それでもやっぱり「シナ」で

 編集部からお達しが。「シナ」と表記することの理由を説明してください、だそうで。どうやら読者の一部から、なぜこの人はわざわざ「シナ」と表記するの? といった違和感が表明されたんでしょうが、ごくろうさまです。

 まず、しちめんどくさい理屈と文脈抜き、個人の感覚としてだけ言えば、日本の呼ばれ方が「にっぽん」か「にほん」か、の違い程度。絶対に「シナ」でなきゃいけない、とまでは言いませんし、他人に強要もしない。

 ただ、「中国」が “正しい呼び方” だ、として、それを強要しようとする人たちのもの言いや身振りが、あやしい宗教みたいで気持ちが悪い。多くは、「相手のいやがる言い方はしない方がいい」といった日常的な“思いやり”のレヴェルか、せいぜい、サベツ語だから、といった程度の理由しか示してくれないのですが、その程度でそこまで素直に信心深くなれることがあたしには謎。いや、どうかすると、「中華人民共和国」だから「中国」でしょ、てな程度で勝手に納得してたりもする。それやこれやの、“とにかくそういうものだから” というしたり顔自体が、何よりまず気に入らない。

 理屈を言えば、この「中国」という呼び方、敗戦後の主権喪失状態の日本に対して、「戦勝国」の一員として当時の蒋介石政府が要求してきたことに対する外務省通達が根拠とか。日本共産党などは「それが、戦前・戦中、日本の中国侵略と結びついて、中国にたいする侮蔑(ぶべつ)語として使用されたことであり、中国国民はこの呼称を拒否しています。(…) こうした歴史の真実を直視すれば、中国を「シナ」と呼ぶことは、単に時代錯誤というだけでなく、過去の侵略戦争への無反省がその根底にあることは明らかでしょう」と今でも明言。「中国」と呼ばないと、過去の戦争(侵略、だそうです)への反省がない証明、ということにもなっちまって、こりゃもうある種の踏み絵。なるほど、「中国」を強要する人たちが、ご当人たちの気づかぬところで宗教めいてくるのも、納得です。

 当時の通達には、「今度(このたび)は理屈抜きにして先方の嫌がる文字を使はぬ様(やう)に」という一節がある由。そう、理屈抜き、だったわけです。先方もそれを自覚していたらしい証拠に、日本以外の国にこんな強要をした形跡はない。日本に対してだけの一方的ペナルティで、しかも過去の戦争を「侵略」と認めることと勝手にセットにされたもの。だから、ほんとに戦争というのは敗けちゃいけない。何を言われてもご無理ごもっとも、唯々諾々と従わねばならなくなっちまってたんですから。

 それに昨今、「反日」キャンペーンを国是として無理難題を言ってくるシナが、果たして隣人として気配りをするに価する相手かどうか、というのもあります。敗戦国当時の状況で強要された、それもダブルスタンダードで、といった経緯を知り、昨今の非友好的な先方を理解した上で、それでもなお「中国」と呼びたいのならばそれはそれ、ああ、そういう考え方の人なんだ、ですが。