政と桃ちゃん、寺山のつむいだ「競馬」

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  スシ屋の政、と、トルコの桃ちゃん。この名前にさて、そこのあなた、聞き覚えがあるだろうか。耳にした瞬間、ああ、と思わず口もとがかるくほころんじまうような感覚が、まだ身の裡に残っているだろうか。

 別に映画やドラマってわけじゃない。だからどこかの役者やタレントのイメージがついてるわけでもない。けれども、この政と桃ちゃん、ある世代までの競馬好き、毎週末に律儀に競馬新聞を買い、ああでもないこうでもないと夜を徹しての予想沙汰の果て、朝っぱらから競馬場や場外馬券売り場に通い詰めて日がな当たらぬ馬券に熱中していたろくでなしたちの脳裏には、単なる呼び名やキャラという以上に、なつかしい同級生、いや同じ戦争を同じ戦線同じ部隊で戦った言わば戦友のような印象でくっきりと、その記憶に刻まれているはずだ。

 寺山修司の手になった競馬予想、そしてエッセイに登場していたふたり。この架空のふたりが「競馬」を介してあれこれやりとりするのが言わば書き割り、舞台設定になって、その上で寺山目線での眼前の競馬が自在に意味づけられ、読み解かれてゆくという寸法。スポーツ紙や週刊誌といった媒体の片隅で語られていた寺山の競馬は、そのようにある時期ある時代のわれらろくでなしにとっての、世の中ってやつを思い知ってゆくための身近な教科書、だったりしたのだ。

 ニッポン競馬とは、少なくとも戦後の過程で一気に大衆化していった中央競馬JRA主導で展開されていたそれは、単なるギャンブルでもレジャーでもなかった。いや、それらは当然として、さらにそれ以上の何かかけがえのないものだった。敢えて言うなら「おはなし」として物語として、同時代の大衆的背景において最も融通無碍に「読まれる」テキストとして、誰にも開かれた形で存在していた。そういうニッポン競馬の本質、当時を生きていた者なら誰もがうなずけるだろう、しかしことばとして競馬が語られる場合にはうっかりと忘れられがちなその肝心かなめの部分を、他でもない寺山修司は端的に、かつ正確無比に、われらろくでなしと競馬との関係の内にさっくりと射貫いて見せてくれていた。

 言うよ。そのような意味においてそれは正しくブンガク、われらの読みもの、であった。無名の大衆、名無しのその他おおぜいたちの欲や希望や思惑や、いずれそんな集合的無意識、民俗的水準もひっくるめたとりとめなく漠とした「おはなし」のありようを、競馬の「予想」という形を借りて見事にすくいあげていたし、誰もがそのことを知っていた。

 そこに浮かび上がる競走馬たちはどれも等しく「出郷者」であり、競馬と競馬場という「都会」の現実を日々戦い、自らの宿命、ままならぬ運命の間尺で一頭一頭それぞれの「おはなし」をカラダを張ってつづりながら生きてゆく、そんなステキな「英雄」たちだった。それは言うまでもなくそのような「おはなし」を読もうとしていたこちら側、高度経済成長の疾風怒濤に苛まれながら日々をしのいで生きていたわれらの希望、あるべき現実として、同時代の共有していた野放図に大きな銀幕にくっきりと結像し続けていた。

 競馬だけではない。「出郷者」の物語を誰もが自明のものとして共有していた時代、野球やボクシング、プロレスに相撲、映画に流行歌にストリップ……いずれスポーツ紙や週刊誌の見出しに取り上げられる多くのスポーツや芸能、マチにあふれるそれら文化ならざる文化の多くもまた、それら「出郷者」の物語を前提に読まれてゆくものだった。

 だが、寺山が世を去った80年代、「出郷者」の物語はすでに後景に退き始めていた。その後、ニッポン競馬が売り上げも含めさまざまな意味でその最高潮に達していた90年代始めには、出郷者でありわれらの英雄だった馬たちもまた、ただの経済動物の地位に回収されてゆき、果ては血統や戦績、獲得賞金や売買金額といった「情報」「数字」「記号」の集積としてしか読まれなくなっていった。

 政や桃ちゃんは、もういない。彼ら彼女らの同時代、かつて同じように競馬に希望を見た戦友たちも、また。たとえいのち長らえていたとしても、すでに還暦もとうに過ぎた彼らが、今の眼前の競馬にかつてのような物語を読もうとすることはまずないだろう。

 同じく、今のニッポン競馬の側もまた、彼ら彼女らのやくたいもない希望や想い、決して記録され定着されることのないブンガク、を十全に受け入れることはない。何より、当の寺山修司自身もまた、生きた生身のたたずまいをすでにあらかじめ漂白されて、博物館の展示物のごとくコーティングされた形で今を生きる若い衆に、フィギュアの親しみと共に賞翫されるばかりじゃないか。寺山的な競馬の読み方、われらのブンガクとしての解読作法はすでにその足場を失っている。眼前のニッポン競馬にかつてのように、政や桃ちゃんがいきいきと介在してくるような余地は、もうない。

 だからこそ、再度言っておく。寺山修司のおそらく最良の仕事、集合的無意識含めた同時代とシンクロしてゆくその器量を存分に見せつけるわれらのブンガク、それがあの競馬エッセイだった。30年以上前から言い続けている。時代を超えてゆく真実に修正は無用だ。