再度、「外厩」のはなし

 前回、この場をお借りして「外厩」についての話をさせていただく機会を頂戴してから、半年以上の時間がたちました。その間、ご承知のように、ニッポン競馬をめぐる環境自体に、それまでにない大きな変化がいくつかありました。

 その中でも、大きなものがふたつ。まず、ここ数年来懸案だったいわゆる「外国人馬主」が事実上、正式に認可されたこと、そしてもうひとつは、いわゆる「クラブ馬主」がJRAのみならず、地方競馬においてもその名義のまま所有馬を出走させられるようになったこと、です。

 「国際化」の名の下に、大きくはここ20年以上、ニッポン競馬はさまざまな変化にさらされてきました。外国産馬の出走制限の緩和から、国際招待競走の設定などを経て、今回の「外国人馬主」の認可までこぎつけた。と同時に日本産馬や日本調教馬が海外に遠征する際のハードルも低くなってきているわけですから、「国際化」もその程度には相互性はあるのですが、とは言えすでに、国内で一定の地盤を確立しているのではない、純粋に海外在住の外国人馬主に対する資格認可の是非も問われ始めていますし、また、その先には、外国人調教師の認可についてもいずれ視野に入ってくるのは確実でしょう。

 「外厩」の問題にしても、このような「国際化」の大きな流れの中で考えられるべき、ということは前回でも触れました。国際標準=グローバルスタンダード、の中でニッポン競馬の将来を考えようとするのなら、それは避けられないものです。

 敢えてわかりやすく単純化して言うならば、まず「外厩」制度の導入によって、少なくともJRAに関する限り、馬主にとっては預託料など、馬の維持に関わる経費の軽減が期待できます。せいぜい今の南関東地方競馬程度の預託料でJRAに出走させられるようになる、と言われていますし、いや、それ以上の圧縮も可能、という意見さえ一部にはある。競馬を支える馬主経済の状態をわかりやすく示しているのは、預託料と出走手当と賞金との三角形、だと思うのですが、このバランスが崩れてゆくことがその競馬場の経営状態の危機とかなりの程度比例している。ここ十数年の地方競馬については、明らかにそうです。JRAについても同じことが起こり始めている。そんな中で「馬を持つ」こと自体にもう意欲を持てないような環境になり始めているわけで、売り上げの低下と共にこちらもまた、競馬を支える条件についての最も重要な危機のはずです。

 これらを根本的に改善しようとするならば、「内厩」制度を根幹に「管理競馬」をやってきた、少し前まではそれでおおむね問題なく運営されてきたこれまでのニッポン競馬のありかた自体にまで波及せざるを得ない問題になってきます。「外厩」問題の先には、そのような「戦後」のニッポン競馬自体の「構造改革」が大きな課題として控えています。 戦後半世紀以上の間をかけて、JRAに代表される「管理競馬」「お役所競馬」を発展させ、世界にまれに見る通年開催システムと、それを支える莫大な売り上げを確保できる「国民的規模での大衆レジャー」としての競馬のありかたを作り上げた、それは間違いなく胸を張っていいことです。しかしその一方で、その競馬は日常生活の中から馬という生きものをわずか数十年でほぼ駆逐してしまった社会で達成されたということ、その特殊性、世界から見た異様さについて、もっとわれわれ自身が自覚しておかねばならないでしょう。

 その意味で、昨年度の「存廃」危機から土俵ぎわで踏みとどまり、競馬法改正を受けて「民営化」の経営形態を模索しながら、今年度、ナイター導入などしながら頑張っている「ばんえい十勝」のありようこそが、むしろ競馬の国際標準、世界における競馬のものさしにより近いものになっているかも知れません。何より、他の地方に比べて北海道、特に道東には草ばん馬の伝統が生きていて、夏場には毎週どこかで大会が開かれている。また地元の、少なくとも六十代から上の年配の世代には、暮らしの中に馬がいた頃の記憶がまだしっかり活きている。そのような背景、地元での下支えがあって、初めて競馬も文化として維持できることを、今の「ばんえい十勝」が身をもって示してくれています。

 「外厩」もまた同じこと。単なる制度として「外厩」をとらえるだけでは、それこそ預託料の軽減やJRA以下の「内厩」利権を牽制する方便として理解されるのが関の山。そうではなく、「外厩」を考えることで、それを介して今のわれわれの競馬、ニッポン競馬の〈いま・ここ〉を広い視野で見ることができるようになる、そしてそんな認識と共に馬を持つ、競走馬を所有することで、それら文化としての競馬に寄与しているという誇りと責任を感じることができる。「馬主」(うまぬし)というもの言いもまた、そのような内実を備えて初めて、これからの競馬により良い関わり方ができるのだろう、と思っています。