競馬にも社会保険庁が

 社会保険庁の問題が、俄然、世間を騒がせています。ご存じの通り、社会保険庁というお役所が何十年にもわたってまともに仕事していなかった、組織が機能していなかった、ということですが、より重要なのは、問題にうすうす気づいていながら自らそれを解決しようとまるでしないまま先送りを続けていた、そうせざるを得ないような仕組みに組織ぐるみなっていた、まさにその点でしょう。

 いまさら驚くことでもない、「戦後」の構造の中での「お役人」というのはそういうもの、でした。道路公団から郵政、そして社保庁と、問題の根は基本的に同じところにある、そのことをもう、国民の多くははっきりとわかり始めている。

 百万回でも声を大にして言います。こういう「お役所仕事」の腐った構造、競馬の世界でも全く同じです。上は農水省からJRA、地全協、下はそれぞれの競馬主催者から関連団体に至るまで、規模の違い責任の軽重はあれど、組織としての腐り具合は見事なまでに共通している。

 今回、そんな組織の責任者であるべき歴代の社会保険庁長官たちにはいわゆる天下り組がずらり、一、二年ほど椅子を暖めるだけで何千万もの退職金だか慰労金だかをふんだくってはまた次のポストへ、という経緯も、報道で明らかにされています。それだけでも、一説にはざっと九億円とも。ならば試しに同じことを、もうずっと経営不振にあえいでいる地方競馬の各主催者団体から地全協の類でも、ぜひ明らかにしていただきたい。何かというと賞金や手当てから削減し、馬のそばで生きる者たちにばかりしわ寄せをして恥じない、そんなこれまでの「お役所競馬」のやり口の背後でどんな不公正、不正義がまかり通ってきたのか、全国の厩舎関係者、競馬を仕事としている人たちは誰もが広く知るべきです。

 個々にやる気のある人はいる、もちろんそうでしょう。個々の想いはある、競馬を何とかしたいと思っている、それも仕事のこと、当然でしょう。けれども、そんな人でも今の組織、今の制度のまま競馬に携わっていては、どんなに誠実に悩んでみてもどうしようもない、それも厳然たる事実です。何よりも、彼ら組織の職員は競馬がなくなっても困らない。たとえプロパーの職員であっても、つぶれた競馬場では退職金の類をきっちりもらえています。主催者との間に雇用関係はない、だから「補償」の責任はない、という「中津方式」以来、放り出されるしかない厩舎関係者とはわけが違う、立場が違う。このことを絶対に忘れてはいけない。

 昨年度、存廃騒動が持ち上がり、紆余曲折のあげく何とか今年度も競馬を開催しているばんえいと岩手ですが、最初の四半期を終わって、「民営化」で精力的に予算削減、施設の改善や外国人観光客の誘致など、身軽な動きで話題づくりをして現状、何とか数字的に黒字で推移させているばんえいに対して、県の負担分を奥州市盛岡市にさらに肩代わりさせることでかろうじて踏みとどまった岩手は経営状態が改善せず、主催者側はどうやら七月からの第二四半期の予算でさらに6~7%の賞金・手当等の削減を考えているようです。厩舎側は当然、反発するわけですが、この欄でも何度も触れているように、とにかくこの岩手、動きが鈍すぎます。首の皮一枚で存続が決まったにも関わらず、その後大きな動きも見えず、広報やイベントなどはいろいろやっているにせよ、主催者側の抜本的な人員削減、経営体質の改善への動きが全く見えないまま。同時に、むしろこっちの方が僕は問題だと思っているのですが、厩舎側からも具体的な動きが何も聞こえてこないていたらく。このままだと四半期ごとにまた存廃が言われ、ヘタしたら年度内にまた立ち往生もあり得る、とにらんでいたのですが、案の定、です。

 年間まだ二百億も売り上げていながら、赤字になるわけがない。主催者および関連団体が自ら血を流して死にもの狂いの姿勢を見せる、そうすることで初めて地元の支援も共感も獲得できるのに、ほんとうに岩手競馬だけは、申し訳ないですが、絶滅寸前の恐竜もかくや、という鈍感さに見えます。

 一応、存続が決まってしまったので、アリバイ的に小さな努力をしてるふりをしながら、経費削減で首をしめてゆき、厩舎側から「こんな賞金や手当では、もう競馬はやりたくない」とお手上げ宣言が出てくる、それを主催者は待っているのかも知れない。これまで彼ら「お役人」たちの競馬場のつぶし方の手口を現場でつぶさに見てきた僕などには、今回もまた、そのような「伝統芸」が発揮され始めているように見えて仕方ありません。