この一年ばかり、民主党以下マスコミぐるみであれだけ必死に煽ってきた割にはなかなか実現しなかった「解散、総選挙」ですが、ここにきてようやく現実のものに見えてきました。
その今回の衆院選の、意外に見落とされているポイントをふたつ。まず、平成生まれが初めて選挙権を行使し得る選挙であること。もうひとつは、ブロードバンド環境が本格的に普及して以降の「民意」を、全国規模の「政治」のステージで計測する事実上初めての機会ということ。そのココロは、「戦後」が本当に終わっていたことが「政治」の水準においてさえも、誰の眼にもわかりやすくあっけらかんと示されてしまうかも知れない、ということです。
自民党は地方選で六連敗、先の都議選でもあのていたらくで、党の選対本部でさえすでに迷走状態、制御不能らしいことがあらわに。その他、これまでの「政治」の常識では予測できない事態が多々起こり始めているらしいことは、まあ、素朴に察知できます。なのに、既存のメディアを介して流されるそれら「政治」のもの言いは、未だ与党と野党、保守と革新・リベラル、権力は常に悪で政権交代こそが正義、そんな二項対立前提の図式でしかない。そんなもの、民俗学者からすれば、ほぼ都市伝説みたいな代物になっています。
なればこそ、すでに足もとでかたちになっている同時代の〈リアル〉に復讐されて初めて、それら都市伝説と化した「政治」もまた新たな、役に立つもの言いを獲得してゆくことができるというもの。「気分」であり「浮動票」といった言い方で残余として扱われていた領分が、実は「政治」のあり方をこれまでと違うものにすでに変えていたのかも知れない、そんな気づき方、悟り方をする契機になるならば、政権交代とそれに伴う政界の混乱や再編の動きもまた、明日の「良き選挙民」を鍛えてゆく良い試練になるはずです。