いま、「地方競馬」だからこそ、やるべきこと

 いま、地方競馬がやるべきこと、を、走り書きですが簡潔に述べておきます。

 まず、大井を中心とした南関東と、馬産地を背景にしたホッカイドウ競馬とが「改革」の主軸です。というか、そこが軸にならないことにはもうどうにもならない。全国の地方競馬とそのまわりのさまざまな基盤をこの軸を中心にして、一気に根こそぎ動かしてゆく、そのための覚悟と腕力とがいま、必要です。

 各場自前の売り上げが芳しくない中、ネットを介した発売は別にして、とりあえず南関東を中心とした場外発売のネットワークを介した売り上げだけは伸びている。ということは、場外を介した発売コンテンツとしての地方競馬にはまだまだ可能性があるということで、ならば、本場を中心とした地元での自前の売り上げを伸ばそうとすることが常に経営の基本線だとしても、既存のネットワークを互いにつなぎながら、遠隔地のファンにもコンテンツとしてアピールしてゆける環境を整備することが当面、求められている方策になります。

 特に、大井はこれまでJRAとも距離を置いた経営戦略で、独自の場外ネットワークを築いてきた経緯があります。地全協は言うにおよばず、JRA農水省も、地方競馬については「これから先は、どうぞご自由に、それぞれのご判断で続けるなりやめるなり、お好きにおやり下さい」という、言わば切り離し&放置の姿勢が競馬法改正の過程ではっきりしてきたわけで、ならば、大井と南関東を中心にした地方競馬の再編と「改革」しかない、というのが自然の流れではないでしょうか。一部で根強くささやかれているような、地方はホッカイドウ競馬南関東四場だけ残ればいい、といった「思惑」が農水省以下の競馬エスタブリッシュメントの一部にあるのだとしても、そしてその先に、残った数場とそれ以外の場外ネットワークでJRAの馬券も売れるようにする、というのが一連のニッポン競馬「改革」の「最終兵器」として控えているのだとしても、そんな未来のニッポン競馬の全体像の中で、残った大井以下の競馬場でどんな競馬が施行できて、どんな経営状態になってゆくのか、「国際化」の総決算の過程も含めて、正直、不透明なところがありすぎます。

 ならば、ここはひとつ、自ら腰を上げてJRAとは本当に「別のもの」にさせられてしまった、この地方競馬を自らデザインして、よりよい将来のために汗をかいてゆく、というのが合理的ではないでしょうか。

 大至急必要なことは、それぞれの競馬場の主催者と関係団体代表、それに生産地の関係団体代表と、場間場外も含めた馬券の全国発売網の当事者(オッズパーク楽天などまでも含めて、とりあえず同じテーブルについて相互の現状認識と情報交換をすること、そしてその上で、日本全国の競馬の産業基盤をどのようにしてゆくのかについてコンセンサスを得ること、です。

 今までどうしてその程度のことすら、できなかったのか、つくづく不思議なのですが、全国の主催者協議会も、全国調教師会連合会も、馬主関係の諸団体も、みんなそれぞれで集まるばかりで、互いの情報の共有やその上に立った認識のすりあわせはほとんどやっていない。ましてや、利害の調整などは夢のまた夢。それぞれがバラバラによかれと思いながら動いて、でも全体としてはどこに向かっているのか誰にも分からないという状態。それでも何とか競馬を続けてこられたのは、むしろこれまでが奇跡に等しいのかも知れませんが、これからはもうそんなわけにはゆかない。時代は確実に変わりつつあります。

 「(厩務員などの)組合の方がよっぽど情報持っているんだよなあ」と苦笑いしながら言うのは、ある関係団体職員。厩務員組合自体、未だにつくることを許していない競馬場もあるくらいで、その意味でも本当に「競馬場の常識は世間の非常識」だったりするのですが、良くも悪くも全国組織としての労働組合が背後にいるだけに、専従職員を中心にどこの競馬場がどういう状態なのか、情報収集とその一括把握は一応、できている。自分の競馬場のことしかわからない、知ろうともしないのが普通の調教師会などは、労使交渉などの場で逆に組合の側から教えられることも多いとか。

 「競馬場がつぶれたら困るのは、組合だって切実なんですよ。なのに、未だに組合を敵視するだけの調騎会があったりする。厩務員は馬を走らせて稼げ、給料上げると働かなくなる、なんていまどきまだ言ってたり。それじゃほんとに優秀な若い連中は、とっとと競馬に見切りつけて出ていっちゃいますよ」

 競馬ブームの頃に競馬に興味を持ち、この世界に入ってきた、という若い世代からさえ、そっぽを向かれるような業界風土や構造のままでは、どんな未来もあり得ない。厩舎労働力の高齢化もまた、馬主やファン層などと同様、地方競馬の抱える問題のひとつです。限界集落ならぬ、限界厩舎がどこの競馬場にも目立ち始めている昨今、もう時間はほとんど残されていないと、関係者はみんな肝に銘じるべきです。