「無防備都市」を見ちゃった

 まさに日中友好、であります。いや、先月の北京五輪は聖リレー火をめぐる「4.26長野善光寺決戦」のことなんですが。

 だって、日本人とシナ人が面と向かって集団同士であれだけ罵り合ったというのは、少なくとも戦後このかた、ほとんどなかったんじゃないですか。もっとも、国内のメディアはそのあたり、ものの見事に触れないようにしてましたから、既存のマスコミにしか接していない向きはご存じないでしょうが、インターネットじゃ現場の映像や画像が勝手にアップされて、ああそうか、実際こういうことが起こってるんだなあ、と誰もが知ることができた。その意味じゃ実に画期的、ここから新たな日中関係、いや、ひいてはニッポンと「アジア」との新たな時代が切り開かれるのではないかいな、とさえ思ったような次第であります。

 と同時に、あの日の長野市内の光景は、最近ちらほら一部の自治体などがぶちあげてる「無防備宣言都市」というのが、果たして現実にどういう事態をもたらしてくれるものか、この上なくわかりやすく見せてもくれました。ああ、そうだ、警察ってのはやっぱり公務員、命令で動いているわけで、必ずしも同胞を守るわけでもないらしい、ってことも。あの日、五星紅旗さえ持ってれば、何をやってもたいていのことはスルーしてもらえそうな気さえしましたもの。その同じシナの留学生たちが、今度は素知らぬ顔して四川大地震の「義援金」を募ってたりするのも、そういう手の平返しを臆面もなくやってのける彼の国の内実を知る上でなかなか趣き深い光景です。

 あの日、長野に集結して「フリーチベット」を旗印にシナ人留学生と対峙した連中が、普段からチベットのことをそこまで考えていたわけがない、要はチベットなんざ単なるダシで、要はシナ憎し、のサベツ意識の発露じゃないか、と因縁つける「リベラル」もいらっしゃる。なるほど、そういう面もないではない、というか、もしかしたらそっちが本質かも知れない、とあたしでさえ思います。思いますが、でもそうだとして、だからそれがどうした、です。ふだんそんなこと考えたこともないような人でさえ、シナに対する違和感がそこまで膨張していた、そのことをまず眼前の事実として受け止めようとしないことには、どんな能書きもごたくも意味はない。

 もうこうなったら、自民も民主も公明も共産もヘチマも、ないですね。これでもまだ「外国人参政権を」などと平然と主張するバカタレは、脳内お花畑が不治の病と化していること確定。シナや半島方面にどれだけキンタマ握られてるかいないか、元官僚や組合幹部、公共事業がらみでそれらの利権とズブズブかどうか、あるいはまた、オンナや「弱者」というだけで何かできると勘違いしたままじゃないか……などなど、そういう是々非々、個々別々の人格やたたずまいを静かに見定めた上で判断するしかない。政治と人心の乖離というのが、実に加速度的に進行しているなあ、と感じるこのごろであります。