競馬の敵

 参院選も終わりました。六月初めに国会を通過した第二次競馬法改正法案にまつわる、さまざまな「改革」も、いよいよ具体的に動き始めるはずです。戦後半世紀にわたるニッポン競馬の「かたち」がどのように変わってゆくのか、見極めねばならない正念場です。

 けれども、この競馬法改正について、その趣旨や中味も含めて、未だにほとんどまともに報道されていないのは、さて、いったいどういうことなのでしょうか。予想沙汰にだけ明け暮れる競馬マスコミにいまさらそんな期待をするのが野暮なのでしょうが、それ以外の政治部や社会部といったセクションでも、こと競馬となると現場の事情がよくわからず「大本営発表」を右から左に流すだけになりがち。結果、断片的な情報だけが単発的に、それも脈絡なく出てくるばかりで、何がどうなってるのかさっぱりわからない、という声は現場にずっとくすぶり続けているというのが実情。何にせよ、いいことじゃありません。

 一方、自分たちに関わる法律がいじられるとなると、優秀なお役人のこと、抜け目なく動いてはいるようです。とりわけ、地方競馬が今のような状態に陥ってしまった最大の原因として、競馬監督課自ら「責任」を認めざるを得なかった地全協は、法改正を推進している競馬議連の方から「解体」の方針を明確に示されていただけに、法改正が正式に決定した後、南関東四場を皮切りに今回の法改正の趣旨を各主催者に自ら解説、説明しにまわっているようです。

 もちろん、それは彼ら競馬エスタブリッシュメントにだけ都合のいい解説、説明であることは言うまでもない。地方共同法人という新たな形に地方競馬の主催者を統合し、JRAのような主催権を持った形に改変する、という法改正の大枠にしても、どうにかして地全協の人間を横すべり的に温存、結果として骨抜きにしてしまおう、という、まあ、社会保険庁でも郵便局でもどこも同じ、この国のお役人たちのDNAがらみの自己保存本能が全開、のようです。

 そんなことはもう腐るほど見聞きしてきたこと、いまさらここで難癖つけるつもりは、ひとまずありません。ただ、再度大きな声で苦言を呈しておきたいのは、そんなこれまでの競馬の仕組みの系列通り、東京で椅子にふんぞり返っているお役人から流れてくる情報「だけ」を後生大事に鵜呑みにし、しかも、たとえ「大本営発表」であれ、それらの情報を現場の厩舎関係者に知らせないまま処理しようとしている、競馬場の主催者側職員たちの不誠実です。江戸時代じゃあるまいし、未だ「知らしむべからず、依らしむべし」で厩舎関係者をうまくごまかしていいようにできると思っているあたりが、僕などにはとても信じられません。

 もちろん、それら主催者側の不誠実と同じく、いや、もしかしたらそれ以上に、法改正どころか今、ニッポン競馬がどういう大きな変化にさらされようとしているのか、その中で自分たちの仕事の場、暮らしの糧がどのような仕打ちを受けるのか、何ひとつ自分たちで腰を上げて知ろうとしない、厩舎関係者というのも問題です。一時期の「廃止」のドミノ倒しはひとまず一段落しているものの、本質的な環境は変わっていないのに、何の手だても講じず相変わらずのんべんだらりと日々の競馬をこなしてゆくだけ、というのが多くの地方競馬の現状です。

 競馬で食って、生きてゆかざるを得ない、まごうかたなく第一の当事者であるはずの厩舎関係者が、主催者に、あるいは馬主や地元の議員など有力者に「お願いする」、というその姿勢からまず捨てる覚悟がないと、この先、法改正に伴って競馬をめぐる環境がどんなに変わっても、厩舎の置かれている立場は変わらないままです。誰かに「お願いする」のではなく、自前で、自分たちの手で競馬を、仕事の場を経営してゆく、その気概とそれに見合った勉強がいまこそ、厩舎関係者にこそ必要。それを妨げるような動き方をする者は、主催者でも馬主でも誰であれ全て「競馬の敵」、ニッポン競馬の未来にとっての役立たずである、とはっきり指摘しておきましょう。