福山競馬は再生できますか?

● 主な質問項目 テーマ「福山競馬は再生できますか」

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Q 1 地方競馬の現状は?

 売り上げの低下が続き、賞金や手当の相次ぐ削減で厩舎関係者の暮らしはすでにギリギリです。

 

 今世紀に入ってからバタバタと廃止になった競馬場がいくつもありました。大分の中津から始まり、島根の益田、新潟の三条、山形の上山(かみのやま)と市営規模の競馬場から軒並みつぶれてゆき、その後群馬の高崎、栃木の宇都宮、足利と県営規模のものにまで波及。一時は、オグリキャップや「アンカツ」安藤勝巳騎手などを輩出した岐阜県笠松や、北海道のばんえい競馬も廃止の瀬戸際にまで追い込まれたのはご承知の通り。

 

 とは言え、競馬というのは、地域経済的にも、また雇用含めた地場産業としても、同じ公営競技の競輪や競艇などと比べると、裾野がかなり広い構造があるので、関係者の生活補償や施設の後始末などを考えれば簡単には廃止にできません。さらに、昨年来の世界金融不安で国内景気がこの状態ですから、ひと頃のように「存廃」がいきなり問題にされることはひとまず影を潜めてはいますが、どこの主催者も何とか低空飛行でしのいでいるだけで、抜本的な構造改革への動きは本当に鈍いまま。むしろ、これまでのように主催者側からの判断での「廃止」でなく、現場の厩舎の方が自ら競馬をあきらめてしまう形での「廃止」「閉鎖」の危険性が高まっています。

 

 地方競馬だけでなく、一時は年間四兆円近くの売り上げを誇ったJRA中央競馬も売り上げが下がり続けていて、すでに二兆五千億程度にまで落ちて、下げ止まる気配もなし。経営規模がケタ違いに大きいので問題が見えにくいのですが、置かれている状況は地方競馬と基本的に同じです。要は、競馬自体、野球や相撲などと同じく、「昭和」で「戦後」な古くさいレジャーと見られ始めている状況なわけで、そういう意味でも思い切った構造改革が必要です。

 

 けれども、競馬以下の公営ギャンブルは法律によって控除率25%も保証されている事業なわけで、世界的に見ても歴史的にも、この高い控除率で「胴元」が赤字になる道理は全くない。今、売り上げが低下しているのは、競馬そのものが悪いのでなく、ニッポン競馬のこれまでの経営のやり方=戦後の「お役所競馬」「財政競馬」が時代にあわなくなってきただけのことです。まして、厩舎関係者は競馬の経営に関与させてもらえなかったわけで、累積分も含めて、競馬の赤字の責任が彼ら馬と馬のそばで生きる人たちにだけ回されている現状は、素朴におかしいです。

 

 そんな中、競馬法改正など、そんな競馬と馬産地の状況を改革しようという動きが出てきて、すでにある程度の経営環境の改善はなされています。詳細ははぶきますが、要は、これまでに比べて「民活」「民営化」できる範囲が大幅に広がった。それをとりあえず活用して何とか廃止の瀬戸際から息を吹き返しつつあるのが、北海道のばんえい十勝です。これはソフトバンク系列の民間会社が、開催に関わる業務の根幹部分(主に「公正確保」に関わる部分)以外のかなりの部分を担当し、主催者である帯広市や地元市民などと協力しながら、これまでと違う地方競馬のあり方を模索しつつある、言わば改正競馬法下のモデルケースと言っていい事例になっています。こういう方向性を、他の平地の競馬場にもどんどん広めてゆけば、少なくとも今みたいな「お役所競馬」「財政競馬」の赤字体質のまま行き詰まるということはあり得ませんし、それどころか、再び黒字化して地元財政にまた寄与できるようにもなってゆくはずです。


Q2 福山競馬の魅力とは?

 日本の競馬の中で、高度成長期以降に中央競馬が華やかなものになってゆく分、陽の当たらないところに置かれていった地方競馬の、その中でもとりわけ忘れられていたような存在が福山競馬です。ついこの間まで、サラブレッドでなくアラブだけで番組を組んでいたことが最大の理由ですが、しかし、いまやその、忘れられていたような小さな競馬場であることが逆に大きな利点となり、これまでにない新しい競馬の魅力を生み出す源泉にもなり得る状況にあると思います。

 まず、馬とファンとがとんでもなく近い。物理的にほんとに目の前を馬が砂を蹴立てて走ってゆく。見慣れている地元ファンはこんなものかと思っているようですが、これはJRAはもちろん、大井その他、今の日本にあるどの競馬場よりもライブ感あふれる、迫力ある競馬の舞台です。

 

 そして、競馬場としてまだ死んでいない。地元の熱心なファンがまだ確実に生きていて、騎手や馬への声援と同時に、ヤジも飛ぶ。売店の食べ物も昔ながらの、やきそばや天ぷらなど、ニッポン近代伝統のソウルフードであり、ストリートのジャンクフード。もちろん、それは昨今、時代遅れと思われつつある「昭和」でレトロな「バクチ場」である競馬場の雰囲気なわけですが、しかし、そんな舞台装置がまだ生身のファンと共に「生きている」競馬場は全国でももう珍しくなっていますし、むしろ逆手に取って「観光」コンテンツとして新たな意味づけや価値を発見してゆけば、ちいさな競馬場ゆえの地域に根ざしたレジャー、コミュニティに支えられた遊びとしての競馬、という血脈が活きて残っているのが最大の価値です。中国地方ただひとつの競馬場、という「売り」は限りなく大きい可能性を秘めている。とにかくいま、この時代、この状況で、こんなちいさな競馬といい競馬場が地元にあって、しかもまだ十分活力を持っているというのは、実はかなりすごいことですよ。

 

 あと、これも案外認識されていないようなのですが、主催者の福山市が競馬に前向きなこと。特にここにきて、再生に本腰入れようとしていることは、とにかく動きの鈍い全国の競馬主催者の中では格別に目立ちます。これも市営ゆえの「小ささ」が小回りの良さとなりつつある局面なわけで、実際、先日のシンポジウムにも、幹部級含めた市の職員や、競馬特別委員会などの市会議員の姿が客席にあって、それぞれ熱心にメモをとったり、後で参加者にいろいろ質問などもしていました。ならば、もう一歩踏み込んで、市長自ら、競馬と競馬場を再生させるんだ、というマニフェストをわかりやすく示せば、競馬関係者だけでない、地元ぐるみで市民も巻き込んだ新たな時代の「観光」コンテンツとしての競馬と競馬場の価値を新たに「発見」してゆく動きも、もっと本格化してゆけると思います。地方競馬の再生運動は、実は福山が震源地だった、と言われるようになって欲しいですね。


Q3 再生会議の手応えは?

 予想以上に多くの人に集まっていただけたので、正直、びっくりしました。競馬関係者だけでなく、一般のファンも全国から駆けつけてくれてましたし、200人以上というのは初回としては大したものだと思います。今回は、オッズパークマネジメントの新名さんの、ばんえい十勝での「民活」競馬の話がひとつ、ポイントだったのですが、そのへんも思っていた以上にみなさんに理解してもらえたと思います。あとは、地元福山でその経験をどう活かして、実現させてゆくか、でしょう。

 

 厩舎も主催者も馬主も、みんなそれぞれ利害があってひとつの目的に向かって一致協力しにくいのが、競馬場なんですよ。全国どこでもそう。売り上げや経営のことは主催者の専管事項で、馬主は出資者で要は道楽だし、厩舎はとにかく競馬のことだけを考えていればいい、という具合に互いに関わらないようにしてやってきたのがこれまでの競馬でした。

 

 そんな中、ファンや市民も含めたさまざまな立場の人たちが「競馬を何とか再生しよう」という目的の下に、とりあえず同じ場につどいテーブルについた、その意義はとても大きいと思います。ですから、これを一回で終わらせず、さらに続けて確かな「場」として立ち上げてゆくのが今後の課題でしょうし、当日は時間の関係もあってあまり触れられませんでしたが、もうひとつの大きなポイントである「連携」も視野に入れて、他の競馬場でも同様の動きを促して、動きを広げてゆくことが必要です。おかげさまで、参加してくれた人の反応もおおむね好評だったようですし、とにかく立場を越えて、地元の小さな競馬と競馬場の再生のために知恵と力を出し合おう、という気持ちがまず形になったこと、それが今回、一番大きな果実だったと思います。


Q4.福山競馬は再生できますか? できるならその方法と理由。

 繰り返すように、「自立」「連携」「地元ぐるみの官民一丸」がキーワードです。特に、福山の場合、四国の高知競馬とまず連携して、互いに馬券を売りあいながら開催基盤を広げて固めてゆくことが必要でしょう。そのためには、どんな些細なアイデアでもまず声にして出してみる、そして前向きに検討してみる、トライアンドエラーで何でもやってみる、カネはないのだから知恵と汗を出し合って動く、そんな態勢を現場からつくってゆけるか、がまず課題でしょう。

 

 連携のネックになるのは、たとえば馬の輸送費などですが、たとえば厩舎の手で馬の輸送ができるように制度と環境を整えるなど、やり方はいくらでもあるはずです。と同時に、今も場外発売をしている大井以下南関東の競馬を今以上に場外発売し、こちらとも連携して協力してゆくこと。もちろん、地元のミニ場外発売所も全力で拡充してゆく。コンビニやスーパー、農協などにも券売機を置けないか検討する。場合によっては特区の活用などもあっていい。このへんこそ官民一丸の知恵の出し合いが肝心でしょう。

 

 競馬場も、競馬開催日以外でも、イベントや催しものなどにどんどん活用してもらう。もちろん、花火大会やクリスマス、フリーマーケットなどこちらから仕掛けることも必要ですし、何より、ナイター競馬ができれば最高でしょう。芦田川に浮かべた舟からナイター競馬観戦、なんてことも夢物語でないし、そうなれば鞆の浦ともつながる。冬場には、ばんえい競馬を招待して、1日1、2レース番組に組み込む。あるいは、福山には以前他の競馬場で走っていた馬もいますし、高齢馬もいますから、そんなかつての名馬や高齢馬だけのレースを全国招待で組んでみる。騎手が不足しそうならば、全国から見習い騎手を呼んで福山で修行しながらキャリアを積んでもらう。もちろん、それら馬や騎手の地元と馬券はきっちり売ってもらう。小さな競馬場だけど、ここでしか見られない競馬をお見せします、ということをアピールしてゆけば、単にギャンブル、財政寄与だけが目的でない、「観光」資源としての競馬は、やりようによっていくらでも可能性が広がるはずです。

 

Q5 再生に向け、福山市民にできることはありますか?

 まず、目の前に生きた競馬と競馬場がある、ということ、それに眼を開いて下さい。 

 

 競馬はこれまで、「必要悪」と見られてきました。しょせんギャンブルだし、という眉のひそめられ方は、今でも年輩の方にはまだ根強い。JRAのような規模の競馬はまだしも、小さな地方競馬にはそういうイメージがまだつきまといます。

 

 でも、地元にずっと競馬場があり、何百頭かの馬がいて、何よりそこで競馬を仕事として何十年も生きてきた厩舎の人たちが今なお、数千人規模ですぐ隣で生きている、そのことにまず気づいてください。そして、大きな生きものと共に競馬で食べてゆくこと、その暮らしぶりを思いやって、馬そのものともっと親しんでみてください。競馬の開催日以外の競馬場をもっと活用する。子どもたちが馬に親しむ機会をつくる。そんなこともひっくるめて、地元の競馬場の役割なんですから。

 

 外国にも小さな競馬場は結構あって、でも、それは単に競馬を開催するだけでなく、地元に支えられて生きています。たとえば、それぞれミュージアム的な施設を持っていて、これまで地元の活躍馬や有名騎手などを顕彰して、その歴史と共に誇りにしている。歴史に根ざした文化コンテンツとして認識されているんですね。また、厩舎の人たちも地元に積極的に働きかけて、騎手会が子どもたちの誕生パーティーを主催したり、厩舎の案内をやるバックヤードツアーなどもいつもあたりまえにやっている。で、強い馬が出れば地元の所属のまま大きな競馬場に挑戦したり、また地元出身の騎手が全国区に出世してゆけばみんなで応援する。このへん、大リーグとマイナーの関係と同じですね。あるいは、少し前までの日本の高校野球とか。

 

 でも、そういう地元と密着したスポーツとしての競馬、というのは、実は日本ではこれまで積極的に意識されてこなかった。だから、赤字になったからやめちまえ、になるし、普通の人たちもそういう意味での競馬と親しみが薄いから、じゃあ仕方ないよね、でスルーしてしまう。でも、競馬の「国際標準」とは、地元に根ざした歴史も文化も含めてのものなんですね。簡単にやめたりつぶしたりしていいものでもない。幸い、競馬法改正なども含めて、最近になってようやくそういう「国際標準」の競馬も日本で模索できる環境が少しずつ整えられてきた。JRA南関東の大きな派手な競馬場でない、むしろ福山みたいなちいさな競馬場だからこそ、先に率先してそういう「国際標準」の、いい雰囲気の競馬場にしてゆけるはずです。

 

 福山-高知の連携は、ばんえい十勝に始まった「民活」「官民一丸」競馬の、平地での新たなモデルケースになります。これまでの「お役所競馬」とはひと味違う、官民一丸で地元の文化資源として、観光コンテンツとして、ちいさな競馬と競馬場を「再生」してゆく事業。大人も子どももお年寄りもオバサンも、地元の人たちみんなで寄ってたかって、この競馬場をおもしろくしよう、という動きが、福山から全国に広がってゆくことを本気で夢見ています。これは、地方競馬のフィールドオブドリームス、なんです。

*1:記者の注文は「再生会議でおうかがいした全国の地方競馬が苦しい現状や、中四国から集客が見込め、臨場感あるレースが楽しめるなどの福山競馬の魅力、また民間を活用した運営の提言などについて改めておうかがいしたいと思います」ですと。