「競馬法改正」と地方競馬の現在


 

● はじめに

 現在、日本競馬の置かれている状況はきわめて厳しい。

 90年代末から顕著になってきた売り上げの長期低落は今なおとどまらないばかりか、2005年から施行されている改正競馬法の実もあげられないまま、相変わらずJRA(日本中央競馬会)の競馬とそれ以外、地方自治体などが主催する地方競馬とが乖離した状況である。加えて、一見これまでと変わらず隆盛のように見えるJRAですら売り上げの減少に底が見えないまま加速を続けており、まして、一時期「ドミノ倒し」とまで言われ廃止、開催休止する競馬場が続出した地方競馬については言わずもがな、メディアも含めた一般の世間にはほとんど認知されていないが、中央・地方あわせた日本競馬全体としては総じて共倒れの傾向のまま、抜本的な対策の動きも出せずに推移しているのが悲しいかな、現状である。

 敢えて距離を置いたところで言えば、それは「戦後」システムの中で安定した成長を見せてきたこれまでの日本競馬が、新しい時代環境に対応できなくなっている過渡期の混乱である。さらに視野を広げれば、それはプロ野球や大相撲といった、広義のプロスポーツ、興行の要素もからんだレジャースポーツのあり方を規定する社会的、制度的、同時代的な前提が変貌しつつあることとも関わると思われる。それらについてはまた別途機会を得て論じてゆきたいが、ここではひとまず競馬法改正とは何だったのか、その結果、日本競馬にとって何が可能になったのか、そこに至る過程を整理し、問題点を示してみることにする。そして、広義の「観光」という脈絡も含めて競馬、特に地方競馬地域再生のコンテンツとして見直そうとする場合、どんなことが現実にできるのかについても、若干の考察も加えてみたい。

 


●● 競馬法改正、とその「初志」

 今回の競馬法の改正は、参議院競馬推進議員連盟(通称「競馬議連」)によって推進され、行われてきた。当時の与党である自民党所属の参院議員が中心になり発起された超党派の議連で、代表は青木幹雄氏。この議連が中心になって策定した改正競馬法は2004年の通常国会で承認され、すでに2005年1月から発効しているが、しかし、その内容はその「改革」の初志からすると中途半端なものに終わっていて、本来あるべき形からすれば道半ばである。と同時に、そこに至る経緯も、またその「改革」の意味も、一般の世間はもとより、当の競馬関係者においてさえも十分に理解されているとは言えない。*1

 まず、当初の段階で構想されていた競馬法改正の方向性とは、おおむね以下のようなものだった。

地方競馬が一場完結型で運営していける時代が終焉したことははっきりしており、今後ますます少子高齢化が進展していくなかでは、馬産地の北海道は除き、後背地人口がせめて1000万程度はある地域に通常開催は集約(地方の統廃合)し、統廃合の対象となる地方では、競馬文化を衰退させない意味で年間一、二開催をお祭り的に実施するにとどめ(もちろん其処でもJRAとの相互発売等を行う)、経済合理性を最優先したシステムに組み替える。今の地方競馬は「船頭多くて云々」の状態であり、これを改めるため地方の主催機能は別途一元化することが必要と考える。各地方競馬場は、本社の発展のために利益を上げる「支店」とすることで、無駄のない効率的な民間企業的経営を実現できうる。この場面でも日本競馬全体の発展を考慮したコントロールタワーの指導が欠かせない。」*2

 一見してわかるように、JRAでなく地方競馬こそがこの「改革」のメインターゲットであり、それは日本競馬そのものを下支えしてきた北海道を中心とした馬産地の「改革」にもつながる、そんな骨太の初志だったと言える。

 

1.  全国規模での主催者の統廃合(再編)が必要

 

・従来の「連携・協調」では経営体力のない主催者は限界が見えている

 

・存続の意思の明確な主催者が集まって広域の一部事務組合(または広域連合)を組み、全国統一的な「地方競馬」を運営。

 

・競馬の「興行」においては、世界の中でもJRAの興行システムが最も優秀と評価されており、競馬先進国のアメリカでも近年、JRAに範を取った全国統一的な組織を立ち上げ、競馬人気の盛り上げに繋がる取り組みを進めている(アメリカでは競馬場ごとにオーナーがおり、それぞれの方法で運営されている)

 

・収益については拠出額に応じた配分とする(赤字の場合の負担も同様)

 

※そのメリット

経営資源を集約することでスケールメリットを出すことが可能。効率的・効果的な投資や業務の重複排除・効率化を実現できうる。

 

・競馬に精通した、意欲あるスタッフを揃えたプロ集団が組織できうる。現在の地方競馬は、北海道をはじめ大半の主催者においてスタッフの「商品知識」がファンより断然乏しく、そのニーズに応えきれないという一般企業社会では考えられない弱点を有しているが、その点が解消されれば必ず経営体質の強化に繋がるはず。

 

・現在は全国バラバラのローカルルールやクラス編成(馬の能力別ランク分け)、賞金体系などを一本化することでファンに分かりやすい競馬興行にできる。

 

・競馬の一番の「商品」である「スターホース」「スタージョッキー」を共有でき、JRAのそれを交えた馬券売上の見込める「チャンピオン決定戦」を施行しやすくなる。競輪の持ち回りビッグレース「ふるさとダービー」的なレースを推進していくことが、ファンを引きつける重要なファクター。「組織のカベ」がなくなることで、経費負担の面も含めてプロモートがしやすくなることは間違いない。

 

・システムを統一することで発売する馬券の品揃え等も統一できる。

 

・最も効率よく売上を伸ばすための発売システム・方法が構築しやすくなる。

 

・全国で統一的なPRが可能になる。ターフ(芝)の中央、ダート(砂)の地方というイメージを確立できれば、ファンの関心を常に集めることも可能。

 

2.  JRAの発売網の開放(発売面の相互乗り入れ)

 

・すでにJRAは一部地方競馬でG?競走を中心に発売しているほか、近々兵庫県競馬組合姫路競馬場で日曜日にJRAの全レース発売を実施するなど、地方競馬が中央の馬券を発売する仕組みは徐々に進展してきている

 

地方競馬は、ファンの注目が集まり多額の売上が見込めるレース資源(主にJRA交流重賞)が限られているだけに、JRA発売網の開放は、地方の売上増大には最もインパクトのある施策の一つといえる

 

3.  主催者の全国統一が出来ない場合は、JRAも含めたなかで発売・情報提供(オッズやレース映像など)を一括して担当する専門会社の立ち上げが必要。

 

・日本が一番遅れているのは、ファンが買いたいレースはあちこちに転がっているのに「組織の壁」が立ちはだかって「何処でも手軽に買える環境」が整備されていない点。その改善・解消が何よりも急務と言える。」*3

 

 改めて、これは疲弊した地方競馬の「改革」であり、それによってJRAを頂点とする日本競馬のシステムを新たな時代に対応すべく再編成してゆく、かなり抜本的なものだったことがわかる。特に、馬券の発売に関して、JRA地方競馬を統合してゆく方向性を示していることは、それまで何度か取り沙汰されてきていたものの、法改正も含めた過程までとてもたどりつかず夢物語になっていた構想を、実際の過程に乗せる意味で大きな意義があった。

 これらの「初志」から、その後実際の法案が整えられてゆく過程で何がどう改変され、どこが抵抗してどう骨抜きにされていったのか。これは、当時の小泉政権下の「構造改革」一般のケーススタディとしても興味深い。

 まず、2004年4月13日、参議院の農水委員会に改正競馬法案が提出された際の趣旨説明。

 

「この法律案の主要な内容につきまして、御説明申し上げます。

 

第一に、競馬の実施に係る規制緩和等であります。具体的には、日本中央競馬会都道府県、市町村又は私人に、地方競馬主催者は他の都道府県又は市町村に加え日本中央競馬会及び私人に、競馬の実施に関する事務を委託することができることとしております。(…)第二に、地方競馬主催者に対する必要な支援であります。具体的には、地方競馬主催者が事業収支改善計画を作成し農林水産大臣の同意を得た場合には、地方競馬全国協会への交付金の一部の交付を猶予することとし、競馬事業から撤退した場合には、農林水産大臣の同意を得て、猶予された交付金を競馬事業からの撤退に必要な経費に充てることができることとしております。また、地方競馬主催者は、競馬連携計画を共同で作成し農林水産大臣の認定を受けることにより、当該競馬連携計画に基づく事業につき地方競馬全国協会の補助を受けることができることとしております。さらに、地方競馬全国協会が行う競馬連携計画に基づく事業に対する補助業務及び競走馬生産振興業務に必要な資金を確保するため、五年間に限り、地方競馬全国協会の勘定間の繰入れを認めるとともに、日本中央競馬会から地方競馬全国協会へ資金の交付を行うこととしております。(…)

 

以上がこの法律案の提案の理由及び主要な内容であります。何とぞ、慎重に御審議の上、速やかに御可決いただきますようお願い申し上げます。」*4

 

 さらに、この法案が国会で承認された段階での2004年11月19日、農林水産省が行った記者会見の中で配布されたメモ(俗にプレスリリースと呼ばれているもの)の中から、この競馬法改正について言及した部分。

 

「1.競馬の実施に関する事務の私人等への委託、重勝勝馬投票法の導入等、競馬主催者が自主的に事業収支改善を行える範囲の拡大。

 

2.地方競馬主催者(都道府県又は指定市町村)が事業収支改善計画を作成して行う事業収支の改善に対する支援等、地方競馬主催者の事業収支改善努力を支援するための措置の導入。これに伴い、競馬主催者が私人等に委託することができる競馬実施事務の範囲、重勝勝馬投票法の勝馬投票券の発売方法等を定めるほか、所要の規定の整備を行う。」

 

 これは、いわゆる第三セクター方式の競馬限定版、という言い方をして総論、間違いではないだろう。ただし、通常の第三セクター方式ならば、「民間」の部分は株式会社や有限会社の形をとることが多く、また一般通念としてもこのような形を第三セクター方式と認識しているはずだが、刑法の例外規定として賭博に関わる業務を運営することになる競馬の場合は、そこにひとつ制限がかけねばならず、その結果が「公益法人」という表現になったと解釈していい。「公正確保」というもの言いが陰に陽にこの部分に関わって作用してきていることも含めて、賭博=ギャンブルを「公」=パブリックセクターの手で主催、運営する、という「戦後」システムの中の日本の「公営競技」の特殊性と根深く関わっていることも指摘しておきたい。

 ちなみに、その後公益法人法も改正されているが、当時進められていた「特殊法人改革」の一環としてJRA以下、競馬関連諸団体の改変も想定されていたことが、この時期の競馬法改正の背景にあった。当初の競馬法改正の過程でこれら公益法人法の改正も同時に進行していた関係で、法案にはこれら法人格の規定の変更も視野に当然入っていたと考えていいだろう。

 同じく同日配布されたメモから、「競馬実施事務委託制度の整備」と銘打たれた概要の一部。あわせてみると、この「改革」が法案という形で表現された際の現実的な意図や思惑がある程度、透けて見える。

 

 「地方競馬主催者は、他の都道府県若しくは市町村、日本中央競馬会又は私人に、競馬の実施に関する事務(勝馬投票券の発売・払戻金の交付、競馬場内・場外設備内の取締り又は入場料の徴収など)を委託することができることとする。また、地方競馬主催者は、農林水産大臣の承認を受けて、他の都道府県若しくは指定市町村又は「競走の実施に関する事務を行うことを目的とする民法第34条の規定により設立された法人」に競走の実施に係る競馬の実施に関する事務を委託することができることとする。」*5

 

 ポイントはふたつ。まず、地方競馬の主催者は、他の自治体やJRA、あるいは「私人」に、競馬を実施する際の事務をやってもらうことができる。その事務というのは具体的にはたとえば、馬券の発売や払い戻し金の交付や場内警備その他、にあたるとされる。

 そして同時に、「競走の実施に関する事務を行うことを目的とする民法第34条の規定により設立された法人」=「競馬のために設立された公益法人」にもまた同様に、実際の競馬開催業務の大事な部分=競走の実施に係る競馬の実施に関する事務」を委託することができる。その「大事な部分」の中味というのは、番組の内容だのレース体系の編成だの、まさに競馬そのものに関わる部分である。

 つまり、それまで「公」=パプリックセクターが主催することで「公正確保」が確実に担保されるという前提で例外的に認められていた公営競技=賭博を、ある一定の条件つきで「公」以外の団体が関わって運営することが認められた、ということになる。一部でキャッチフレーズ的に流通していた、競馬の「民営化」、というのは、まさにこの部分に根拠づけられていた。

 だが、これはその一方で、県なり市なり地方自治体の財政から資金を提供して競馬を運営する、というこれまでの地方競馬の形態から、財政のパイプを制度的にまず切ってしまう、ということでもあった。累積赤字の解消など夢のまた夢の状況のまま推移している、「かつてのように金の卵を産まなくなったニワトリ」と化した地方競馬の状況からすれば、監督官庁としては当然、考え得る施策だっただろう。

 こういうことだ。競馬はJRA(の売り上げ)だけあって国庫納付にまわる資金が確保できればそれでいい、地方競馬についてはもう直接的にも間接的にもパブリックセクターは責任を持たなくてもいいようにするから、各主催者が地元の事情で自己判断、自己責任で存続するなり廃止するなりどうぞよしなに。それは、地方競馬はもう「公益法人」という形に組み替えた主催者に変えて、赤字に苦しむ自治体は“お荷物”をおろせるようにします、ただしそうなったら主催者はもう地方自治体とは別物だから、競馬を続けるのなら今後は自分の儲けられる範囲で自己責任でやってください、補助金だの何だの「公」(というか、JRAの儲けた資金からのさまざまな経路を介した下位還元)は今後、アテにしてもダメですよ、というに等しかった。小泉政権下の「民営化」のスキームが競馬に適応されようとし、それに対して官僚が政策的に骨抜きにしつつ対応した結果だったことが改めてよくわかる。「構造改革」が錦の御旗となっていた当時の状況で、それを逆手にとりながら政策的改変を巧妙に「改革」の装いの下にしのびこませてゆく、という官僚的手練手管の発露ではあった。

 


●●●「改革」の実際――ばんえい十勝、他

 その後、前述の「初志」に含まれていた各地方競馬主催者のコントロールセンター構想や、JRAとの馬券の相互発売システムの整備、などは遅々として進まないまま、周知の通り、昨年夏の衆院総選挙で政権交代がもたらされ、競馬議連が中心になって行われてきた「改革」のその後は、事実上頓挫、店ざらしにされている。*6

 そのような現状で、日本の競馬施行者、主催者でこの競馬法改正の趣旨を最も反映させて「改革」に邁進しているのはまず、ばんえい十勝である。馬券の発売に関してはオッズパークを、現場の運営についてはソフトバンクプレイヤーズをそれぞれ介在させて、この改正競馬法を有効に利用することを行っている。*7

 ばんえい競馬は、日本の競馬の中でも特殊な存在であり続けてきた。地方競馬のコントロールで、調教師や騎手の免許も地方競馬全国協会(NAR)が発行しているが、その他の平地の競馬と全く異なる開催形態で、使用する馬種もファン層も通常の競馬とは別のものになっていた。2000年代に入ってから、累積赤字と売り上げの低迷でご多分にもれず「存廃」の議論になり、この時点でばんえい競馬は帯広市旭川市北見市岩見沢市の四自治体が共同で主催者を編成していたが、ここから帯広市以外の自治体が順次、主催者団体から脱退する意向を表明、経営的にも状況的にも帯広市単体で開催継続することの困難から、2006年秋の段階では「廃止」やむなし、というところまで追い込まれていた。それが当時の故中川昭一農水大臣と競馬議連の下支えもあって急転直下、存続へ向けて舵が切られ、ここで改正競馬法の趣旨を生かした「民営化」の最初の試みへと踏み出されることになった。*8

 ここでソフトバンクプレイヤーズが乗り込んで行われた「改革」は、改正競馬法を具体的に反映させようとした動きに他ならない。それと共に、現場の厩舎関係者が全力でそれを支え、自ら汗をかいて競馬の存続に直接携わるようになったことはもっと評価されるべきだろう。売り上げをめぐる状況は単年度黒字に転換させた「民営化」初年度(2007年度)を別にして、現在も苦戦が続いているのは確かだが、何より、地元の人たちにとって競馬があることの意味を周知したことの意義は大きい。特殊な開催形態の競馬ゆえ、かんたんに場外発売を全国規模に広げにくい事情があるのは致し方ないが、少なくとも入場人員は初年度程度を維持したまま推移、売り上げに直接反映されないまでもファン層の拡大と競馬そのものへの関心の持たれ方はそれまでと格段の変化が起こっている。最低限、以前のように「赤字だから廃止もやむなし」といった論調が地元で安易に形成されるような状況ではなくなったことは、地域の下支えが今のような逆境の地方競馬になお、可能であることを示した事例として評価するべきである。

 同じ北海道の平地競馬であるホッカイドウ競馬もまた、岩手県に次ぐ全国ワースト2の多額の累積赤字に苦しんできた。「存廃」議論も何度も起こり、年限を決めて収支均衡が達成されなければ廃止というところまで追い詰められていたが、ここもばんえい十勝の「改革」に刺激されたこともあり、「馬産地競馬」を標榜、主催をそれまでの道が直接コントロールする形態から、新たに設立された北海道軽種馬振興公社に移管、ばんえい十勝ほど明快ではないものの、準「民営化」的な路線でそれまで動かなかった「改革」を少しでも前へ進めた。特に、賃借料など経費で大きく負担になっていた旭川競馬場での開催を断念、開催を門別競馬場に集約して経費を節約し、新たにナイター設備を施して夜間ナイター開催を中心に場外発売を充実させてしのごうという戦略は、以前から叫ばれていながら現実化しなかった変化を具体的にした意味で注目される。*9

 もうひとつ、高知競馬にも触れておきたい。高知競馬は高知県競馬組合が主催者となって運営されてきていたが、地方競馬の中でも早い時期にその経営状況が悪化し、「まっさきにつぶれる競馬場」と思われていた。それが、現場の厩舎関係者の捨て身の姿勢と県側主催者の努力があいまってかろうじて存続、昨年秋からは念願のナイター設備を完成させて全国初の通年ナイター開催を実現、売り上げも一昨年の状況からわずかながら増加を見せている。開催経費の圧縮、削減という意味では、全国で一番「血を流してきた」競馬場と言ってよく、改正競馬法の「改革」のポイントのひとつである「連携」の実を、南関東での場外発売などを通じてあげていることなど、座して死を待つ体の主催者も未だ少なくない中、前向きなアクションが眼につくだけでも素晴らしいことと言える。

 


●●●●「改革」のために今後、必要なこと

 このように不完全ながらとりあえず施行された改正競馬法の下、今後さらに「改革」を進めるためには、どのようなことが必要だろうか。

 まず、前提として確認しておきたいことは、控除率25%(現状での上限)を競馬法で規定されている日本の競馬興行は、普通にビジネスとして考える場合、赤字になる道理はまずない、ということである。パブリックセクターがコントロールすることで発展してきた「公営競技」としての競馬は、他の競輪や競艇オートレースと比べて開催、運営に経常経費がかかるのは事実だが、逆にその分、地域に根ざした部分が大きく、競輪などのように安易に「廃止」を決断できない事情もある。何より、馬産という本来は農政に関わるはずの領域が密接にからんでいる分、その他の「公営競技」とは根本的な存立基盤が異なっている。*10 カジノなどと同様、専門的な興行ノウハウを持つ外資企業に仮に運営させればどうなるか、といった議論もシミュレーション的になされたことがあったが、プロ野球経営などと同様、制度的な障壁があって現実的でないまま夢物語として終わるのが常だった。だが、本格的な「民営化」を考えるのであれば、そのようなシミュレーションもまた、ひとつの補助線としてさらに深めて考える必要はあると思われる。

 現状で、地方競馬地域再生、活性化のコンテンツとして利用するためには、その前にいくつか競馬開催、運営に構造的にはらまれている問題点をクリアにしておく必要があるだろう。

 まず、競走馬資源の枯渇、という、今世紀に入ってから深刻化している問題がある。これは単に馬がそこにいるかどうか、というだけではない。馬主がついていない競走馬は競馬に出走できないのだから、競馬場の厩舎にいる競走馬で競馬に出走できる馬はすべて、馬主が所有している競走馬ということになる。馬主が確実についている競走馬、こそが競馬の開催、運営にとっての資源である。

 だが現在、地方競馬において競走馬を持つことが経済的にペイしなくなり、馬主にも高齢化が進行、多くの競馬場で最低限の開催を維持するギリギリの頭数にまで落ち込んでいるのか実情である。

 預託料と出走手当と賞金の三角形、が馬主経済の根幹と言われてきた。月二回程度の出走で何とか預託料がペイでき、賞金については次の馬を購入する資金にまわすことができる、というバランスが、地方競馬が安定して継続してゆくための馬主経済のあり方だった。それが売り上げが低迷すると、開催経費から賞金や出走手当が削られ、馬主が馬を持つメリットが薄れてゆく。それと連動して厩舎側も預託料も下げざるを得ず、現実に経営が成り立たなくなる厩舎が出てくる、という悪循環に陥ってゆく。このようなサイクルはばんえいも含め、今の地方競馬に普遍的なもので、根本的な問題である売り上げの低迷と共に、すでに競走馬を持ちたいという馬主資源すら枯渇し始めているのが現状なのだ。

 競馬法によって年間の開催日数が決められ、そこからレース数もおのずから決まってくるとなると、そこに必要な競走馬ののべ頭数も決まってくる。日本における興行としての競馬とは現在、このような枠組みの中でまわってゆかざるを得ない。なのに、そもそも馬がいなくなりつつあるのだから、ことは深刻である。

 その一方でなお、売り上げの問題がある。勝馬投票券、俗に言う「馬券」の売り上げからさまざまな規定で控除される部分が主催者側の収入になるわけだが、その売り上げが下がり続けている以上、経営に投下できる資本もギリギリにならざるを得ない。

 とは言え、地方競馬の競馬場に開催ごとに訪れるファンの数は限られている。同時に、そのファン層の高齢化も急速に進み、JRAに比べて若い世代のファン層の開拓に後れを取ってきた現実もある。競馬場での馬券の売り上げではもはや期待できる売り上げは充足できない。必然的に場外馬券、昨今では電話投票やインターネットを介した方法も含めて、競馬場以外での馬券の販売に期待せざるを得ないわけだが、そのための相互連携やシステムの統一なども、これまでタテ割り行政に規定されてきた地方競馬の主催者同士では話し合いのテーブルすらうまくつけない事態が続いて、対策が後手後手にまわっている。

 ゆえに、競馬を開催、運営してゆく上での「資源」としての競走馬と馬主、厩舎と厩舎関係者をなるべく統合的に運用してゆける仕組みが必要である。そのためにはまず、先の競馬法改正の「初志」としてうたわれていたような、各主催者が同じテーブルについて全国的な展望で施策を検討、実施してゆくことのできる「統合」が不可欠である。本来ならば、地方競馬全国協会(NAR)がそのような任務を担うべき立場にあったはずなのだが、競馬法改正の過程で「解散」「再編成」され、実質的に責任逃れをしたままフェイドアウトする形になっている。それに代わる受け皿も見い出せないまま、全国を俯瞰した骨太の「改革」施策を講じられない状況が続いているのが、改正競馬法以降の地方競馬をめぐる最大の問題であり、この点がまず大至急、改善されねばならない。

 これまでの地方競馬行政は、厩舎と厩舎関係者をできる限り社会から遠ざけ、眼に触れさせないようにすることに腐心してきた。「公正確保」というもの言いがその場合、錦の御旗として振り回されてきた。「調整ルーム」という名の施設に開催前から開催中、半ば軟禁状態にされる騎手たち以下、常時警備員の置かれる厩舎区域に生活せざるを得ない厩舎関係者は、それだけ世の中と触れないままでただ競馬だけを日常として生きてこざるを得なかった。「存廃」の議論が出てきた時も、地元の市民たちからの関心が持たれないまま「赤字なんだから仕方ない」といった世論に流され、なしくずしに陥落していった競馬場が大方だったのも、それまで地元の地域に競馬場があること、そこに生きて暮らしている人たちがいることを競馬場自ら発信することもせず、唯々諾々と主催者側の、ひいては「競馬エスタブリッシュメント」の一方的なコントロールに身を任せるだけだったことが大きい。

 地元に、地域にまず競馬場があること、そこに生きた馬がいて、馬と共に日々仕事として携わっている人たちがいること、それらの競馬によってあげられる利益は確実に地元に還元されてきた歴史がすでにあること、それらの経緯をつぶさに知らしめることがあって初めて、「累積赤字」というありがちなもの言いもまた本当に意味を持つはずである。しかし、そのような努力をふだんからフェアに、地元に対して行ってきた主催者は残念ながらほとんどないと言っていい。

 ばんえい十勝の存続に際して、高橋はるみ知事は「馬文化」を口にし「北海道遺産」として認定した。その心意気やよし。ただし、「文化」はただそこにあるだけでは単に博物館の展示物と同じ、飾りものに過ぎない。実際に地域に根ざし、そこに生きる人々の意識と共にあり、何より興行として経営として健全に自立していることで初めて、生きた「文化」としての共有も伝承も可能になる。

 そのためにいま不可欠なのが、「統合」と「連携」である。先の競馬法改正の「初志」の中で「本社」と「支社」の比喩でも語られていたように、都市部のナイター開催中心の競馬場と、それ以外の小さな競馬場とを有機的に結びつけ、馬券の売り上げについてはJRAも含めた全国的なネットワークで効率的に売れるようなシステムの再編成を大々的に行う。このような大リーグの「メジャー」と「マイナー」にも喩えられるような日本競馬全体の再編を視野に入れた「改革」でなければ、ことの半分でしかない。あれはしょせん「構造改革」の時流に乗ったから騒ぎだった、と冷笑されかねない状況すらある現在、改正競馬法のさらにその先、本来想定されていた日本競馬の未来像へ向けて、いまやるべきことをまずやろうと腰を上げる、そのための認識が改めて、関係者はもとより、競馬と競馬場のある地元、地域の住民たちぐるみ、広く求められている。

 

 

 

 

*1:報道されるにしても、馬券の種類の増加や控除率の変更による配当金の変化など、あくまでも「馬券」を介したファンの視線にのみ依拠したところでの論調がほとんどだった。これについては、日本におけるいわゆる競馬ジャーナリズムの不在、ということも大きい。新聞や雑誌で競馬に言及されることはあっても、馬券とその予想に関する記事がほぼ全てであり、しかもその大部分はJRAに関わるものである。ゆえに、その情報統制のあり方は昨今また悪名高いものになっている、あの官公庁の「記者クラブ」制度どころではない不自由さが日常化していて、また現場の記者などもこれを甘受している。これは日本のスポーツジャーナリズムそのものにも関わる、構造的な問題である。

*2:2004年夏、競馬議連およびその関係者に対する、当時の筆者の取材メモより

*3:同じく、当時の筆者の取材メモ等より再編。この参院競馬議連は橋本聖子参院議員が中心になって立ち上げられた経緯があり、馬産地の窮状と地方競馬構造改革を当初からもくろんでいた。

*4:「競馬法の一部を改正する法律」(平成一六年六月九日法律第八六号)提案理由 平成一六年四月一三日 参議院農林水産委員会 議事録。提案者は亀井善之農水大臣(当時)。

*5:ここで示した内容も、農水省記者クラブでの定例リリースの一部としてしのびこまされているだけである。その場の報道関係者(主として新聞記者)は、農政の専門家ではあっても競馬行政について詳しい者は少なく、そのような状況で上からのプレスリリースだけが「全国紙」の「政治面」で断片的に報道されるのがこの間、競馬法改正に関わる「ジャーナリズム」の実情だった。もちろん、それら断片の背景や相互に関わってくるさまざまな文脈などについての解説的な報道はまずゼロに等しく、競馬に直接関わるはずの競馬専門紙誌もまた、それらの解説的報道ができる前提は乏しかった。各主催者ですら、本当に何が起こっているのか全体として把握している者は稀だったし、まして、現場の厩舎関係者にとってはなおのこと、「雲の上」でいつも勝手に行われている「何か難しい話し合い」のひとつでしかないままだった。

*6:この時の競馬法改正はあくまでも第一歩に過ぎなかったことは、競馬議連の鈴木政二参院議員も当時、一部メディアで表明していた。それによれば、JRAを雛型に地方競馬の全国的「統合」を公益法人の形で実現させてゆくための法案を2006年度中の国会に提出する計画だったというが、農水省以下、JRAも含めた「競馬エスタブリッシュメント」の抵抗、ないしは不作為の作為、および政局の変化などの要因もあり、その後頓挫したままである。

*7:ともに株式会社ソフトバンクの子会社、という形である。このうちインターネットを介した馬券の販売システムは、地方競馬全国協会(NAR)の子会社である日本レーシングサービス(NRS)が立ち上げ運営していた「D-NET」というシステムを引き取る形で始めている。一方、楽天もまた、南関東四場が別途構築した「SPAT4」というシステムを介して馬券販売を手がけるようになっていて、これらいわゆるIT系ベンチャーの「勝ち組」企業が揃ってこの競馬法改正に伴う「民営化」の動きに常に敏感に反応し、恩恵を受けるようになっていることは決して偶然ではない。何より、あのライブドアが彼らより先にいち早く地方競馬に参画することを表明し、一時期物議を醸したことなども含めて、この時期この法改正がどのような思惑と共にどう受け止められていたのか、小泉政権下の「構造改革」全盛だった同時代状況との関連で、改めて別途考察してみたい。

*8:この間の経緯についても、いわゆる報道関係は主体的に動けなかった。北海道新聞はもとより、地元道東で影響力を持つ十勝毎日新聞でさえも「廃止は決定的」といった平板な論調で推移、岩見沢市が事前の話し合いを裏切る形で主催者協議会から脱退を表明、ハシゴをはずされた帯広市が、事実上無理と見られていた単独開催へとわずか数日で急転直下、決断した経緯を追随できていなかったことは、記録しておいていい。ここでも自治体その他パブリックセクターからのプレスリリースだけが断片的にひとり歩きして「流れ」をつくってゆくばかりだったことは、先のジャーナリズムの構造的問題として同じである。同時に、競走馬資源としてばんえい競馬に使用する重種馬(本来は輓馬、現在では肉用馬としての需要も)の繁殖を農水省管轄で進めてきたこと、また十勝農協連に集約される道東の地域的な政治風土がばんえい競馬を最後の土壇場で支持するように動いたこと、など、実際に「存続」へ至った過程にはさらに詳細な分析、考察が加えられるべきである。

*9:平地のホッカイドウ競馬(かつての道営競馬)は、日高以下の馬産地を背景にした競馬であり、90年代半ば以降、はっきりと新馬(2歳馬)中心の番組編成で特色を出してきた。南関東など地方競馬の他場に北海道でデヴューした若馬が転戦してゆくルートがその頃から確立され、競走馬資源の流通を前提にした地方競馬の本質的性格を最もボトムの部分で支える意義を自ら見い出している。累積赤字の大きさ、準「民営化」したとは言え、まだコントロールの触手を残している道庁農政部の競馬そのものに対する理解のなさなど経営環境は相変わらず厳しいが、今後、早晩やってこざるを得ない地方競馬主催者の「統合」の過程では、南関東四場と連携して「馬産地競馬」のプレゼンスを発揮、地元の生産者団体と共にそのまとめ役の一角を担うことが期待されている。

*10:馬産が農政マターかどうか、という点については、タテマエはさることながら、今の農水省のホンネとしては農政として認識していないし、したくもない、というところだろう。地元でも競走馬生産は安定した畜産業という認識は正直、持たれていない。「しょせんバクチのコマ」という自嘲めいたもの言いが馬産地に未だにしみついていることは、良くも悪くも日本の「戦後」競馬が、戦前までの国策と結びついた馬産から全く別の前提で成り立ってきているものであることを裏返しに証明している。少なくとも、戦前の馬産農家は「国策」に寄与しているという誇りも矜持も持っていた。