競馬場の「常民」、のこと

 日本の「地方」に骨がらみになった「他力本願」のすさまじさを、あたしは地方の競馬場をのぞき窓にして見てきました。

 それは日本の庶民、「戦後」という時代の中で醸成されてきた日本という国の国民たちのある最大公約数が、どのような気分、どのような意識で〈いま・ここ〉を生きているのか、についての、何よりもわかりやすい生態展示だったような気がしています。

 世間の多くはバカである。俗物である。近代以前の社会はいざ知らず、文明開化の後、情報環境が変貌し、大衆化が進行してゆく中での「世間」とは、そのようにバカの遍在を思い知ってゆくこと、だったかも知れない。

 ムラならば、民俗社会ならば、世間とは〈いま・ここ〉の向こう側にある意味、漠然と広がる形象でしかないだろう。それは「あの世」ともあいまいに連なっているような、自分の生の場とは違うどこか、という意味で共通してもいたはずだ。「唐天竺」なんてもの言いにしても、「世の中」とそんなに距離感が違っていたとも思えないし、同時に地獄の絵解きなどの〈リアル〉にしても、それらの形象と重なり合って意識されていたのだと思う。