競馬で生きてゆく、そのキモチ

 「人サマのおカネに手を出したらつかまるじゃないですか。借金したら返さなきゃならない。でも……」

 折悪しく強まった雨脚を気にする風でもなく、手にした飲みものを軽く揺するようにしながら、その彼はこう続けました。

 「……競馬に積んである賞金だったら、いくら持ってってもいいんですよね。勝ちたいだけ勝っても誰からも文句言われない」

 だからやっぱり、こんないい商売ないですよ、ということを言いたかったのだろうけれど、それは微妙に呑み込んで口もとの微笑に溶かし込んだ。でも、その横顔には、かつて彼のいた競馬場が理不尽につぶされた時に見せていた、あのどうしようもない翳りは、ひとまずもうどこにもありませんでした。

 例年この時期に開かれる馬産地のせり市の会場の片隅、ひさしぶりにばったり顔を合わせた、とある地方競馬関係者のひとり、の現在です。

 長年仕事をしてきた競馬場はなくなっても、いまでもやはり競馬と馬に関わる仕事をしていて、その身なりやたたずまいはどこにでもいる普通の関係者でも、表情やことばの調子から、かつて競馬場の厩舎で日々仕事に追われていた頃と全く変わらない、いや、もしかしたらその頃よりもっと自由に、自分の意志と判断とで「競馬で生きる」ことを画策できるようになっているらしい、そんな気配がたとえ立ち話程度のやりとりからもありありと感じられて、ああ、やっぱり競馬って生きて存在して動いているだけで幸せなものなんだ、と改めて。

 小さな競馬、JRAの競馬だけをあたりまえのものと見る目線からすればあり得ないような条件でなお競馬という仕事を続ける地方競馬の現場の側から、ニッポン競馬のまるごとを見通そうとしてきた眼からは、通りいっぺんの大きなメディアの語り口によって映し出される「競馬」のイメージとはずれたところに、でもやっぱり間違いなくこの国の、21世紀の〈いま・ここ〉に存在している競馬の実存ってやつがあることを、いまでも日々、実感しています。だからこそ、できる限りでその手ざわりを、〈リアル〉をちいさな言葉で伝え、記録しておきたい。

 たとえば、こんな話も。今月下旬からナイター競馬を始めるあの高知競馬で、ひとりのジョッキーの結婚がささやかな話題になっています。目迫大輔騎手。28歳。少し前まで笠松競馬場で乗っていましたが、高知が事実上道を開いた形の短期移籍制度を利用して自ら志願して高知へ。後には正式に移籍することになり、今回、同僚の森井美香騎手とゴールイン、というお話です。

 わざわざ手をあげてまで、誰もが認める最も条件の悪い高知へ修業に出ようとした、それがまず偉かった。たまたま笠松時代からつきあいがある分、その間の事情や葛藤なども含めて、ある程度見知ってはいましたが、決して笠松がいやだったわけじゃない。でも、このままだと自分の先行きが見通せないままだったから、自ら進んで動こうと思った。幸い、高知へ行ってからみるみるうちに顔つきがしっかりしてジョッキーらしくなってゆき、勝負服も変えて気分一新、レースっぷりから変わって積極果敢な騎乗も身につけてきた。どんな平凡なジョッキーでも、30歳くらいまでならまだいくらでも「化ける」可能性がある、というのはあたしの持論ですが、彼の場合などもなるほど、ささやかながらそんなひとつの例だったかも知れません。

 「競馬に乗せてもらえるのが何よりうれしい」――正式に高知移籍を決めた頃、ニコニコしながらそう言っていました。目先の手当てや賞金はもうどうでもいい、ゲートから出てお客さんの前で競馬に乗れる、乗って自分の腕で勝ちにゆくことができる、そんな日々の仕事の流れに自分が身を置ける、その喜びというのはかけがえのないものだったらしい。その程度に、彼にもまた“プロ”の魂が立派に宿っていた、ということでしょう。

 移籍まで踏ん切りをつけられた背景に彼女の存在もあったらしいことは、まわりでも半ば公然の秘密でしたが、でも、決断したのは他の誰でもない、彼自身でした。そしてその決断を笠松の仲間たちも尊重して許し、また高知の厩舎がしっかりと受け止め、支えた。人と人とのことゆえ、いろいろ思惑や行き違いがあっても、最後はそのように仕事を大切にする、同じ仕事に携わる仲間をできる限り尊重し、支え、育てようとする、そんな気持ちが途切れない限り、たとえ信じられないくらいの悪条件の下でも、人はまだいきいきと仕事としての競馬に関わってゆこうとできるものらしい。そのことに、手放しで感動し、そして最敬礼します。

 ちなみに「新妻」森井騎手、地元じゃ花形の別府眞衣騎手の陰に隠れて目立ちませんが、こちらも確実に腕をあげているのは地元ファンは先刻ご承知。実際、勝ち鞍の数は現状、彼より彼女の方が上ですし。また、一時期雌伏していた彼女らと同期の山本茜騎手も、再びレースに乗るようになったようですし、いずれにせよ、JRAベースの「競馬」からすればほぼ無名に等しいこういう若い人材、未だ可能性をはらんだ馬のまわりの才能を、わが地方競馬は隠れた財産として持っていることを、もっともっと自覚して、誇っていいと思います。