ニッポン競馬、全身症状悪化

 ニッポンの競馬を支える、さまざまな「資源」そのものがどうやらあちこちで破綻を見せ始めているようないやな話ばかりを見聞きする昨今です。これまでは手や足や、身体のある部分だけの不具合がちょこちょこ見られて、辛いながらも何とかまだ身体そのものは生きて動いてゆけるような状態だったのが、ここにきていよいよ多臓器不全、全身症状の悪化がはっきりと見えてきたような感じです。

 馬そのものの生産をめぐる環境の悪化は言うまでもない。今年は、春先のトレーニングセールからすでに「なんて値段なんだ」という事態が続いていますが、この夏の一連のサマーセールでもそれは同じ。ごくおおざっぱに言って、JRAと一部の大手馬主で買い支えているような市場だったわけで、この先、秋のせりになるとどれだけ悲惨なことになるのか、今から心配する声が広まっています。懸念されていた通り、「マル市」を拙速に廃止したツケが、やはりものの見事にまわってきています。生産から流通の結節点であるはずのせりでの市場取り引きというのを、この先のニッポン競馬の環境の中で果たしてどのように位置づけ、考えてゆくのか、その最も根本的なところから改めて問われています。

 同時に、馬主自体が減り続けている。新規参入はともかく、これまで競馬とつきあってきた馬主の世代交代がうまくいってない。多くの馬主会で現役を退いたような年輩の幹部が今も居座らざるを得ない状況で、四十代以下のこれからという世代が育っていません。確かに、オーナーブリーダーなどは別にして、多くの馬主にとって競馬は良くも悪くも「道楽」「趣味」の世界。やめても全く支障ないようなものですから、なおのこと新たに競馬に興味を持って参入してくる層を開拓しなければならないのに、その流れが滞っている。馬主にとっての喜び、競馬に関わり馬を走らせる満足とは何か、というのも、改めて考えねばならない時代のようです。

 さらに、これもあまり表沙汰になっていませんが、現場の厩舎まわりでも、調教師や騎手、厩務員などの廃業が櫛の歯引くごとく続いています。それもまだやり直しのきく若い世代から辞めてゆくから、ここでも高齢化がとまらない。馬預けてもらえるのはありがたいんだが、だったら厩務員も一緒に世話してくれないか、と調教師が真顔で馬主に訴えるような状況も、地方競馬では起こり始めています。

 もちろん、肝心の馬券の売り上げ自体、下げ止まる傾向がいまひとつ見えないまま。ひと頃のような「廃止」のドミノ倒しは一段落し、個々の主催者レベルでは以前より前向きに競馬と取り組む姿勢も見えてきたものの、いまや個々の競馬場のみならず、競馬をめぐる環境自体が全体的に悪化していて、いくら末端の主催者が頑張ります、競馬を続けます、と言ってみても、この先、厩舎や生産地から人も馬がいなくなっておのずと「枯れる」ような形の、これまでと違う終焉すら見えてきかねません。

 このような状況ですから、どこの競馬場でも、馬の集まる厩舎とそうでない厩舎の「格差」が一段と広がるようになった。実際、ここまで賞金や出走手当などの水準が下がってしまうと、管理馬の頭数を増やして回転させないと厩舎経営は成り立たない。なりふり構わず馬を集められる厩舎だけがかろうじて生き残り、限られた馬主さんたちもまたそちらに集中する、という流れ。限られたパイをなるべく破綻しないように「平等に」分配しよう、という思惑での「内厩」コントロールなど、いまの地方競馬でさえ、前世紀の遺物。売り上げが下がり、賞金や手当だけをカットしてしのぎ、その結果厩舎が追い詰められて最終的にこのような事態に、という、これまで90年代半ば以降、地方競馬が経験してきたことを、規模や文脈は違うものの、どうやらJRAもまた思い知るようになってきたらしい――地方競馬の現場から見上げるようにニッポンの競馬を眺めてきた僕には、そんな現在に見えています。

 そんな中、先日、JRAがこんな発表をしていました。

09年から厩舎の管理頭数の上限削減へ
 厩舎の管理馬頭数の上限が来年から段階的に削減される。現在は各厩舎とも一律に管理馬房の3倍までとなっているものを、メリットシステムにより20馬房以上の厩舎についてプラス分を削減しようというもの。例えば24馬房の厩舎は、これまで72頭まで管理できたが、来春からは4馬房分は2倍として計算し60頭プラス8頭の68頭にする。これは経過措置として実施されるもので、その後は1年ごとに段階的に削減。将来的には20馬房以上の各厩舎は一律60頭にする計画となっている。

 わが眼を疑いました。競争原理を徹底させることで「内厩」の活性化を考える、それが「国際化」に伴う厩舎制度改革の前提だったはずです。なのに、今回のこの施策に限って言えば、時代に逆行するとしか見えない。しかも段階的に、ということですから、これはすでに既定路線とも言われる外国人馬主への門戸開放とと共に、数年後には懸案の「外厩」も事実上「解禁」する地ならしでは、と勘ぐれなくもない。あるいは、さらに妄想すれば、外国人調教師や騎手までも「外厩」と合わせ技で黙認する、とか。

 現状では、外野の無責任な詮索でしょう。そうあって欲しい。でも、そんな勘ぐりをしてしまうほどに、今のニッポン競馬をめぐる環境は、もはや個々の対症療法ではおぼつかない、手術に等しい荒療治が必要な状況になりつつあるように思っています。