【草稿】書評・臼田捷治『工作舎物語――眠りたくなかった時代』(左右社)

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 さてお立ち会い、「工作舎」という名詞一発で反応できる、しちまう向きは言うに及ばず、すでに歴史と距離感持つ若い衆世代にとってはおのれの現在からどう地続きにしてゆくか、その器量試しの一冊だ。

 70年代半ば、東京の片隅に宿った小さな集団。編集とデザインその他をいずれ同じ場でひっくくつちまおうという当時としては蛮勇、だが後には主流となる時代の流れを先取りした梁山泊松岡正剛杉浦康平、この二枚看板で語られるのが通例だが、ここはむしろその周辺と後続の衆、戸田ツトムや工藤強勝、羽良多平吉から祖父江慎などに合焦させた取材ベースで進行。その分、初発の何でもありの熱気とその後の転変との距離まで期せずうかがえる。著者が良くも悪くも業界内存在な分、視点も切っ先もその間尺なのは致し方ないが、それゆえの天井がよく見えるのは助かる。描かれなかった領分の奥行きとその意味の底知れなさ、そこに気づけるかどうかも活字ゆえの愉しみ。、巻末の索引や事典もありがたい。

「年がら年中、自主参加やアルバイトのスタッフ、さらには来る理由が神秘的な者、あるいは不可解な輩が押しかけています。」

「とにかく夢があったんですよ。お金のために働くということではなかった。(…)会社というよりもある意味で宗教集団的でしたね。」

 工作舎天井桟敷ジブリやオウムを経由して世紀を超えた今、ワタミその他へ。不謹慎? 冗談じゃない。「若さ」の不定形な熱をどのように「場」に集約し、同時代最先端に集中的に投下してゆくか、その手管や政治の表現としていずれ等しく同時代の現前。そう、本書の後半からさらにその先、90年代から〈いま・ここ〉に至る地続きの未踏路をこそ〈いま・ここ〉から各自見通してゆくこと。それが「失われた20年」とその後をなんなんとするわれらニッポンの文化状況に風穴開ける糸口になる。ビジュアル/イメージ優先に情報環境が根こそぎひん曲げられてゆく過程で宿ったものの果実と共にその後始末も含めた自省の必要。「戦後」や「昭和」の清算というのは実にそういう過程でもある。不用意な憧憬や羨望、うわついた追随の類は無用かつ無益であり、何よりも無礼だ。

*1:産経新聞』依頼原稿の草稿

*2:こちら草稿段階。分量等の制約は聞いているものの、まずは間尺気にせず書いてみるのが習い性。そこから担当なりとのやりとり経て整形、納めてゆくのが作業のルーティン。