趣味のないこと、したくない

 いろんな場所に顔を出し、いろんな人に会い、いろんな話に耳傾けることをなりわいとしていると、忘れられない言葉、何気ないひとこと、というのがあります。特にそう自覚していずとも、何かのはずみにきっと耳の底からよみがえって、はっ、とさせてくれる、そんなもの言い。

 かつて、外国産馬の解禁問題が言われていた頃、故吉田善哉さんが、こんなことを言っていました。

 「そんな趣味のないこと、したくない」

 素質の高い、強い外国産馬を海外から輸入して、それで国内の大きなレースを制覇する、あるいは生産界も席巻する、そういう目論見を持ってるんじゃないか、と当時、巷間言われていたことについて、とある雑誌の取材で尋ねた時です。

 その「趣味」というなにげないひとことにきっと込められていたはずの、さまざまなもののとりとめなさ、膨大さについて、最近、また思い返すことが多くなっています。

 当時、善哉さんなどは、どうせ「国際化」推進派だろう、と勝手に目されていたところがありました。戦前から馬産に携わる家に生まれ、戦時中も身体をこわしながらも馬たちと共に自分の持ち場を守り、戦後は早くからアメリカの馬産を自分の眼で確かめて、「世界」を早くから思い知り、そことの距離でわがニッポンの馬産の現状を何とかしようと獅子奮迅してきた、言わずと知れたニッポンを代表するホースマンのひとり。海外で自分の服色で馬を走らせ、牧場経営した経験もあり、すでに「世界のヨシダ」と言われていた彼が、今みたいな「国際化」には断固、反対だよ、とはっきり言った。

 「世界」を身を持って知っていたからこそ、当時すでにひとつの流れがつくられ始めていた「国際化」に対して、敢然と唱えた異議、でした。是非はともかく、いま、このような形でニッポンの競馬があり、それがどのような国柄、どのような歴史と共に今あるのか、ということについての深い認識があり、だからこそ、そのようなニッポンの競馬の現在、そして未来も含めて本当に役に立つような国際化とは、今言われているような安っぽいものじゃない――そういう文脈の上での発言だった、と理解しています。

 それらをひとことで伝えようとした時に、ふと、転がり出てきた重心のかけられたことばが、その「趣味」だった。耳にした瞬間から、それはすっきりと耳に立つ響きを伴っていました。

 僕たちがいま、ふだん使っているような意味での「趣味」とは違う、もっと何というか、ある時代、そして世代の感覚と共に支えられているようなもの言いなんだ、ということを、民俗学者としての感覚が教えてくれていました。

 「趣味のないことしたくない」と言った彼の、その後には、「どんなに外国で(よく)走った馬でも、最後はニッポンに連れてきてニッポンの馬にするんだ」という言葉が続いていました。

 この「趣味」というもの言いがいつ頃から一般に使われるようになり、そしてどのような意味をはらんで移り変わっていったのか、について、その後も機会を見つけては自分で探るようにしています。もちろん競馬に限ったことではない。たとえば、明治の末年頃には当時の「実業」などというもの言いと共に、新たな言葉として「趣味」が持ち回られるようになっていたこと、そして戦後には既成の履歴書に「趣味」の欄が当たり前のように設けられるようになっていたことなどまで含めて、おそらくは善哉さんの若い頃、使われていたような意味での「趣味」の手ざわりについても、当時よりはだいぶ察知できるようになってはきた。

 それでも、正直、まだよくわかり尽くしていないところはあります。でも、ひとつ間違いなく言えることは、単にある個人にたまたま宿るものでもなく、ある世代、ある文脈の日本人にとっては、わざわざ言挙げせずとも言わずもがなのうちに共有されていたある美意識、センス、守るべき倫理……そんなもろもろを含み込んだ言葉、「趣味」とは実にそういうものだった、ということです。

 それは、たとえば「新馬戦」というささやかなもの言いひとつに来歴を伴って存在している気分、言葉本来の意味での「歴史」にどれだけ敬意を払えるか、「文化」の素材として尊重できるか、というころから始まります。JRAも、地方競馬も、何てもいい、いま、競馬に責任ある立場のエラい人たちの間に、このような「趣味」の感覚がまだかけらでも伝承されているのなら、そこに込められていた想いに響くものが少しでも残っているのなら、今みたいなつまらない、心の躍らない競馬をただルーティンで繰り返すばかりの現状は、大声で叫んで全力でぶちこわしたい気持ちになるはずです。

 あるいは、この春のクラシック戦線を賑わした「安馬」の一頭を管理した、ある調教師の話。

 最初、馬主から何頭か若馬を見せられ、「好きなの選んでいいぞ」と言われたそうです。いまどき流行りの血統、それこそ横文字の並ぶ牝系の眼もくらむような高馬もいくらでもいる中で、彼はいちばん地味な、安い馬を選んだ。結果として、その馬がまさに「化けて」くれて、思いがけないプレゼントをしてくれたわけですが、そのことを説明してくれる時に、彼はこんな言い方をした。

 「馬なんて人間が選べるもんじゃないんだよ。(よく)走ったらどんな馬でもいい馬だ、って言われる。でも、それは後付けの説明で、最初からそれがわかる人間なんてまずいない。だから、オレはあの馬の血統を見て、ずっと前、自分が管理してうまく結果を出せなかった馬と同じ母系なのがわかったから、ああ、これはオレがもう一度面倒見なきゃいけない馬が眼の前にやってきたな、と思った。それで選んだだけだよ」

 何代もニッポンに根づいた土着の牝系。地方競馬でタフに走る馬を何頭も出してきた、でも、若い馬主や調教師たちからは見向きもされない、おそらくその背景も忘れられているような母系。あの善哉さんが口にしたような「趣味」は、まだかろうじて伝承されているのかも――そう、少しだけ思い直させてくれる話、ではありました。