救国愛嬌内閣の夢 

 だから言わんこっちゃない、民主党にやらせちゃ絶対ダメだって。

 「試しに一回くらいやらせてみるか」くらいだったのが、ここまで一気に雪崩を打ってダメになるとは大方の有権者も思ってなかっただろうけど、残念ながら民主党内閣、そんな予想をはるかに超えた素晴らしいグダグダぶりを日々ご開帳、いまや政権はおろか、わがニッポン自体まるで9.11テロのツインタワー並み絶賛全力崩壊中。ここまでくりゃ、国としてももはや投了かも、なのは誰の眼にも明らかなわけで、解散だ総選挙だ、てなまっとうな手続き踏んでちゃ手遅れらしい、とみんなひしひし感じてる。その意味じゃ、普通選挙とそれに根ざした代議制の民主主義自体がもうダメなんじゃないの? といううっかり本質的な疑いすら、いまや巷間、ごく素朴に抱かれ始めてるわけで、「戦後」パラダイムの総決算とはまさにこの民主党内閣による悪夢を介して現実化しつつある過程らしい。

 民主党内閣がダメな理由のあまたある中で、案外指摘されていないことがひとつ。それは何か。芸がないところだ。ダメならダメで、そこに何ら華もなければ愛嬌もない。眺めていて本当に心萎え、身ふたつ折れにさせられるありさまのスバラシさ、なのだ。

 政治ってのも、芸だ。その芸の部分も存分に含み込んだところで民心を掌握し、それをうしろだてに官僚組織の首根っこをおさえ、議会の修羅場もやりくりしながらおのれの政策、信ずるところの天下国家のためを全方位外交、二十四時間体制でやり続けるとんでもない馬力と器量、それが個人として、そのような役回りとしての政治家だ。で、今世紀に入ってそういう期待はさらにまた一段と大きくなってきている。その現実こそが「劇場型」と呼ばれ、はたまた「衆愚」の現れと軽侮されてきたこの高度大衆社会下のニッポンの民主主義なのだ。確かな生活基盤が見えにくい、政治的にも浮遊する「無党派層」が堂々、有権者の主流になっちまった状況とは実にそういうことだ。

 だから、政治に対してもう一度、これなら騙されてもいいかも、と思えるような芸を感じさせる政権、愛嬌ある内閣を全力で夢想するしかない。こういう企画は本気に真正面から考えるならそりゃ正しく専門家の領分、でなきゃどう真剣になろうと所詮は床屋政談、何か一発元気の出るようなシロウトならではの暴論、やんちゃを示してみせるしかない。なので、申し訳ない、こういう内閣名簿になったような次第。

 外務に麻生、財務に福田、総務に小泉、文科に安部、と、総理大臣経験者がなんと4人、これでもか、という大盤振る舞い。 政策的に整合性が、なんて野暮はこの際言いっこなし。とにかく今すぐ動かないと座して死を待つのが見えている以上、多少の不具合は無視して、とにかく何か火事場のクソ力を発揮してこの瀕死の状況を一大転回してくれそうな感じだけは、何となくしませんか?

 で、総理大臣、ってのを最後まで悩んだ。というか、さすがに人がいない。ええい、しょうがない、ダメでもいいから一度やらせてみたい、って思わせてくれる御仁が与野党問わず見あたらない。ならばもう、覚悟の上で、いっそあの河村たかしでどうだ。
 いや、ムチャなのはわかってる、でもそのムチャを承知で何かやらかしてくれそうなところに最後、もう期待するしかなくなってるのも、われら「無党派層」の気分としてわかって欲しい。「総理大臣」という大時代な肩書きも彼ならまだ似合い合いそうだし、“カミソリよしこ“櫻井官房長官とのとりあわせで政局報道自体が一気に華やか、かつ芸ある愛嬌の横溢するものになって、わが国民の政治リテラシーもみるみる向上、てなもんで。

総理大臣 河村たかし
内閣官房 櫻井よしこ

外務 麻生太郎
財務 福田康夫
総務 小泉純一郎
法務 稲田朋美
文部科学 安部晋三
厚生労働 桝添要一
国土交通 石原伸晃
農林水産 町村信孝
経済産業 谷垣禎一
環境 河野太郎
防衛 石破 茂

国家公安委員会 石原慎太郎
内閣府特命
橋下 徹(行政改革公務員制度改革担当)
渡辺喜美(地方分権改革担当)

……あとは知らん。お好きにどうぞ。