追悼・平岡正明

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 いつの頃からか、「趣味? 革命」と言ってのけるようになっていた。「革命」と「趣味」との間の、かつてあり得た距離感を前提にしないと、この男前ぶりはわからない。そして、それを敢えて腕力一発、ぐいっ、と手もとで引き寄せようとする天衣無縫と、読後かすかにたゆたう愛嬌こそが、平岡正明の身上だった。

 無冠のもの書き渡世の常、くたばっちまえばそれまで、一緒くたに「評論家」で片づけられちまう。上等だ。斎藤緑雨賞やら何やら、同情のかけらもないとりまきが晩年、投げ銭よろしくくれてよこしたガラクタなど、この際、まとめて忘れちまえ。かつて「革命」にうっかり激発、アメ車も裸足で逃げ出す大排気量で常に軽挙妄動、ところ構わず全天候走破したこの稀有で無頼な知性の軌跡はそれ自体、いまや地に堕ちちまった「革命」を瀕死、かつ最高の水準で転生させんとひとり踊り続けた生涯一「左翼」、まさに奇跡のごとき存在証明だった。

 60年安保を戦後派若い衆として経験、谷川雁イカれて思想界隈にさっそうと登場、モダンジャズと革命を結びつけ、新世代のアジテーターぶりを存分に発揮、じきに犯罪からルポルタージュ水滸伝経由で「三馬鹿」揃い踏みの窮民革命論、と戦線を拡大、筒井康隆山下洋輔トリオに赤塚不二夫タモリ大藪春彦山田風太郎に、もちろん極真空手と大山培達、そして山口百恵を全身全霊でリスペクトしたあたりがひとつの絶頂。その後、歌謡曲から河内音頭をくぐって浪曲、新内へとさしかかるあたりで一気に「歴史」へと沈潜、ハマは野毛の大道芸に入れあげ、案外しぶく古書にも惑溺して、その語り口もまためでたく円熟の過程に入っていった。一族に伝わる江戸の町人気質、宿った遺伝子の発露だったのだろう。

 活字に身体はこのように宿り得る、そのことを一貫して実践し、証明し続けてくれた書き手だった。「芸」という言い方で、ここは許してくれ。そう、「芸」のある書き手、生身の気配の伴ったずしりと手応えある書き手の身体を、活字を介して目の前にありありと立ち上がらせることのできる稀有な才能、だった。

 繰り返す。「芸」である。だから、単体じゃ成り立たない。読み手との関係性に宿る、とりつく、そんなものだ。晩年、ジャズも落語も、本来は守備範囲外のはずのマンガでさえも、こわれたレコードのように同じ引き出しから繰り返し取り出して、しかしそれでも執筆=上演のたびに確実に「芸」として磨きがかかってゆくことに、ひそかに舌を巻いていた。ただ、悲しいかな、まわりにたむろする愚物には、その「芸」を真正面から受け止める器量はとうに雲散霧消。だから、通夜をやったさ、ひとりっきりで。好みの豆を挽いてコーヒーを淹れ、山ほどあるその著書を引っ張り出してまわりに並べたにわかの獺祭、気に入った一節をなるべく低く、静かに声に出して詠み、ゆっくりと味わった。BGMはパーカーと虎造、百恵とJB、三波春夫にスサーナに山下洋輔トリオ。趣味が悪い? なんの、これぞ正真正銘、「左翼」趣味最高水準の満艦飾ってもんだろうが。

 ともあれ、平岡正明、その永久革命の度胸千両、このご時世になお、およばずながらわずかでもこの身に引き受けられれば、まず本望。ずいぶん前に貸したまんまの高橋お伝の局部写真は、ささやかながら香典代わりに。