グループⅠなんか返上しよう!

 さて、一年の最後に、改めて問いかけてみたいと思います。いったい何のためのグループⅠ、だったのでしょうか。

 少なくとも、馬券を買って競馬を楽しむファンにとっては、ほとんど関係がない。ミもフタもない言い方をするならば、何のトクもない話です。

 世界トップレベルの競馬が見られるようになる、ということも言われます。なるほど。でも、ならばジャパンカップはどうなったでしょうか。創設以来、すでに三十年近くになりますが、当初のアゴアシつきご招待の頃はともかくとしても、日本調教馬のレベルがあがって以降、ほんとに世界のトップレベルの現役馬がはるか日本までわざわざ参戦してくれているでしょうか。さらに、順次「門戸開放」してきたその他のGⅠは? どう見ても政策的な意図がわからなかった障害レースの方が、「国際化」の実があがっているようにも見えることさえある。

 何より、世界の競馬を見る「だけ」ならば、衛星放送その他を介して、見たいと思えば見る手だては今や格段に広がっています。野球の大リーグや海外のプロサッカーなどと同じこと。地上波ほどの需要はなくても、それ以外のチャンネルでのサービス規模ならば一定のファンやマニアは存在する。どんなスポーツでもその流れは同じことです。見る「だけ」ならば。

 ただ、競馬は見る「だけ」ではない。馬券が買えない、買って応援できない、楽しめないのではしょうがない。ファンのリテラシーをあげる、質を高める、という効用はあるかも知れませんが、しかし、JRAの売り上げについては、少なくとも直接には何の貢献もしない。つまり、普通の競馬ファンの最大公約数にとって、「国際化」は現状、具体的なメリットが少ないと言わざるを得ません。

 改めて言うまでもなく、競馬は文化です。文化ということは、それぞれの歴史や来歴、文脈というものがどこまでもついてまわるということです。アメリカにはアメリカの、フランスにはフランスの、イギリスにはイギリスの、アイルランドにはアイルランドの、オセアニアにはオセアニアの、ロシアにはロシアの、香港には香港の、それぞれの競馬があるということです。それと全く同じように、われら日本の競馬というのもある。当たり前です。いわゆる近代競馬導入以降、すでに一世紀以上、今の競馬に直接連なるJRA中心の競馬のシステムが整備されて以降に限ってみても、半世紀の歴史を持っている。けれども、そのことの本当の意味、文化/歴史としての真の価値について、当の競馬に携わっている人たちの多くは、残念ながらあまりよくご存じないままです。とりわけ、昨今「国際化」を声高に言いつのるような人たちの中には、そのあたりのことについてはっきりした認識も見識も、そして本来持つべき誇りや自信すらも持ちあわせていないように、僕の眼からは見えます。

 競馬の「国際化」とは、本来、そのような個別の文化、歴史を伴ったそれぞれの競馬のありようがあるということをまずはっきりと自ら自覚、認識した上で、「世界」のものさしの中でつきあうことを考えるということだと思います。ナショナルなもの、自分の文化のありようを認識するからこそ、その向こう側に広がる「世界」という、得体の知れないものにもはっきりと対処できるようになる。

 性急な「国際化」を推し進める側のもの言いや言説、そしてその背後に横たわる気分は、「国連」に対するそれとよく似ているように思うのは、果たして僕だけでしょうか。まず、抽象的な「世界」があり、それらが代表する「正義」がある、それは無条件に素晴らしいもので、そことつきあうこともまた否応なし、「時代の流れ」で「正義」なのだ、と。

 でも、「世界」がそんなにのっぺりとした一枚岩のものなどではないことは、他でもない、その「世界」を相手に競馬の舞台で戦い、仕事をし、つきあってきた現場の人たちは、肌身で感じてきているはずです。ミもフタもない個別の国や車体、それぞれの歴史も来歴も伴う文化が、利害や得失とに関わりながらせめぎあっている「世界」という場をリアルに知るためには、まず、うわついた言葉で「世界」をうっとりと語るような態度を棚に上げて、まず自分自身を、自分たちの競馬がどんなものだったのか、どんな過程を踏んで今のような形になってきたのか、について知らねばならない。そして、それをこそ「世界」に向って示せるようなことばと回路とを、少しずつ築いてゆかねばならない。

 だから、暴論と笑われるのを百も承知で、僕は敢えて、グループ?の返上、を提案します。年齢表記が変わり、GⅠがjpnⅠになり、競走体系やレース名までもが猫の目のようにくるくると変わってゆき、これまで競馬に関わり、競馬を楽しみ、泣いたり笑ったりしてきた無数の同胞の記憶までもが、どんどんないがしろにされてゆく――民俗学者としての僕には、今のJRAを頂点としたニッポン競馬の現状は、そうとしか見えない。

 折から、あのダーレージャパンファームが馬主資格の返上を決断しました。背景にどのような事情があるのか、いろいろ憶測も含めて言われていますが、ここではそれについては触れません。ただ、ひとつ言っておかねばならないのは、これで「外資」による「世界」の側からの“侵攻”が中断したと考えるのは大間違いだろうということです。「国際化」の流れはとめようがない。この僕ですらそれは全くそう思う。でも、だからこそ、どういう「国際化」がほんとうにニッポンの競馬の、競馬で生き、競馬を愛し、馬券を介してつきあってくれるファンのためになるのか、それをもう一度立ち止まって考える機会をつくらねばならないと思っています。