「革命」のゆくへ

 もうそろそろ辞書から削除される頃かも知れない。「革命」という言葉だ。

 少なくとも、日常会話ではもちろん、活字の紙面でもまずお目にかからなくなった。言葉は時代と共に移り変わる。「革命」もまた、すでに歴史的役割を終えた言葉、ということなのかも知れない。

 「革命」だけでもない。かつては同義の、しかし時代の文脈として180度違う意味を担わされた言葉に「改造」というのもあった。立場の違いはあれど、いずれこの現状を何とかしたい、そんな想いが宿った言葉だ。そして、かつてそれらに込められ得た現状打破、世直しの希いというのは、時代は変われど常に世の中に宿っている。

 このままでいいわけはない。やりきれない。今も大方はそう感じている。自分の職場、家族と地域、学校、そしてこの国に至るまで、もう少しましにならないものか、と思っている。だからよりよい明日を、前向きな未来を選択したい。その程度に歴史は変わらないし、人の世もまた。

 けれども、実際に腰を上げる者はいない。その程度に時代は「豊か」で、また健全でもある。その一方では、労働組合の組織率は下がり続け、昔流に言えば「未組織」労働者の群れとして「派遣」や「パート」が多数派を占めている。労使対立よりも、正社員と派遣やパートの間の対立の方が深刻という現実も。抗いがたい怪物のように見えてしまう現在が、ひとりひとりのよりよく生きる意志をあらかじめスポイルしてゆく。

 「革命」であれ「改造」であれ、実際に現実を変えてゆくには個々の情熱も体力も必要である。働く者がつい心を病み、果ては自殺に追いやられる現実には、身体を張ったところで今の状況をよくできる確信が持てなくなっている閉塞も伴う。ひとまず腰を上げ、現在に正対してゆくための言葉をとりあえずつむがねばならない。改めて、そう思う。