「原発」言説の本質


 「原発」、とりあえず知ったこっちゃねえ、です。

 なぜか。だってほんとのところがわかんないから。ほんとのところ、を知るためのことばが壊滅しているとしか思えないから。昨今の「原発」をめぐるもの言いは、上下左右の立場に関係なく、いろんな意味で「戦後」パラダイムがもはやここまで健全かつあっけらかんとグズグズになっちまってたことを反映しているから。そしてそのことを斟酌した言説は現状、ものの見事に表に出てこないから、です。

 もちろん、だからこそ事態は依然としてわかりにくい。何が最も本質的な問題なのか、ということも、そしてその問題を解釈する前提も共にグズグズになっちまってるから、語り、論じるに足る前提からして存在しない。情けないけれども、それだけです。

 そもそも「原発」そのものが本質的に安全か危険か、という観点から“だけ”でものを言いたがる傾向が、反対派・賛成派共に顕著です。その上で、反対派はおのれの日常的な実感に依拠して「危ない」と言いたがる立場がさらに最前提。その「実感」というやつがどのような仕掛けの上のあるのか、などはひとまず棚上げするのが世間の大方なわけで、眼に見えない分その「こわさ」はいくらでも実感レヴェルで増幅できます。

 こういう広義のホラーとしての「原発」言説というやつは、すでに半世紀以上の歴史があります。特にわがニッポンの「戦後」の言語空間においては広義の「核」「原子力」言説も含めて、民話に等しいほどの密度と質とで伝承基盤が存立してきた。そして、その基盤はわれらが「戦後」の民主主義のあり方と実に密接に、ムカつくほどねっとりと関係しています。

 シロウトには手に負えない話、をシロウトにも口出しさせるのが民主主義の約束ごとだったりします。もちろんそのためには、シロウト(世間=その他おおぜい)とクロウト(専門家、技術者、職人)との間を媒介し、翻訳してわかりやすくさせてゆく仕掛けが必須になります。そもそもジャーナリズムというのはそういう役回りのはずですし、そこには当然、広義の政治も含まれるわけですが、さて、そのような立ち位置でのジャーナリズムなど存在してこなかったのもまたわれらが「戦後」なわけで、何も「原発」に限らずこのようなシロウトの手に負えない、かつ大文字のモンダイを云々しようとする時に、この難儀はいつも必ずつきまとう。思えば、そういうシロウトの実感、に歯止めがかからなくなる仕掛けがことさら精密化してゆくのも、われらのくぐってきた「戦後」の過程でありました。

 だから、賛成派も反対派も、どちらもヘタしたら「海外ではこうなっている」的な能書きを都合の良いように補強しあう、というルーティンに陥ります。「海外」を「専門家」に置き換えても同じこと。自分たちのことばだけでは態度決定できないと思うからこそ、互いに援軍を求めて右往左往。素朴に考えてみても、数十年来の「反原発」論者と、ここにきてにわかに増幅されている実感主義的な「反原発」とは、乗っているプレート、議論や資料の文脈からして違うはず。なのに、それらが渾然一体、漠然とした「実感」の水準で何もかも押し流そうとしてゆく動きがますます制御されないまま放置されているのが、われらが直面している現在のようです。


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 どうせですから、大きなハナシにしましょう。

 これらは全て、「戦後」のもたらしてきた「豊かさ」をどのように肯定するのか、という問いに関わります。ああ、ここでもまた、「豊かさ」の来歴について自前のことば、身についた説明を共有してこれなかった恨みはかくも深い。うっかり高度成長し、そのまま失われた10年だか20年だかをのたうちまわり、結局のところ自分たちの「現在」がどのような経緯でどのような文脈でもたらされたものか、を考える土台からして失われてしまっている。

 だから、今のこのニッポンの「豊かさ」を肯定するから「原発」はまだ必要、という最も単純明快な「実感」が、世間の立場として出てこない。何となくうしろめたい、危ないみたいだからちょっと控えましょう、程度の「実感」しかない。それは、結果として自分たちが享受してきた「豊かさ」までも漠然としたもののまま、放置してきたことの結果だと思います。

 それが「原発」であれ新幹線であれ、はたまた「軍隊」の自衛隊であれ、それらを実際に動かすのがやはり自分たちと同じ時代を生きる、いまのニッポン人である、という重要な変数が忘れられている、というのが、気になっています。良くも悪くも。

 「原発」大丈夫、説を今回、最もわかりやすく崩壊させたのは、震災でも津波でもない。実際、地震ではどの原発も安全に停止しているわけです。新幹線などは本震が来る前に全て電気が遮断されて停止できたとか。ニッポンの安全管理技術、その程度にはやはり立派なものです。これはもっと語られるべきだし、素直に誇っていい。じゃあ、何がここまで事態をややこしくしているのか。

 他でもない、あの東電以下、内閣その他のとにかく「エラい人たち」の身振りたたずまい、非常事態に際しての身の処し方です。うわあ、こりゃ大丈夫じゃないわ、と誰の眼にも明らかになるような失態を淡々とさらし続けた。いくらコトバで、表面的な理屈で信頼をつなごうとしたところで、それらがどのような生身の上に現前しているかを、webも含めたいまのこの情報環境でつぶさに知らされ続けた日には、どんな鈍感な「実感」でも最低限、こりゃダメだ、とだけは思わざるを得ないようなシロモノが間断なく眼前にさらされ続けた。そしてそれは、間違いなくそう思ってしまうおのれ自身にも返ってくる「実感」でもありました。

 こいつ絶対にカラダ張らねえよな、という生身の気配。口先だけで最後はトンヅラするだろ、という雰囲気ありありなプレゼンス。右も左も上も下も、そういうニッポン人、が遍在しているという脱力感。もちろん自分自身も含めて、というツッコミを入れながら、なのがいまどきなわけですが、そういう種類の絶望、詠嘆……何でもいいですがそういう気分が〈いま・ここ〉の共通項です。このことを、まず深く認識すべきでしょう。

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 ならば仮に、仮にです。いっそこれからは外国人に国内の「原発」の管理運営を任せる、としたらどうでしょう。

 アメリカの専門家チームが責任もって運営する、それがフランスなら? あるいはあり得ないことですがシナやインドなら?……何をバカなことを、と怒らないで下さい。ことによったら今、同胞間に広く共有されているらしい、こりゃダメだ、感も、これなら少しは軽減されるのではないでしょうか。

 かつての「お雇い外国人」ですね。あれだけ「攘夷」思想が強かった幕末でも明治初期でも、極東の僻地にやってくる外国人の質も必ずしも高いと言えなかった状況で、当時の日本人は「外国人」を重要な職務につけてつきあっていましたし、また、外国人の側もよく責務を果たしていたという例はたくさんあります。「使命」に対する「責任」、という部分が当時の欧米人の中でどのようなものだったのか、またそれらを発露させるような何ものか、が当時のこちら側にもまだ宿っていたのかも、です。

 同じことは、今の政府にも言えそうです。もういっそ総理大臣を「外国人」に依頼する、ってのはどうでしょう。かつてのマッカーサーみたいなものです。あ、ちょっといいかも、と少しでも思えませんか?

 情けなくも、しかしこれは見逃せないことだと思います。つまり、ニッポン人が同胞の「エラい人」「選良」に対する信頼を最終的に失いつつある。いや、単に「エラい人たち」、責任ある立場に対する信頼だけでない、われら自身も含めたニッポン人という存在そのものに対する信頼までもが、どうやら一気になくなってしまっている、いま、われらが直面しているのはそういう事態らしいのですから。それはかつてもあったような「反権力」とか「反体制」の民話的なあらわれとも、「勝ち組」「カネ持ち」に対する常にあるやっかみや妬みの反映とも、いずれからみながらも、でももう少し新たな難儀を本質としてはらみ始めているように思います。

 たとえば、被災地での救援活動に従事する自衛隊に対する「信頼感」が今回異様なまでに高まったのも、そして、異例の“operation TOMODACHI”を発動して全力支援してくれた米軍に対してそれ以上の共感と感謝が同胞間に沸騰したのも、それらにの前提に、もうわれらニッポン人がニッポン人を信頼しなくなっていることが意識せざる気分として蔓延してしまっているから、だと思っています。

「あと30年もたってみるといい。戦後の近代化そのものが、じつは“ムラ”的遺制が“ムラ”を羞恥しながら創りあげた壮大な“ムラ”の再生であったことに、人々はいやでも気づくであろう。そして戦後近代主義等々、“ムラ”の内部に現れては消えていった数々の思想が、その幻想のもち方の神話的歪みにおいて、“古代史”の資料としての意味しかもたなくなるような時代を、われわれは遠からず迎えるかもしれない。」

 今から四半世紀ほど前、ニッポンがまだ「戦後」の内側にあった頃に、とある鋭敏な知性が記した一節です。「幻想のもち方の神話的歪み」とは、今で言う「「戦後」パラダイム」のもたらしていた当時のさまざまな意匠の身につかなさ、イデオロギーとしての浅薄さ、とでもほぐしてもらえればいいでしょう。その意味では、当時の状況は今となお地続きです。「戦後」が歴史に組み込まれて終わってゆく過程が「失われた20年」だのと言われているだけで、そういう〈いま・ここ〉をわれわれは生きているという認識をどのように持てるかが、これから先、「未来を選択できる」主体にほんとになれるかどうかの重要な条件になると思っています。