沖縄「11万人」騒動、余波

 これぞ「格差社会」の現実、かも。いや、収入や学歴、ではなく情報環境による格差、ですが。中央と地方の間に横たわるようになっているメディアリテラシーの深刻な格差が、ほら、眼前にまざまざと。

 沖縄の「集団自決」が「軍の強制」だった、という教科書記述を削除するかどうかをめぐって、先日現地で開かれた県民集会の参加人数が「11万人」と報じられていた件、です。その数字って水増しじゃないの? という素朴な疑問が主にインターネットを介して提起され、寄ってたかっての「検証」沙汰で疑惑はさらに拡大中。県庁以下、地元自治体が半ば業務のような形で「協力」し、まるで県民の義務のような空気さえつくられていったこと、本土から大挙して「運動」団体が動員されていたこと、なども暴露されつつある。まあ、この種の政治がらみの「運動」には立場を問わずつきものの仕掛けなわけで、関係者には「何をいまさら」でしょうが、でも、事実かどうかも含めて、そういう政治がらみの舞台裏が判断材料として国民同胞に広く知られるようになるのは、まさに「情報公開」。ネット環境の普及がもたらした新たな「民主化」の一端です。

 なのに、地元沖縄のメディア以下、その「11万人」を公式発表として広めてまわった自称「良心的」で「リベラル」なあの新聞、このテレビ局は軒並み、疑惑をひたすら黙殺。居丈高に「格差社会」を糾弾、中央/地方の平準化を唱えながら、おのれに都合のいいこういう「格差」は放置温存なわけで、二枚舌もここに極まれり。そんな彼らこそが他でもない、当の沖縄県民を、その戦争体験も含めた「歴史」を最もバカにしています。

 今回の「11万人」公式発表という事態もある意味、かつての「集団自決」と共通の背景で起こったことかも知れない――そんな、そうそう変わりようのないわれらの“ココロの習慣”の水準もまた、真の「歴史認識」の一環として重要なはず、です