記者クラブ「開放」の是非


● 記者クラブ、いる? いらない?

 なんでおれに訊こうと思ったの。ほかと違うこと言いそうだから? じゃあさ、なんでみんなおんなじような答えになると思う?*1

 いや、総論は賛成なんですよ、上杉隆氏とかの言ってることには。記者クラブがおかしいなんてことは、みんなわかってんの。だから開放しろってのは「正しい」んだけど、でもさ、そんなこと二十年以上前からさんざん言われてんじゃん。百年前から変わってねえじゃん。だったら、なぜ今まで変わんなかったのか。変わんなかったことには何か理由がある筈でしょ、現実的な理由が。

 クラブ開放を主張する連中がそこに踏み込まないのは、それをやると自分たちの足下に眼を向けなきゃいけなくなるからで、彼らはそこを見ようとしない。自分と関係ない言葉をどれだけハンドリングするかで躍起になってる。どこ捜しても“現場”の言葉がないんですよ。本来は〈リアル〉が欲しくて這い回る商売の筈なのに、そういう生々しいことに触れずにインテリの“大文字の正義”を振りかざす。メディア対官僚、メディア対政治家、どっちも「正しいこと」を空中戦で言い合ってるだけじゃねえの。優等生の勝ち組同士のお遊びディベートでしょ、あれは。

 

● 記者会見、どうする?

 そもそも、民主党が大臣会見を開放したとかしないとか、おれたちには関係ないよね。「市民的にオープンに」とかなんとか言うけど、「市民」なんてどこにいるのよ。「オープン」とか、そんなん本気で求めてる奴、どこにどれだけ実在するかっての。

 記者会見を開放して、何かがよくなるの? あれ、政権交代と同じだと思うんだけどね。とにかく交代すりゃよくなる、って思わされてたわけじゃん。でも、代えてみたら言わんこっちゃない、自民党と全然違わないじゃん。記者会見の話、それとまったくおんなじ。開けばよくなるって、本気で思ってる? 「正しいこと」やったらほんとによくなると思う? たとえば、『北方ジャーナル』はああいう閉鎖性を批判してるわけ? でも自分たちが会見に参加できるようになったら、絶対そのうち記者クラブの連中とおんなじことするよ。政治家と癒着して、同業者と談合するよ。今ある「正しい」が空論だっていうのは、そういうこと。語る時、常に except me なんだよ。会見で飛び交ってる言葉も、全部そうじゃん、取材するほうもされるほうも。

 なぜ開放が唯一無二の正義であるかのように言われるのか、まずそこがさっぱりわかんないね。ほんとに、あの政権交代と同じなんだってば。

 

● メディアって何?

 何でもいい、生々しい手触りが欲しくて現場をうろちょろするんでしょ、本来は。「ジャーナリスト」なんて片仮名使ってるけど、そんなん「もの書き」でいいじゃん。「取材」なんて「調べ物」でいいじゃん。ジャーナリズムの「責任」とか「使命」とか、そんなもん誰も頼んでないのに、てめえで勝手に使命感持たれても困るって。なくても生きていけるじゃないですか、新聞だのテレビだの。生きてくのにそもそも必要ないよ。

 記者クラブ・記者会見の話題でひたすら「正しいこと」ばっかり言い合ってるのはさ、要するにそういう世代が今、政治家とか官僚とかジャーナリストとかをやってるってこと。だからこれ、世代論なんですよ。いい成績で学校出て、たまたまジャーナリストやってます、たまたま公務員やってます、政治家やってます、って。そいつらは互いに交換可能なんだよ。銀行と商社と新聞社を同時に受験して、採用された所に入っただけ。単に選択肢の一つだよ。普通の人たちから遠く離れた所でジャーナリズムだの使命だの言ってられるのは、たまたまデカい会社で喰えてるから。ルポとかノンフィクションなんて、ほんとは売れないじゃん。今いくつ? 四十代前半? いま四十代でフリーで頑張ってるのって、たいていカミさんが稼いでる人だよね。

 一度も躓いたことなくて、誰にもツッコまれないまんま来た奴が、いまジャーナリストとか政治家とかで喰えてる連中でしょ。そんな場所で「クラブを開放していろんな意見を」なんて、戦後民主主義の妄想の結晶だよね。「お前らごときの意見にどんな価値があるんだ」って、ちょっとは自分にツッコもうと思わんのかな。民主党なんか、もう自意識がおかしい。政権まるごと発狂してる。

 普通の世間の中に下りてこないと見えないもの、たくさんありますよ。今もう新聞が危ない、テレビも危ない。船がデカいと自分が浸水してんのに気づかないから、中の連中は「まだ大丈夫、傾いてねえや」と思ってる。でも、時間の問題なんだから。そうなると、足腰のないエリートはそんな仕事すぐ辞める。やつらは逃げられるもの。こうなったら、報道の地位をもっと下がればいい。それでも残る奴は残るんだよ。給料安くなって社会的ヒエラルキーが急落したら、もう根っからのもの書きで「取材して〈リアル〉に接してなきゃ生きてけない」っていう因果な奴しか残らなくなる。そうなったら、やっと少しは面白くなる。

 世の中には、取材でようやく自己回復になるっていう奴もいるんですよ。取材することで自分が変わるっていう奴はまだ救いがある。それって仕事じゃないのよ。イラクで人質になっていようと自宅に一人で引き籠もっていようと、今お前のいる所が“現場”なんだって。そういう〈リアル〉を言葉にできる奴らが生き残っていたら、たぶん面白くなる。

 民俗学柳田國男が、晩年に「なぜ日本は戦争に敗けたんでしょうか」って訊かれた時、こう答えたんですよ。「それは“言葉”がなかったからだ」――。これ、今とまったく変わんないよね。

*1記者クラブ開放についての特集の一角。例によっての「リベラル」(笑)系の能書きばかり並べる物件に取材していた記者が、さすがにムカついてこちらにお座敷が……だったらしい。http://hoppojournal.kitaguni.tv/e1610115.html