ちいさな競馬に腹くくれ

 もうあんまりいじめないでくださいよ――オトナの社交辞令含みの苦笑いをしながら、でも声の調子はある程度まで本気でしたが。

 本欄でよく言及する「競馬エスタブリッシュメント」、ニッポン競馬に責任ある立場にある組織に属するひとり、と言っておいていいでしょう。たまたま行き合ったある競馬場でのことです。 「お役所競馬」がもうどうにもならないのはオーツキさんたちに言われるまでもなく自分たちがいちばんよくわかってるんですから。自分たちだって何も黙って見ていたいわけじゃない、競馬が好きだし何とかしたいのは本当ですよ。でも、いまのこの状況じゃ何もできないんですよ、情けない話ですけど。

 正直だなあ、と思いました。いや、本当に。そして、その通りなんだろうなあ、とも。

 でも、できれば、どうしてそのことをもっと早く、組織ぐるみで大きな声で、ファンも含めた競馬の世間に表明できなかったのかなあ、とも。

 これまでのニッポン競馬がここまで発展し、やってこれた、それは少なくとも「戦後」に関しては、JRAだけでなく地方競馬もひっくるめておおざっぱに言えば、「お役所競馬」の成果だったという部分は間違いなくあるでしょう。このあたしでさえ、そのことは正当に認めます。でも、そのやり方ではもうどうにもならなくなり始めているらしい、そのことに少し前からおそらく気づいていた人たちというのは確実にいた。なのに、ならばどうする、という対策が打てないまま事態だけがズルズルと悪化していったというのが、およそのところなのでしょう。

 大阪府の巨額の財政赤字が、何とかバランスできそうだ、という報道が出ていました。毀誉褒貶激しい橋下徹知事の蛮勇が、結果的に功を奏したということで、府民の圧倒的な支持率がそれを裏づけています。と同時に、当事者である府の職員たちの心ある人たち、とりわけ若い世代が知事の施策を支えたということも。役人vs民間、という図式とは別に、実はこれ、この場でこの先まだ何十年も生きてゆかねばならないと腹くくった人かそうでないか、という大きな「格差」が横たわっていた、ということだと思います。

 「シロウト」の橋下でもこれくらいやれたのに、「プロ」も含めたいままでの知事は何をしていたんだ、という声も当然出てきます。橋下知事の施策は、彼が「シロウト」だったからこそできた思い切った施策だったことは間違いない。ならば、同じことを競馬の世界でいっちょやってみよう、という発想が、ここまで事態が悪化していてなお、どこからも出てこないのか。

 競馬が儲からない、ということ自体、素朴にあり得ません。控除率25%を法律で保証されている公営ギャンブル。いくらギャンブル自体がレジャーとして衰退しているとは言え、「胴元」の取り分がこんなに多いのに、赤字のまま推移するということ自体、まずおかしい。同じく最近物議を醸している「かんぽの宿」の一件じゃないですが、どこの競馬場でもいい、仮に民間の事業として評価するならば、どれくらいの資産価値があるのか、累積赤字を別にして、直近10年間くらいの実績ベースで一度シミュレーションしてみたらどうでしょう。

 繰り返します。競馬が赤字なのは、競馬自体がダメになったのでは絶対にない。競馬のやり方、これまで通りの運営の仕方がまずいというだけのことです。ならば、そのまずい部分をできるだけすみやかに是正してゆけばいいだけのこと。なのに、いや、それはできない、これは手続き上問題が、と「やれない」理由ばかりが先立つのが現状。役所や学校、いや、ニッポンの組織の末端が最近何かと口にする「何かあったら困る」というのと同じ、「やれない」ではなく「やらない」ための言い訳に過ぎないことは、そう言っている当事者がいちばんよくわかっているはずです。

 みんなが競馬の当事者になること。自分たちひとりひとりが、競馬を経営する気持ちになること。みんなで儲けて、売り上げを伸ばして、そうすれば競馬に携わる者全てがしあわせになれること。その「みんな」とは、競馬で食っている厩舎関係者や主催者などだけでなく、競馬をこれまで楽しんできた、そしていまも楽しむことを知っている広い意味でのわれわれ「ファン」も全部ひっくるめて、のことです。

 農業や工業と違う、突き詰めれば「なくてもいい」のが競馬です。だから、どうしても優先順位があとまわしになる。けれども、「なくてもいい」と思われてきたものがないことの意味は、それが現実になくなって初めて、ああ、こういうことか、と思い知る、それが常です。文化とは、眼に見えない、形にならない価値とは、いつもいつの時代もそんなもの、です。

 とにかくいま、競馬に携わる者誰もが、どこかに頼む、お願いする、という態度をまず棚に上げること。国であれ、JRAであれ、農水省であれ、どこか大きなもの、エラいところにお願いして助けてもらう、それはもうあり得ません。同時に、JRAや大井のナイターなどのきらびやかな競馬だけを雛型にする発想も棚上げして、逆に地方でないと、ちいさな競馬場でないと見ることのできない競馬を具体的に考える。あの旭川旭山動物園のやり方です。自分たちで、自前で、この儲かるはずの競馬をちゃんと儲かるようにメインテナンスをし、再びうまく動かしてゆくこと。地元ぐるみで競馬を地域活性化の素材にしてゆくこと。競馬と競馬場を、広い意味での「観光」資源として、地元の自治体から地域で活用してゆくこと。懸案の連携事業というやつも、その手前でまず、そういう覚悟をして腹をくくった地元と競馬場がまずあって、初めて本当に現実の話し合いが可能になってくるはずです。