後退戦の難しさ

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 後退戦、がいちばん難しいそうです。これは軍隊に限らず会社の営業などでも同じこと。行け行けドンドン、の時はいい。戦線が停滞して膠着して、で方針転換して後退、退却転進する時がほんとの勝負どき。ふくれあがって補給線も何も伸びきったところから、どうやってうまく縮小均衡させてゆくか。わがニッポンもまた、そういうことを考えねばならない時期に、すでに入っています。

 なので敢えて、麻生太郎をほめます。まず、声がいい。口説きがさえる。これ、いまどきの政治家にしてはもう珍しい部類。浪花節でもうならせたらいい感じでしょう。選挙区では夫人ともどもマツケンサンバを踊ってのけるらしいし、外務大臣時代もどこかの会議の余興で結構おちゃめなこともやってのけていました。「博多にわか」の伝統かどうか、どうやら「芸」としての政治の呼吸がわかっている。だから、ああ、ほんとに身体張ってるんだ、ということが理屈でなく伝わる。「しょせん財閥のボンボン」「庶民の気持ちがわからない」といった陳腐千万なくさし方もお約束で出ていますが、そんなこと言う手合いの眼は節穴以下。でなければ「政治」のセンスなさすぎでしょう。しかも、ボンボンぶりなら人後に落ちないはずの鳩山由紀夫までが得意げに言うのだから大笑い。人のふり見て何とやら、です。

 ボンボンや二代目にも質がある。当たり前です。二代目なら同じカネ持ちでも、北九州は筑豊が地盤というあたりの、すてきにろくでなしなわれら近代ニッポンのダシの一番濃いところがアクと一緒にたっぷりしみこんでいるはずの、その背景含めた底力に期待したくなるというもの。さらに、幼い頃には寄席にも連れてゆかれたというかのジイさま、吉田茂のご加護があるかも。

 対する小沢一郎のいけないところは、何よりそのしゃべりがまずいこと。用意された原稿の棒読み一点張り。選挙区ではまた違うのかも、ですが、少なくともメディアの舞台で見ている限り、もう少し肉声に体重乗せる工夫はできないのか、聞き手のノリに配慮する「芸」の機微がわからないのか、といつも思います。腐ってもかつては盤石与党だった頃からの自民党幹事長。「剛腕」のよってきたるところが希代の選挙上手、ということは当時から言われてましたが、でも、その上手というのも地盤と組織の票読みに長けている意味で、具体的な利害でしめあげ組織票を絞り出す手法はまさにかつての田中角栄直系。そう言えば、地方への大盤振る舞いを約束するばらまき手法も、「昭和」の自民党流儀なわけで、逆に自民党小泉内閣このかた、すでに地方や農村からその基盤を、良くも悪くも失っています。

 確かに麻生太郎、ある意味最悪の局面で自民党総裁になった。二代続けて総理大臣が任期途中で降板し、さらにマスコミ主導で「政権交代」の大合唱。ついこの間まで、やれワンフレーズポリティクスだ、ポピュリズムだ、と小泉時代の「構造改革」をけなしていた同じ手合いが右へならえの翼賛ぶりで、追い討ちでこの間のサブプライム発の世界金融危機。いやもう、レーニンじゃないですが「瀕死かつ最高の状態」というのはこういうことかも知れません。後退戦を身体張って采配する、その「覚悟」は単なる作文でなく、身体ごとその「芸」も含めて伝えるもの。それらもまた「政治」であること、世界共通の認識のはずです。