ダライ・ラマの器量千両

 

 

 オリンピックは平和の祭典、スポーツと政治は別、これをめざして精進してきた選手たちがかわいそう……まあ、見るともなく見ていたら、あるもんですねえ、オリンピックを何やら純粋無垢の世界的イベント、汚い現世のあれやこれやとはまるで関係のない聖地とばかりにヨイショするもの言いってやつは。

 この夏に迫ったシナは北京五輪、開催に向けてますます不協和音があちこちから噴き出しています。言わずと知れたチベット問題、「人権」を至高のタテマエのひとつとしている西欧諸国からは、そりゃあなんだかんだ言われるわけで。聖火リレーが抗議デモで危ないめにあうことが次々と。またそれを取り囲んで伴走する青と白のキャップをかぶった屈強なシナ人「防衛隊」とやらも、映像としては異様この上なく、どっちにしてもやっぱりこりゃあロクなもんじゃないなあ、という印象だけは存分に世界中にばらまかれてしまう、というお粗末。

 チベットをシナに組み込むに際してどれくらいの弾圧と虐殺があったのか、については、これまでもささやかれてはいました。ただ、ここにきてオリンピックにあわせて国際的なアピールをするチャンス、とチベット独立派が考えるのも当然で、こういう国際的イベントの勧進元になるということはそういうリスクとも当然裏表。単なる国威発揚のお祭り騒ぎを国内向けと同じように高圧的なコントロールでやらかしゃいいのだとばかりに、まさかこの程度のことも想定していなかったとしたら、やっぱり北京共産党政府主導のシナ国家とは、未だ文明開化できぬ蛮族の国としか思えませぬ。

 いや、そりゃ、これに対抗する形のダライラマだって筋金いり。なにせ亡命政府の代表、ですからね。なんか下町の印刷屋のオヤジのような、作業服でも着せてそこらのラーメン屋で中華丼でもかっこませたらぴったりハマるような風体の、でも話をさせたらわかりやすい英語で、そのへんやはり「世界」にアピールすることでしか生きてゆけないギリギリの構えがありあり。凄みはある。胡錦涛と張り合うだけの器量ってやつだ。

 日本にも来ている。このタイミングで。噂では、一泊30万円近くするスイートに泊まり、専属のコックも連れてきていたとか。だからロクでもない、というのは北京政府の側の見方で、さすが反骨のリアリスト、これぐらいでなくちゃあ、地球最後の社会主義大国(一応)とサシで対決なんかできゃしない、と見るのが正しい。

 身体張って「自由」を求める、それは何もきれいごとじゃなくて、裏取引も駆け引きも何でもありの泥まみれ。その意味じゃまったく対等、平等なのだ。そういうサシの関係をこそ「政治」と呼ぶ、そんな〈リアル〉を、さて、われらニッポン人はいつから忘れちまってるのだろうか。