トップと底辺の関係

 「ニッポン競馬」と口にする時、僕のイメージする競馬には必ず地方競馬が含まれています。それに対して、普通のファンは言わずもがな、調教師であれ生産者であれ馬主であれ、いわゆる競馬関係者であっても、日本の競馬と言う時のイメージはほとんどの場合、JRAとその競馬によって形成されたものでしかないのが未だに現実です。

 この国の競馬について、もっとよりよい未来を本気で考えようとする場合、さまざまな問題が個別具体にあるのは当然として、おそらくその手前にある最も厄介な障害は、相も変わらず、それらを考えようとするわれわれの頭の中にあらかじめ刷り込まれているこの「ニッポン競馬」のイメージそのもののいびつさ、空中楼閣ぶりだったりします。それらイメージの側から視野に入らない、なかったことにされている競馬の現実。それがあまりにも大きいことを、地方競馬は無言で教え続けてくれています。

 主に休養馬を扱っている、とある牧場関係者が、先日、こんなことを言っていました。

 「中央からさがってくる馬たちを見ていると、その消耗の度合いというか、内臓や呼吸器からメンタル面までひっくるめて、とにかくギリギリまでくたびれているのにびっくりします。調教師さんは、特に何ともないから、と言って持ってくるんですけど、こっちからすれば、これで競馬使ってたんですか、という状態だったりする。さすがに第一線はそのへん感覚が違うんだなあ、と」

 それくらい今のJRAの競馬は別物、別次元の厳しさを要求されているんですよ、ということを彼は言いたかった。そういう水準で第一線の競馬が日々運営されていて、それを支えるために調教から育成、馴致の過程までも全部、以前とは違うレヴェルのものに変わってきている、その一端を自分たちも担っているんだぞ――そんな誇りがその表情にはありました。

 それは間違いなく好ましいものであり、また、頼もしくも感じられました。そんな誇りを〈リアル〉に宿してゆくのが、それがおそらくはここ20年あまりの「ニッポン競馬」の変貌のある真実、だったのでしょう。「国際化」であり、「世界に通用する競馬」であるような大文字の目標へ近づくことは、そんな個別具体での変貌を必然的にはらむものだった。特に、トップレヴェルの第一線においては。

 ならば、さて、だからこそ、です。そんな第一線を支える仕組みというのは、どのようになっているのか。背伸びしてつま先立ちで「国際化」のトップレヴェルを実現したとして、それを維持し、この先もうまく継続させてゆくための大きな背景、システムの整備というのは、どれくらい考え、手当てされているのか。僕が、地方競馬とそのまわりの現場に執拗にこだわり続ける理由には、個人的な嗜好もさることながら、そんな大きな疑問に根ざしたところがあります。

 相変わらず、馬房のあいた厩舎はじわじわ増えています。何より、もう馬主がいない。生産者も減ってゆく現状ですから、末端の厩舎の側でも淘汰が起こるのは当然で、これもまたニッポン競馬「改革」の過程でずっと予測されてきた事態です。馬の集まる厩舎とそうじゃない厩舎との「格差」はさらに広がる。主催者側では競馬を存続させたいと言っても、すでに厩舎の現場が静かに枯れ始めています。それぞれの競馬場ごとの在厩頭数や出走回数などのデータを各主催者も持っているはずですが、近い将来の競馬のありかたから逆算しての適正規模、適正市場を見越して、積極的に調整してゆく動きも今後、活発化してゆくでしょう。どちらにしても、地方競馬の現場はいよいよ本格的なサバイバルの季節に入ってゆかざるを得ない。

 なのに、ほんとにこれも相変わらずの課題なのですが、地方競馬全国協会以下、競馬エスタブリッシュメント方面の責任は問われていない。それらの組織も「改革」の過程で抜本的に再編されるはずでしたが、結果的に何とも中途半端な形で生き残ってしまっているものが多く、何やら引っ越し途中のような乱雑さが現状。もちろん、「改革」はまだ途上なわけで、政権交代があればなおのこと、また新たな動きが出てくるはずですが、それとは別に、このような現状に至った背景を静かに見てゆくと、それぞれの主催者の側がむしろそれらエスタブリッシュメント組織の「存続」を望んだ、という情けない面もはっきりある。こういう「死なばもろとも」的な、これまでの都合の悪いことがバレないように、の「共犯」まがいの関係もまた、「戦後」の競馬につきまとってきた体質のひとつに他ならない。過去は過去として清算して、よりよい未来を選択するために身ぎれいにしておく、という潔さもまた、これからの競馬の当事者たちのモラルとして求められている。

 折から、この春からナイター開催も始めたホッカイドウ競馬の売り上げが、これまで予定以上に順調なことも判明、「改革」の動きに明るい材料も加わっています。ホッカイドウ競馬と大井を中心とした南関東四場を結ぶラインを主軸として、「見えない競馬」としての地方競馬、を誰の眼からももっと見える場所に、何より同じニッポン競馬、同じ稼業を支える仲間として遇してゆくことのできるイメージの組み替えを、各関係者はもとより、メディアやファンも含めた広がりの中で粘り強くやってゆくこと。「国際化」の果実、トップレヴェルの競馬をこの先も支えてゆくシステムづくりのためには、そんな遠回りも同時に必要です。