でもたまにペットボトルを並べている家を見かけるのには、きっとそういう意識されにくい理由もある。

 おそらく、日々の暮らしの中で中身がカラになってしまった器を「何かあった時のために」とっておく、という習い性を持っているような、比較的年輩の女性のいる家をおおむね起点として、あの「野良猫よけ」のペットボトル、は広まっていったはずだ。そんな流行は、たとえば昨今クリスマスが近づくと、誰に頼まれたのでもないのにテラスに満艦飾の電飾をしつらえるようないまどきの新興住宅地には、おそらくなじまない。逆に、こういう都内の、まだかつての「町内」の痕跡があるような地域にこそ、ふさわしい。

 そして、そういう場所に、ぽっかりと「ゐなか」が口をあける。三年前、佐世保で起こった小六女児同級生殺害事件、と同じように。

 あれも佐世保という街なかで起った事件だった。しかし、加害者の女児の家が地理的な距離に比べて不自然なほど孤立した場所にあり、その距離が情報環境の落差と複合して、一見のっぺりと平穏に見える現実の中ににわかに予測のつきにくい亀裂、エアポケットのような空白をはらんだ「場」が生じていることを、『諸君!』誌上で指摘したことがある。夢野久作の作品から借りて敢えて「ゐなか、の、じけん」と称してみたのだが、その「ゐなか」の比喩とは、地理的な意味での距離や懸隔とは違う水準に、それだけではない、メディアと情報環境によって否応なしに強制されてしまうような種類の格差や亀裂もまた織りあわされつつ〈いま・ここ〉の現実に組み込まれている、といったことを言いたいがためだった。人々が当たり前と思っている、その限りで光もたっぷりと当たり、誰もが普通におおむね明晰だと思っているそんな眼前の風景の中に、にわかにそれとは意識しにくい形で「ゐなか」が口をあけている、と。

 昨今言われる「格差社会」などとはまた違う、単に経済的な格差とそれに伴う階層差などではなく、もっと始末のつけにくい距離をはらんだ何ものか。数字や統計などからだけで十全に捕捉しきれるものでもない、生きている場、情報環境なども含み込んだ意味の磁場、とでも言った脈絡にうっかりと浮かび上がってしまう、そして突き詰めればやはり微細な言葉でゆっくりと埋め合わせてゆくしかない、そんなどうしようもない「狭さ」や「閉塞感」「孤立感」。現われそのものはどうしようもなく〈いま・ここ〉であり、事件の異様さ、残忍さ、そしてまた誰もが反応してしまうモティーフをはらんでいるという意味でも、まさに現在を象徴するように思われるけれども、同時に、その〈できごと〉にはらまれているであろう構造においては、むしろ〈いま・ここ〉から遠い、おいそれと変わりようもないような、生きものとしての人間の真実=〈リアル〉と関わる領域。

 世間の側が反応した居心地の悪さ、はっきり言って不安とは、おそらくそういう〈リアル〉の領域が日常の中で、それと意識されておくだけの仕掛けがどんどん背景に後退しつつある、そんな事態の中で知らず知らずの間に醸成されてきていたものだ。

 


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 今回の事件では、犯人とされる次男の性的嗜好の部分が、兄と妹、というモティーフに重ね合わされている。要するに、勝ち気で活発で言いたいことをいい、見てくれも巨乳で、それらに即した程度にすでに性的でもあったはずの妹に対して、次男が性的な欲望を抱いていた、ということである。それがどの程度事実かどうか、何より彼自身自覚的かどうかだったなどよりも前に、事件が報道されてゆく過程で、世間の側の意識はまずそこに熱っぽく合焦していったこと、それをまず確認しておきたい。

 ロリコン、と言い、幼女趣味、と名づけられるような領域。最近だと「萌え」というあの耳ざわりなもの言いともども、何かと世相風俗の表層に見え隠れてしていることもあり、「そういう内面を持ってしまった若い男」というのは身近に存在するものだ、という程度の理解は、もうかなりの程度共有されてはいる。

 たとえば89年、「おたく」「ロリコン」といったもの言いが世間に知られるようになるきっかけになった、幼女連続殺人事件。あの時、犯人宮崎勤の餌食になった被害者の幼女たちの年齢に、その後現在に至るまでの時間をつけ加えてみる。当時、四歳から五歳くらい、ということは、18年後の現在、二十代前半。まさに今回の事件で、兄に殺されて解体された妹の世代にあたる。

 当時、犠牲になった幼女たちの公開された顔写真のたたずまいが、まるで申し合わせたように何か共通していた。ある意味フォトジェニックな、レンズのこちら側の視線にあらかじめ媚びることを知っているゆえの表情の気配。メディアの形作る情報環境の中で、自意識形成の道筋がそれまでと明らかに違ってしまっているような、そんな人間がある世代的特徴として現われるようになっていた。だからこそ、被害者である彼女たちの側から無意識のうちに宮崎の側を「誘惑」していた可能性も考えねばならないのではないか、ということを言おうとしたのだが、もちろん当時はうまく理解してもらえなかった。*2 

彼女たちを評して誰もが一様に「かわいい」と言う。しかし、「かわいい」ことそれ自体もまた時代に規定されている。彼女たちは家でカメラやビデオによく撮られていた経験がなかったか。レンズに見られること、その経験に彼女たちは社会化の第一歩を記していた可能性は考えなくてもいいか。「彼」は泣き叫ぶ彼女たちを横抱えにクルマに放り込んだわけではないだろう。とすれば、彼女たちが「彼」についていってしまったことを「幼女の無垢性」などに還元しきってしまうことは、「彼」と彼女たちの間にあったかもしれない何か黙契のようなものを無視してしまうことにならないか。

拙稿「フォトジェニックということ」『ブックレット 幼女連続殺人事件を読む』所収 1989年

 今でも、この指摘は間違っていなかったと思っている。子供は社会的な人格を穏当に形成してゆくより先に、消費者としての主体を刺激されながら作り上げてゆく過程を経験するようになった。メディアによって見る/見られる関係が、言葉を覚えて社会化してゆく過程に覆い被さり、言葉を介した関係を一次的なものとして穏当に編成されてゆく主体、というのが、もう成り立ちにくくなっている。生まれた頃からビデオカメラで追い回し、写真を撮り、またそれらを当の子供にも見せてゆき、「自分」という意識の形成過程に視覚を介した領域をより強く関与させる環境。幼年雑誌、そして何よりその親たちに対する「消費」称揚の情報環境が、幼稚園にあがるかあがらないくらいの段階からすでにブランドものを志向し、服の好みを野放図に言いつのる子供を当たり前にしていったのも、その後の時代の流れだった。

 刺激に敏感に反応する、それによって内面をつくっていってしまう、そんな“ものに感じやすい”子供が増えてゆく。何かというと「傷つく」というもの言いが持ち出され、それに呼応して「心のケア」といったことが言われるようになってゆく過程とも、それは対応していた。 ものに感じやすい、という資質は個体に備わっている部分と同時に、生まれてからの環境によって啓発される部分もある。それは何も医学的な意味だけでもなく、言葉と意味の世界に生きている文化的存在としての人間、ということを考えれば、素朴に想定できる。かつてならば、それは自然や人間関係の中で啓発されてゆくことがほとんどだったのに比べて、今やあらぬ情報、手もとで処理しにくい刺激の中でうっかりと、当人の自覚も覚悟もまだ薄いままに切り開かれてしまう部分がある。ものに感じやすいことがどのような形式に表現されるのか、についての選択肢が多様化してしまっているのだ。

 とりわけ、それが消費生活の方向にだけ特化されて切り開かれることは、近年の特徴だろう。早くから身のまわりの“もの”に関する「趣味」が宿り始め、小学生ですでに化粧やファッションに興味を持ち、メディアとの関係で消費行動になじんでゆくいまどきの子供たちは、あの時、宮崎勤の手にかかった被害者たちの正当な末裔である。そしてそれは、「妹」という形象がそれまでとは違う意味をはらむようになってきたことにも、関わっている。

 

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 柳田國男に、「妹の力」という文章がある。

 初出は、大正一四年十月の『婦人公論』。同名の単行本としてその他の論考と共に昭和一五年、創元社から刊行されてもいる。民間伝承=フォークロアの中で、女性の力がどのように表現されてきているか、についての彼の一連の考察のひとつだが、この中に、当時、兄と妹の関係がそれまでと変わってきていたことについての言及がある。

 何年かぶりで帰郷(兵庫県の布川か)した体験から説き起こし、しばらく見ない間に郷里の風景や人の様子がずいぶんと変わってしまったことに触れて、自分のような出郷者から見るとそこに棲んでいる人たちの気づかない変化が案外に眼につくものだ、といった話をする。それに続けて、こんなことを言っている。

「それからまだ一つ意外であった話は、兄妹の親しみが深くなって来たと云ふことである。其中でも兄が成人するにつれて、妹を頼りにして仲よく附合ふことは、今は殆ど世間一様の風であって、しかも以前には丸で知らなかったことであると云ふ。

 女が眼を大きく見張るようになった。「自分の家にも多くある女の児の仲に、兄が自動車さんなどと綽名を与へた、目の大きなのが一人ある。之に就いて実験して見ると、結局は大きくも小さくも出来る目を、頻々と大きく見開いて居るのであったことが判った。」 それまでの女のように極力感情を表に出さぬようにしていれば、「始終伏目がちに、額とすれすれに物を見るやうにして居る風」が当たり前だったものが、今は「時あって顔を昂げ、まともに人を見るやうな態度を是認するに至って、力ある表情が始めて解放せられた」のだと指摘し、それは明治以降、人の移動が盛んになり、世間を見てきた者がムラの中に立ち混じってきたことの影響だろう、と説明する。

 以前までならば女のうなじが「見られる」視線のポイントになっていたのに対し、「病気ででも無い限りは前こごみの、伏目受け口などであるく娘を見かけず、何れも襟を掻き合せて頭を天然の高さに復し、前に現はれる物なら何でも見やうとする態度」が顕著になってきた、と指摘し、それが教育の効果であり、兄と妹の間の距離が縮まったのもひとつにはそういう理由もある、と示唆する。そして、こう続けている。

「ところが今日の物知りには、卑属なる唯物論者が多く、此の如き兄妹間の新現象を以て、単純なるエロチシズムの心理に帰せんとし、一方には又常習の悲観家なる者が之と合体して、往々にして之に拠って解放の弊をさへ唱へんとするやうに見える。

 いわゆる学者とは違い、常に〈いま・ここ〉との関係で、言い換えれば読み手も含めた情況という文脈を考慮してものを書くことを課していた柳田のこと、この一節は、当時、ある程度社会問題化していた「近親相姦」の問題を前提にしてのこと、と見るのが自然だ。逆に言えば、柳田がこういう書き方で言及するくらい、兄と妹の間の関係にそのようなエロスも含めての変貌が始まっていた、ということでもある。家庭生活の中で、新しい教育を施され環境から刺激も受けた若い女性を先頭に、それまでの女性とは違う内面が宿り始めていて、妹が兄の顔をしっかりと見るようになっているのも、そんな変化の反映なのだ、と。

 当然、そのように「見られる」兄の側にもそれまでと違う意識が生まれるわけで、そのようにして家族の中の性的な領域が新たに問題化してゆくわけだが、けれども、それを「近親相姦」などとすぐに直結して説明したがる「今日の物知り」たちとは一線を引き、あくまでも人間存在の向日性の部分で語ろうとするのが柳田流、だ。そして、自身が旅先で得た、こんな見聞を紹介してゆく。

「地方にも珍しい富裕な旧家で、数年前に六人の兄弟が、一時に発狂して土地の人を震駭せしめたことがあった。(…)何でも遺伝のあるらしい家で、現に彼等の祖父も発狂してまだ生きて居る。父も狂気で或時仏壇の前で首を縊って死んだ。長男がただ一人健全であったが、重ね重ねの悲運に絶望してしまって、縷々巨額の金を懐に入れ、都会にやって来て浪費をして、酒色によって憂を紛らそうとしたが、其結果は是もひどい神経衰弱にかかり、井戸に身を投げて自殺をしたと云ふ。(…)発病の当時、末の妹が十三歳で、他の五人は共に其兄であった。不思議なことには六人の狂者は心が一つで、しかも十三の妹が其首脳であった。例えば向ふから来る旅人を、妹が鬼だと謂ふと、兄たちの眼にもすぐに鬼に見えた。打殺してしまはうと妹が一言謂ふと、五人で飛出して往って打揃って攻撃した。屈強な若い者がこんな無法なことをする為に、一時は此川筋には人通りが絶えてしまったと云ふ話である。*3

 精神科医ならば、症例研究などでこのような事例に接しているだろうし、医学的な説明もそれなりにつけられることだろう。だが、それらとはまた別に、人の心、内面といったものがどのようなからくりでかろうじて支えられているものか、というあたりの事情について、違う角度から見ることも必要だろう。

 今回の事件で、取材の現場などからは、あらかじめ起動されたメディアの文法とはずれてゆくようなディテールも、もれ聞こえてきた。たとえば、親の側からの歯医者になることへの強制はそんなに強くはなかった。むしろ、当の次男自ら歯科医になることを自分望んで課していたようなところがある。遺体を発見した父親が警察に通報してきた段階で、殺したのは次男だ、と直感していた、とも。ということは、兄妹の不仲は親もわかっていたはずだ。けれども、その「不仲」の内実が、いまや性的な領域までも平然と含んでしまいかねない〈いま・ここ〉についての理解は、おそらく乏しかったのだろう。

 父親が62歳、母親が57歳。子供たちの年齢からすると高齢である。二十歳前後の次男と妹は、母が三十代半ば以降、父親が四十代になってからの子供ということになる。少子化が進んでいる昨今、上に兄弟のいない家ならば、この年代の子供の両親は四十代が大方だろう。その意味でも、現在の情報環境に対する鋭敏さは両親の側に乏しかったとしても、致し方のない面はある。だが、そのような「場」にこそ、うっかりと〈いま・ここ〉は宿ってしまう。 

眠が思ひ掛けぬ夢を誘って来るやうに、無心に生活の営みを続けて居ると、却って端々から昔の「日本人」が顔を出すのを、今までは単に心付き考へて見る者が無かっただけでは無いか。我々が新たな時代の癖、又は突発した奇現象と認めて居るものの中にも、由緒あり因縁があって、しかも学問の力の今なほ之を解説し得なかった類が多いのではあるまいか。

 また、DV(ドメスティック・バイオレンス)というのも、今回の事件を考える上でのもうひとつの糸口として言われている。これについてもまた別途、考察が必要だが、この場でひとまず指摘しておかねばならないのは、いまや、家庭内でのDV(ドメスティックバイオレンス)は、巷間、想定されがちな男から女に対する暴力、というだけではない、ということだ。逆もまた確実にある。女の側から男に加えられる暴力。それは、言葉による罵倒や中傷から、日常的にストレスを与え続けるような関係性による抑圧などまで含めて、「暴力」の語彙通りの間尺とはまた別のキャパシティをはらむようになっている。

 事実、もうひとつの、胴部が新宿に遺棄されていたバラバラ事件の方でも、夫からDVを受けていた妻が恨みを爆発させての犯行、ということが明らかになり始めている。だが、留意しなければならないのは、いくらDVの被害にあっていたからとは言え、女性の側から男性を殺害し、とりわけ遺体をバラバラして異なる場所に捨てるまでの暴力性というのは、これまではあまり見られなかった、そのことだろう。

 「東京」の「両親が歯科医」の子弟、ということから想定されがちな放埒さ、裕福ゆえの甘やかし、といったありがちな属性は、報道の現場からもれ伝わる話の限りでは、次男にもあまり感じられない。いや、性格的にキツいところがあった、言いたいことを言い過ぎる性格だった、と言われ、家庭内でもトラブルメーカーだったふしもある被害者でさえも、中学校から高校、短大、バイト先とその経歴をたどってゆくと、具体的な生活圏としては意外なほど狭かったことがわかる。自己実現をめざし、グラビアアイドルにあこがれ、一説には水商売のアルバイトもして、時に援助交際まがいのことまでほのめかしていた、と伝えられるような「内面」の広がり方と、日々の実際の生活圏としての狭さとが、果たしてどのように均衡をとりにくくなっていたのか、そして何より、家庭における「妹」という立ち位置が、「兄」(長男も含めて)との関係でどのような葛藤や桎梏をはらむようになっていたのか。

「22歳で皆が知っている存在に」と人生設計し短大の後に週3回、芝居の稽古。裕福な歯科医の娘として育ったため、田舎から上京した演劇仲間との価値観のギャップでトラブルがあったほか、家族関係の悩みを周囲に吐露していたという。

 

負けん気が強く、ストレートにモノを言うタイプ。関係者は「プレゼントをもらったとき『もっと早く欲しかったよね』と言ったことがあった。なぜありがとうが言えないのか。その一言が人を傷つけるときがあるから毎日メモしなさいと何度も注意した」といい、発言が招いたとされる事件には「こんなことになるとは」と話していた。」

 今回、事件の報道にからんで世間の側が反応した前提に共有されていた、漠然とした居心地の悪さとは、間違いなくそのあたり――兄と妹、という関係の現在、そしてその外延としての家族という「場」のありようと、そこにはらまれる性的な領域も含めた日常の関係性がいま、どのように制御する仕掛けを失ってしまっているのか、などに、きっとまっすぐつながっている。そしてそれは、かつて柳田國男が一見迂遠なやり方で同時代に示そうとした「歴史」の問いとも、今の時代なお、密接に関わっている。

*1:king-biscuit.hatenablog.com

*2:

*3: たとえば、こんな「おはなし」を想起せざるを得ない。