「道民カレッジ」編集後記

http://www.hbc.co.jp/tv/d-college/04_note.html
「ホッカイドウ学」なんて耳慣れないもの言いを掲げたもので、他の講座とはちょっと色あいの違う回になってしまったかも知れません。そのへんまずご容赦ください。

 大学での「研究」や「学問」がそれぞれ高い専門性とそれに見合った知識や能力を持つ研究者である先生方によって担われています。でも、と同時に、それら専門的な知識をどうやって世間に伝え、役に立つようにわかってもらうのか、という問題もまた、「研究」や「学問」を仕事とする「大学」の重要な役割だと思っています。何だかよくわからないけれど大切なことをやってるらしいよ、といった漠然とした信頼だけで、これまで通り「大学」が存在してゆけるような時代ではなくなっている。とりわけ、いわゆる文科系、人文学方面の学問は人間や社会、ひらたく言って日常生活に何らかの形で関わってくる領域である分、「研究」の中身を世間にちゃんとわかってもらい、それぞれの暮らしの場で役に立つよう還元してもらう道筋も、全力で考えるべきだと思っています。

 そのようなわけで、われわれの生きて生活するこの「北海道」をもう一度とらえなおすことと、その意義といったようなことを、ひとまず「観光」を糸口に考えていただければ、と思って番組を作ってみました。とは言え、具体的なモノやデータを示してといった内容でなかった分、制作担当のスタッフにはいろいろご苦労があったと思います。

 われわれ人間にとっての「現実」とは、それが「フィクション」であれ、「事実」「ドキュメント」であれ、ある意味ではすべて「つくりもの」であるらしい、という認識。それを前提にして、今あたりまえだと思っている「現実」をひとつカッコにくくってみることで、自分自身の生きている世界、現実の成り立ちに気づいてゆく。日々あたりまえに見ている風景、現実の人間関係、社会のありようなど、すべていったん別のものとして、言わば「よそもの」の眼を自分の内側に設定してみることで、あたりまえに生きているこの「北海道」を見つめ直してみる。「地元」に生きながら、地に足つけた明日を自ら選んでゆくことのできる世間をひとりひとりが作ってゆくための、はじめの一歩。「ホッカイドウ学」というのも、そんな気づき方を身のまわりからしてゆくための仕掛け、だと考えてください。

 番組でとりあげた事例にしても、決して明るい話ばかりではない。ばんえい十勝は苦しい経営が続いていますし、登別伊達時代村も外国人観光客頼りという道内観光の構造的問題から抜け出せるかどうか懸命に模索中です。けれども、これらの事例を共に、「北海道」をどのように組み替え、編集し、地元から提示し直してゆくのか、という「ホッカイドウ学」の目線から考えようとすることで、お役所頼み、補助金頼りな解決策に走り勝ちなわれわれの習い性をも含めて相対化してゆく新たな視点も必ず見えてくるはずです。

■道民カレッジ ほっかいどう学 大学放送講座2012
「ホッカイドウ学」ことはじめ〜“北海道”はどのように語られてきたか?〜
http://www.hbc.co.jp/tv/d-college/04.html