自殺大国と言われるわがニッポン。福井の東尋坊でも保護される人が増えているとか。そんな中、なぜかこのところ身投げや飛び込みがにわかに目につくような気が。報道の濃淡などの理由もあるでしょうが、都内でもよく電車や地下鉄が止まるのはみな何となくご存じでしょうし、鉄道関連の自殺は否応なく身近な感じがする分、やはり気になります。
少し前、問題になった硫化水素を発生させる自殺方法。おかげで関連の薬品が生産中止になったりしましたが、あれは比較的新しいやり方で、それに比べると、身投げやこの飛び込みはある意味古典、伝統的とさえ言える手口です。
それにしても、どうしていま、敢えて鉄道なのか。思えば、同じ乗り物でも自動車を使った自殺は日本じゃ少数派で、使うにしても排気ガスを引き込んだり練炭をたいたり、要は「個室」として使うのがせいぜい。ヤケクソの暴走の果てに激突、ないしは自爆、といった乗り物本来の派手なパターンはまずない。このへん、何か根深い理由があるような気もします。
ともあれ、速度と重量と質感、ついでに轟音などもひっくるめて、「近代」を最も身近に、具体的に体現してくれるメディアが鉄道でした。ポストモダンだバブルだとうかれているうち、「近代」はしっかりひとめぐりして再び身近に浮上しているような面が、もしかしたらあるのかも。とすれば、タヌキが夜中に汽笛の物真似しながら走っていた、てな、開化期ならではの都市伝説の現代版も、すでにどこかでそっとささやかれているのかも知れません。