せめて希望だけは……

 もう本当にやめてくれればいいのに――うめくような声が、あちこちであがり始めています。

 選挙で民主党が勝ったから、廃止の補償もたくさん出るようになるんじゃないのか、だったら今こそラクになるチャンスでは――そんな思惑が交錯し、また厩務員組合の周辺などから先走った憶測も乱れ飛び、とまあ、先の衆院選の顛末もまた、競馬という仕事のまわりにさまざまな余波を与え始めています。

 競馬と競馬場をつぶしにかかるのは主催者側、と相場は決まっていました。少なくとも、少し前までは。今やそれは全く逆転、どこも主催者側は積極的に競馬を「つぶす」「廃止する」とは言えなくなっている。それは昨今の経済状況も関わっていますが、それ以上に、僕などの見るところでは、政治状況の停滞とそれにまつわる競馬「改革」のよどみ具合に、どこの主催者も互いに日和見、洞ヶ峠を決め込むようになっているから、という部分が大きいような。数年前までに比べても、何か実際に事態を打開するために動く、ということが見えなくなってしまっているのが、いまの地方競馬をめぐる現状です。だからこそ、北海道と高知でナイターを始めた動きなどはなおのこと、貴重なものになっている。

 売り上げを積み上げてゆくために相互に馬券を売り合うシステムの改善、整備も遅々としてすすまず、さまざまな利権に阻まれ馬券の発売機器の規格統一すらままならないまま、各主催者同士のタテ割り意識は相変わらずで同じテーブルにつこうという態度もなかなか生まれない。何より、ラフでいいからまず大きな絵を描いてみて、これからの地方競馬はこういう方向に進んでゆくんだ、というグランドデザインをする人も部署も、どこにもない。もっとも、それは地方に限らず、かのJRAですらはっきりしないことのようですから致し方のないことではあるのでしょうが、しかし、本当にもう時間がありません。競馬の「枯れ方」について、具体的に想定しなければならない状況だけが着実に進行しています。

 多くの競馬場で、厩舎経営がすでに個々の努力の限界を超え、枯渇し始めています。馬が厩舎に入らない、つまり馬主がいない。かろうじて踏ん張っている馬主にしても、その改革はまた遅々として進んでいません。旧態依然、地元の馬主だけを優遇し、幹部にはろくに馬も持っていない「顔役」が並ぶばかりで、新たに入ってくる者に対する配慮も何もない。言わずもがな、馬を持つのはしょせん道楽、一部上場企業の経営陣が馬主として名を馳せる、というのはまずあり得ない。牧場関係者は別にして、多くは規模の大小はあれど、自営系の経営者などが中核なわけですが、そんな彼らの中でも世代交代は起こっていて、JRAの馬主会でもさまざまな動きが出てきているのに、地方の馬主会は未だ江戸時代と見まがうような化石ぶりをさらしています。

 地方にこそ、馬主資格の基準を思い切って広げる方策が必要です。年収の制限を地方競馬について言えば事実上撤廃してもいい。最低でも、今の組合馬主程度にまで個人馬主の基準を引き下げることくらいは今すぐできるはずです。馬を持って、多少の出費は覚悟の上で、それでも「馬主」という愉しみを自分のものにしたい、そんな人たちはまだ掘り起こしてゆけます。同様に、ここまで馬主が枯渇し始めている現状では、たとえば、現在の馬主資格を暫定的にでも一括管理して、必要な厩舎に配分してゆくような方策すら考慮されるべきです。

 地方競馬はすでに、JRAを中心にまわってゆかざるを得なくなっている農水省コントロールの「競馬」の世界観からは全く別もの、タテマエのみならずホンネの部分のおいてもすでに「続けたければ、ご勝手にどうぞ」という切り捨てられた存在です。生産者の淘汰も進んでいる現在、生き残った牧場とJRAとだけでニッポン競馬をまわしてゆこうという目算が一部にはあるらしい。「国際化」とは、そんな目算の上に夢想されるニッポン競馬の別名でしょうが、ならば果たしてそれは、ほんとうにわれわれの見たい競馬、なのでしょうか。

 薬物規制についても、すでに「国際化」の影響下にあります。JRA基準で一律に厳しいものにしていった結果、一部ではかえって厩舎の経営を圧迫しているような事態も。いわゆる「不正」につながるような薬物使用でなく、なけなしの在厩馬の稼働率を何とか維持しようとするための治療でも、昨今の「国際化」の風向きでは難しくなっている。虎の子の在厩馬たちもひと開催二走づかい、三走づかいがあたりまえになっている末端の競馬場の状況では、いたずらに疲弊し消耗してゆくばかり。いかに理想は高邁で立派でも、本末転倒、「国際化」で小さな競馬が窒息してゆく現実は、僕には見過ごせません。

 海外の競馬場のように、パドックでファンと調教師がやりとりをし、馬上のジョッキーともラチをはさんで気軽に声を掛け合うような雰囲気があたりまえになり、やれ「八百長」だ、「公正」が阻害された、などといった為にする足の引っ張り合いでない競馬が、まさに「国際標準」で実施できるようになるならば、JRAとはまた別の、地方競馬ならではの「小さな競馬」の国境の越え方もまた、してゆけるはず。

 向こう数年内に、今ある地方競馬の多くは立ち枯れてゆくでしょう。起死回生の策があるとすれば、JRAが地方競馬で馬券を売るという「切り札」をどこで切るか、それしかない。その判断を政策的に行うだけの器量がJRAに、ニッポン競馬のエスタブリッシュメントに果たしてまだ残っているのかどうか。希望だけはまだ捨てないでいたいと思っています。

 長い間、ご愛読いただきました「競馬虚空像」、今回でいったん大団円、になります。思えば五年半、こういう場を与えていただいたことを改めて感謝します。ありがとうございました。どこかの小さな競馬場、あるいは牧場などでまたお目にかかれることを。ごきげんよう