「夏」「いなか」、そして「敗戦」


 「夏」のありようが変わっています。「夏」というもの言いで示される、想定される中身がかつてと変わってきている、そういう意味において、です。

「夏」と口にし、眼に入った瞬間に反射的に立ち上がるイメージみたいなもの自体が、すでにあらかじめ設定されたものになっていて、それが現実のいなかとどれくらいズレているのかわからなくなる。いや、もはや眼前のいなかはもう「夏」と呼んでしまっていいものかどうかわからない、「夏」とこれまでの習い性任せにうっかり呼んでしまえばその瞬間から眼前の事実、実際にいま、何が現実の夏に起こっているのかを穏当に見つめて認識するストライクゾーンが一気に狭まってしまう、そんな事態すら起こっているように思えます。

 「夏休み」という要素も季節感にすでに織り込まれて久しく、たとえば小説や映画、ドラマにアニメといった類でも「夏」と「夏休み」はある定型として表現されてきています。もちろん、同時に「敗戦」「終戦」という要素も、ある部分ではまた。とりわけ大きなメディアの舞台においてなら「夏」は「夏休み」の手前に必ず「敗戦」「終戦」とセットで表現されるのがもうずいぶん前からお約束、になっているようです。

 抜けるように青い空、入道雲、蝉の声……そのような要素によって定型の輪郭が形作られ、そこに子どもの頃の記憶が重ねられて、古びた小学校やその校舎や誰もいない校庭、時には虫取り網を半ズボンにランニングシャツ姿で振り回す子どもの姿も点景されてゆく。そこに「玉音放送」でも重ねれば、見事なまでに「敗戦」「終戦」を意味するある種の国民的想像力の水準での表象としてそれらの定型は機能し始める。われらニッポン人のココロの中の「夏」「敗戦」「終戦」コンボでのイメージは、いつの頃からかはともかく、概ねこんなものになっているようです。

 

 

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 このような「夏」「敗戦」「終戦」コンボのイメージの定型は、同時にまた、「いなか」であることが前提になっていることがまた多いようです。空襲で破壊された東京やその他の都市部、という背景になっている場合もありますが、それだと「夏」に「子ども」や「夏休み」的イメージが重なりにくく、「敗戦」「終戦」につなぎとめられる度合いが高まってしまう。それだけ「夏」に想像力の水準での広がりや深みみたいなものが乏しくなる、言い換えれば「戦争」にだけ窮屈に縛り付けられてしまうようなのです。

 より豊かな、広がりを持った想像力の水準での「夏」は、なぜ「いなか」なのか。そしてそれも海や砂浜のあるいなか、でなく、山や田畑、いわゆる里山的な風景のいなか、になっている理由は何なのか。そういう「いなか」のイメージが「夏」と、そして子どもの頃の「夏休み」と重なって意識の銀幕に刷り込まれているのはなぜなのか。そういう刷り込みの上で、「夏」は時に「敗戦」「終戦」とも複合して、イメージの増幅を助けているのはなぜなのか。

 季節感やそのイメージというより、やはりここはその「いなか」である理由、というのが気になります。そしてその「いなか」が必ず里山的な、ざっくり言って「ムラ」的で「農村」的な「どこかのコミュニティ」であること、もまた。さらに、何よりひっかかるのは、それが現在のこの国、21世紀のニッポンにおいてはもうほとんどどこにもそのままの形では存在していないことと、そのように存在していないがゆえに、またその「夏」のイメージがよりある種の方向に昇華され、純化しているらしいこと。

 折から、梅雨明け前後からのゲリラ豪雨、天候不順に加えて、異常なまでの猛暑はすでに全国的な規模にまで広がり、またある年だけのことでもない例年の事態になり始めています。そのような「夏」もまた新たな経験としてわれら同胞の感覚や想像力にインストールされ始めている。自然現象としての夏というだけでなく、文化や歴史の相にまで交錯してゆかざるを得ない要素としての「夏」までひっくるめて自省してみなければならない問いなのだろう、と思っています。