電網恢々疎にして漏らさず

 「事件は会議室で起こってるんじゃない! 現場で起きてるんだ!」というのは、お台場のテレビ局がドラマの手癖でこさえてみたら、あらま、意外にも大ヒットで得手に帆を揚げシリーズにまでなった、映画『踊る大捜査線』の主人公青島刑事の名調子。エリートと叩き上げ、管理業務と現場、どんな仕事の場でも常にあるせめぎあいは、いつの時代も共感を。

 その伝でゆけば昨今は、「事件は現場で起こってるんじゃない、ネットで起きてるんだ」になるのかも知れない。逆、ではないのか、といぶかる向きもおありだろうが、これでいいのだ。少なくとも、ネットと日々当たり前のようにつきあうようになった身にとっては。

 たとえば、あまりに多くの事件が日々流れてゆくので忘れられているだろうが、少し前、千葉県市川市はJR市川駅前に建設中の45階建て超高層マンションで発覚した「鉄筋不足」の偽装疑惑の一件。 施工がゼネコン大手の清水建設だったのに、というか、だから、というか、事件そのものはそれほど広まらないままメディア的にはうやむやに。

問題のマンションは、市川駅南口駅前の再開発地域に建てられている2棟のうち、西側の「ザ・タワーズ・ウエスト プレミアレジデンス」(高さ約160メートル)。 1~3階は図書館や託児所、商業施設など、最上階の45階は展望ラウンジで、4~44階が計573戸の分譲マンションと地権者住宅になる。着工は2005年8月。 09年1月に完成し、同3月に入居開始する予定で、事前予約では既に全戸に申し込みがあるという。

http://news.www.infoseek.co.jp/top/story/20071107it01/

 けれども、電網恢々疎にして漏らさず。何か事件が起こり、そのできごとに関してさまざまな反応、応答がさまざまな方向からさざ波のようにわき起こってくるのが世の中の常。まして今やインターネット、文字通りの「網の目」にひっかかってくる微細で具体的な断片の中には、一見がらくた、石ころにしか見えないようなものでも、じっと手もとでふるいをかけてみるならば、それなりに吟味しておくべき同時代の何ものか、が含まれていたりする。

丸投げの現場監督でしたので図面をわたすの忘れてましたw

中間検査が有るからばれないように指示するのを忘れてましたw

今までばれなうようにうまくしてたのに、あり得ないことにバレタだけ

図面上必要な?数の鉄筋を資材屋に発注しておいて半分だけ荷下ろしし、残り半分は新品のままスクラップ屋に売却して飲み費用にどこの現場でも普通に見られた光景ですなあ。 ま、10年前なら何の問題も無かった訳だがwww

清水建設の情けない、いい訳について【今朝の読売新聞にて】

?鉄筋業者の責任 ?担当業務の責任

で終り。これが日本をリードしている会社かと思うと情けないね。 単なる清水の施工システムの問題じゃないの?と思う事件であるがどうだろうね。

俺なりに考察してみたよ。 まず鉄筋の職長は毎日分刻みのスケジュールでこっち行ったり、あっち行ったりと清水担当者に毎日過度に立会につきあわされ、鉄筋、配金検査をマニュアル通りwに検査を実施し、さらに過度に職長にプレッシャーを与え、加工人、末端作業員、サブリーダーに指示する時間さえも奪っていた。 現場で職長がいちいち本数のチェックをしている時間など全くなかったのではなかろうか?多分在庫確認もできてないよw 重箱の隅をつつくような安全作業ばかりで、それに伴う書類の嵐、施工の段取りで精一杯。 明日の段取りの調整も全然間に合わない状態だと思う。そして施工事後にここは被りが3mm足りないから全部直せとか、職員、大工の墨出しや型枠の位置が明らかに前回と違うのにね・・生コンに押されて位置をずらしていることが多いね。

実際、施工を知っているものならこの鉄筋不足は致命傷だとわかるはずだ。なぜなら後でD51をつけて終わりではないからね。 正規の容積(柱寸法)を基本的に守らなければならないなら、もう現実的には補強は無理。 主筋、梁はもう圧接してるからね。フープより外につけるなんてのも無理w。許容せん断抵抗、被りが取れないからね。 そもそも梁にからんでない時点で補強のアイデアも多分こじつけになるし、無理だよw もう清水は完全に袋小路に入ってる状態だね。

まあ世の中は手抜きとかいう判断で動いているだろうけど、 全くそんな意図はない。これは間違いなく言えるね。 ほんと現場で働いている人は朝早く、夜遅くまで一生懸命働いているよ。 だから清水担当者、鉄筋業者の人間とかもある意味彼らも被害者なんだよね。 (…)清水のシステムの煩雑さ、組織の硬直化が現場の人間の心の余裕を失わせていることだけは間違いない。 昔みたいに職員も手足を動かしいい汗をかけるような現場が本当の現場だよ。

 「内部告発」などと大上段に振りかぶらずとも、いや、振りかぶらないからこそ吐露されてしまう何ものか。あるひとつの現場とそこで起こった事件ではあるけれども、その細部から引き出される「問題」は笑ってしまうくらい、いまのわれわれの生きている世界、この日本のどこででも起こっていることと通底している。そのことを、天下国家に届くようなご大層な言葉やもの言いによってではなく、普通の立ち話、呑み屋のやりとり、携帯での愚痴の水準で、リアルタイムに淡々と共有されてゆく。それこそがいまどきのネットという「場」、そこに宿り得るがらくた、石ころ累々から察知される「いま」という時代の手ざわり。

 無限連鎖のごとく思える、最近の食べものがらみの「偽装」疑惑についても同様。コンプライアンスだ、法令遵守だ、という「正義」が自動的に事件を発見してゆくシステムがマスコミに実装されていることと対応しながら、こんな「いま」もまた、静かに共有されてゆく。

大手メーカーのクリスマスケーキは成型したら冷凍。予約日・販売日にあわせて自然解凍、いちごをつけて売るんだよ。原料リサイクルはないにしても、どんな原料はいってるかわからんものを1ヶ月も前に作ってる。狭い脳内領域で妄想してったらキリがない。

居酒屋でバイトしてた経験から言うと、基本的に「俺が食うわけじゃねーしwww」ってのが

食品関係の現場で仕事してる奴らの共通認識だと思う。 だからして、少しくらい床に落ちようが、ハエが止まろうが、前に出された料理のカスがこびり付いていようが、頓着しない。

何処の会社かも知らないが、知り合いは包装済の贈答用の牛肉に松阪牛とかブランドの書かれたシールを貼るバイトをしたが、松阪牛以外に米沢牛など有名どこのシールが沢山あって、それらを好きなように貼れと指示されてたと。 こんなことは極一部の悪徳会社だけと聞いた当時は思ってたのになー。それにしても何処の肉だったんだろうか。

お前ら考えて見ろよ、日本全国次から次へと偽装が発覚していって一巡し終えた頃、全ての企業が一寸の嘘も無く正直な商売しだしたら、間違いなく今までの様な安さや便利さは無くなるぞ。 まあ、偽装発覚で騒がれた企業でもほとぼり冷めたらある程度はまたやり始めるだろうけどなw

 しょせん世の中そんなもの、自分に被害が及ぶのでない限り、どんな事件も災害も、いや戦争でさえもつきつめれば他人ごと。その一点を握って手放さないようにするのも、また「名無し」で生きてゆくための智恵のひとつ。もちろん、学ぶところは学び、記憶するべきは記憶する。同じ公式報道、マスコミの中でもこんな断片もまぎれているのだし。

現在のように、製造日でなく「賞味期限○年□月△日」などの「期限表示」に移行したのは一九九五年からです。 きっかけはアメリカの圧力でした。日本に輸出する食品に製造日を表示すると、輸送日数などで日付が古くなり消費者が敬遠するから「非関税障壁」だと主張、欧米に合わせ期限表示にせよと要求したのです。 日本の大手食品業者も同調しました。日本共産党は製造日表示をやめることに反対し、復活を求めてきました。

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik3/2004-01-29/20040129_faq.html

流石赤旗。こういう小さいところに関しては下手な報道機関よりよっぽどマシ。

問題はマクロになればなるほど腐ってくる事かww

 あるいは、東京駅発の夜行寝台が来年度のダイヤから、大幅に削減されるという、それ自体は何でもないささやかな社会面での小さなニュース、に関しても。

消えゆく東京駅発ブルトレ 「銀河」来春に引退

 「ブルトレブルートレイン)」の愛称で親しまれてきたJRの寝台列車が、09年春にも、東京から西へ向かう路線から姿を消す可能性が高まっている。利用客の減少が主な原因で、ほかの路線も同様の事情を抱えている。一部の豪華列車を除き、将来的には廃止の方向にあるという。(…)新幹線や飛行機、夜行バスに押され、「利用率が低い」のが廃止の最大の理由で、「車両が老朽化している」「夜間の要員確保が難しい」などの事情もある。JR東日本の調べでは、JRが発足した87年のブルトレ利用者数と比較すると、東京から西へ向かう路線全体の利用者は05年には21%にまで落ち込んでいる。

 俗に「鉄ちゃん」と呼ばれる鉄道マニア、おたくの類が反応するのは当然として、しかしそれ以外の層、ごく普通に鉄道を利用し、列車に乗ってきた者たちの声が、澎湃としてそこここに……それほどまでに鉄道は、いまの日本人の記憶に深くからみついている表象らしい。

出張の準備で9時半まで働いて、弁当と酒買い込んで銀河に乗って、名古屋あたりまで酒飲んで、朝起きて東京の八重洲の温泉で即仕上げのクリーニング出して、出来上がるまで風呂でまったりして、会社の本部会議に出陣して、 重役から突き上げられるのが私の月課なのだがw

消防の頃一人で乗った事がある。ブルートレインに乗ったのはそれっきり。

家庭が荒んでて、爺ちゃん婆ちゃんのいる神戸へ宮崎から家出した時に一度だけ。それきり宮崎には帰らず神戸で成人したけど、ブルートレインを見る度にあの頃を思い出してしまう。田舎の寂し気な灯りや賑やかそうな街の灯りを眺めながら、故郷や友達から離れて行く淋しさで涙した事を。その思い出も消えるのか(´・ω・`)

いい日旅立ちの時代、飛行機より安いので夏休み帰省の際は「はやぶさ」でした。狭くてよく揺られた。当時小学生だった私は、寝台2段ベットの上の狭い小窓から見る朝もやの田園風景を鮮烈に記憶しています。ブルートレインの下敷きも流行りました。

JR全体の過疎化も問題だよなぁ、漏れの田舎は中国山地の山奥なんだが、交通手段は新幹線+高速バスにほぼ限られる。例えば夜行で県庁所在地まで行っても、そこから先が動けない。末端の輸送経路が無いんじゃなぁ・・・

 あるいはまた、全国の大学で夜間過程、いわゆる「夜学」が絶滅寸前になっている、という報道に関して。

消えゆく夜学の灯 志願者、勤労学生減 大学募集停止へ

大学の夜学のともしびが急速に消えている。すでに廃止した私立大が多いが、国立大でもこの数年で募集を停止する動きが目立つ。働きながら夜間に学ぶ「苦学生」が減っている事情や、04年度の法人化で大学が厳しい経営努力を迫られていることが背景にある。

 来年度の夜学の募集をやめたのが大阪大外国語学部(旧大阪外国語大)、神戸大経済学部、千葉大工学部(都市環境システム学科)など。和歌山大経済学部、横浜国立大工学部、岐阜大工学部などはすでに募集をやめ、今春から入学者がいない。 名古屋工業大工学部の第二部は、来春の入学生の募集定員を、今年度の140人から20人に一気に減らす。

働きながら大学いきたいと思ってるのになんてことしてくれるんだよぅ。

でもワープアで貯金が殆どできないから学費なんて払えない・・・・ 。・゚・(ノД`)・゚・

昭和30年代とかには旋盤工とかしながら夜学の法学部とか、通信教育で定員今よりはるかに少なかった司法試験にえらいたくさん受かってたのが信じられんわな。

うそかほんとか知らんが当時司法試験トップだった大学は、夜間からの合格者が三分の一ぐらいいたとか(たぶん大げさな話だとは思うが)

うちの大学の夜間には税理士とか看護婦とか色々な職業の人がいて面白かったよ。公務員はやっぱり多かった。あとは電力会社、都市ガス勤務みたいな人もいた。

働きながら勉強と言っても、今の時代の職場の奴からすれば、

キモイ 、その分仕事しろ、俺ら出し抜いてどこへ行くつもりなんだ、オメーにはどうせ無理だよpgrwwww 

とか、ネガティブな感情でしか見られないんだろうなあ。高度成長期なら他人の夢を自分の夢として捉える余裕があったと思う。

 そして、年の瀬に向けて一気に政局を左右するイシューになってしまった、防衛省武器調達に関わる贈収賄で話題の元防衛事務次官、あの守谷夫妻に対しては、こんな泣き笑いなやりとりが。

訓練の度に『昭和52年購入』の飯ごうでメシ炊きやらされてる自衛隊員全員にあやまれ、カス。

隊員より飯ごうの方が年上かwww

たぶん小隊で一番飯ごうが年上です(笑)  古過ぎてへこんでボロボロなのに飯ごう一個すら節約で買ってくれないのに………なんなんだこの夫婦どもは。 腹立たしい。

 たぶん、「世論」という単語に膨大にはらまれるはずのさまざまな“あや”や“気配”といった部分について、決してそうと目指したものではないにせよ、結果的にふと察するような瞬間に出会わせてしまう、いまのインターネットとはそんな「場」でもある。もちろん、客観性とか科学性とか、型通りの論理や数字、賽の河原の石子積みのように構築されてゆく果てに見通せる確かさとは、そもそも出自も本性も違うものではあるのだが、それでも時には無視してしまえない何ものか、がそこに宿ったり。

 既成のマスコミ、これまでの情報をめぐる環境の中で共有されてきた情報のあり方とは、なるほど少し別ものな、かつては身のまわりのよしなしごととして口にし、聞き流していたようなことばの水準が、高速回線を介して共有される。ハイテク化された井戸端、先端のIT技術を駆使した縄のれん、はたまた通信リソースとバーターの先進国ならではのハイパー無駄ばなし。

 しかしそれらが下敷きになって、初めてほんとうの意味での天下国家、おのれの未来、家族の先行き、同胞の行く末をかろうじて自分ごととして手もとで思うための素地も整えられるのだろう。少なくとも、日々ネットとつきあうようになってからは、そう思うようになった。新聞などというものも仕事としてももはや手ごたえのないたよりないもので、日々の業務は流れ作業でこなしてみても、さて、ふと我に返って改めて感じるのはそんな仕事で今を生きることのそこはかとない寂寞。

格差は大いに結構。営業ならば並の2倍、3倍も仕事を取ってきたものにはそれなりのボーナスははずむべき。ところが構造改革、競争路線になってから生活保護者と互角、それ以下の層が無茶苦茶増えてきた。格差どころか努力して並みの生活か貧困層化という社会が造られつつある。ケケ中は競争するほど豊かになるといってたけど、まったく逆だね。薄給の正社員がフリーターを馬鹿にすることで憂さを晴らす貧しい社会になった。

そもそも資本主義ってのが、創造力のある、向上心のある、出来る人間に有利に働くってのが妄想の産物。カルト並みの思考。それこそ共産主義の背中合わせの兄弟の、な。実際は金にあかせて、マフィアみたいのが好き勝手してるのが実際のところなんだが。 一昔前のITバブルでの暴力団フロント企業の面々を見てみろよw。

 十分に生きる、身ぎれいに暮らす、そして静かに老いて、逝く。何ほどのことはない、ただそれくらいのことしかこの世に望んではいないはず、なのだが、それでも、今のこの国、わが同胞のたたずまいにはそんなささやかな望みさえも、もう存分に受け止められるだけの余力や器量は感じにくくなりつつあるような。

 今からでもいいから共産主義にして欲しい。

 もしくは生まれた家の貧富の差は無い様に、相続税は限りなく100%に近いものにして、その分を新たな生命に均等に配分して欲しい。勝ち組、負け組みは同じスタート地点で始まったレースで言うならまだしも、圧倒的なアドヴァンテージを持ったやつが先行逃げ切りしてるケースも多いように感じる。

 だって進学塾に行けず、私立大学にも行けず、家から通える国公立しか選択肢が無く、やっと入学したと思ったら、365日バイトバイトバイト・・・。 それでも授業料が足りない・・・。文系に行けばよかっただろ!って言われても、上記以上に選択肢を小さくすると進学すら出きなかったし・・・もう何もやりたくないっす・・・。