自民党≒限界集落、説

 「限界集落」というもの言いがあります。過疎がさらに進んで高齢化と合わせ技のどんづまり。近世以来のニッポンの「ムラ」の断末魔、です。

 失礼ながら自民党、もしかしてこの「限界集落」状態なのでは?

 ああいう結果の衆院選、「戦後」で「昭和」な老体ばかりが生き残り、結党以来の危機なればこそ、総裁選は百家争鳴のはずが、若い衆は左見右見で腰が据わらず、意気覇気元気、はちきれるような青年客気など見当たらない。まるで田舎の公務員のようです。

 今回の選挙で表現された「民意」をざっくり言えば、既得権益血税垂れ流す手合いはこれ以上許さねえ、つまり公務員、まずてめえらだ、でもってそれをどうにもできない今の与党ももう勘弁ならねえ、でしょう。つまり、総裁自ら「自民党をぶっ壊す」と宣言して大勝したあの小泉改革郵政選挙の時から「民意」は見事なまでにぶれていない。なのに、ああ自民党、この期に及んでなお、そのことがまだよく身にしみていなかったとは。

 「世代交代」は与野党問わず、いや、官民越えた時代の必然です。高度成長期に生まれ育った世代、50代から下が否応なしに舵取りせざるを得ない現在。もちろん、あぶなっかしいことこの上なし、民主党の、特に若手議員のあやしさは言わずもがなですが、それは自民党の若手も実は同じ。思想信条や政策以前、それらが宿る生身の身体が宿した「世代」の問題です。それでもなお、彼らに托すしかなくなったのが現在ならば、腹くくってその「世代」を手当てする方策を共に探るしかない。この先、ニッポンに生きることの困難とは、案外そんなところにあったりするようです。