有馬記念 2016年


 有馬記念は、スタンド右斜めうしろからの夕陽と、黄色く枯れた芝の色だ。今みたいな洋芝の、管理万全行き届いた馬場でなく、11月にゃもう見事に枯れちまう昔の芝馬場に、釣瓶落としの暮れの陽がさしている。
 スタートはほぼ正面からの迎え陽に始まり四角あたりまで、いい感じの陽の光を浴びて馬たちが駆けてゆく。1周目スタンド前で日陰に入る。それまで光の中にいた馬たちは一瞬、毛色もわからないほどのアンダー気味の一群となって駆けてゆく。着ぶくれたろくでなしたちからの拍手と歓声、そして思い思いの怒声やかけ声の祝福も共に投げかけられて、もう一周の旅に。再びの向こう正面から二周目三角過ぎあたりから出入りが激しくなって、一気に競馬が競馬になる。さっきより気持ち深くなった、その分鈍い琥珀色にもなった斜陽の中、勝負どころの四角から直線、中山のあの深い坂下、見る位置によっては馬群が見えなくなるかとさえ思うそのわずかな時間の後に、年の瀬の英雄たちはスタンド前の日陰の中に次から次へと姿を現わす、その光と影とのコントラストに煽られるのが、気分だ。
 あとはもうどうでもいい、贔屓の馬、目当てのノリヤクめがけて息を詰めたまんま、あるいは丸めた予想紙を片手に振りかざし、あるいは両手拳を握りしめ、いずれ精一杯、渾身の応援をしてやる数十秒の至福。ああ年末最後の大勝負、有馬記念は「グランプリ」の光景とは、いつの年も概ねこんな感じで記憶の銀幕に再生されることになっていた。

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 ヒカリデュール、という馬がいた。
 当時「マル地」とシルシつけられた地方競馬出身の豪傑。母系はサラ系、そこまで目立った戦績でもなかったものの、大井から名古屋は土古経由で中央入り。見立て通りに芝馬場があったらしく、後方待機からの眼のさめるような差し脚を繰り出し頭角を現わし、始まって2年目のジャパンカップでも勝ったハーフアイストからコンマ3秒差の5着入線は前年第一回、浦和のゴールドスペンサーに続く日本馬最先着で、僚馬カズシゲの6着と共に「マル地」二頭のまずは大殊勲。同じ河内を鞍上に、そのまま1982年は暮れの有馬へと矛先を向けた。
 あの年の有馬は雨だったか、降ってなくてもガチの重馬場。ただでさえ暗い暮れの中山がほんとにとっぷり暗かったという印象がある。レースは出遅れて最後方追走、それでも最後の最後、あれは確か渋谷か新宿の場外のモニター越しだったけれども、ほんとに一瞬何が起こったかわからないくらいの末脚でゴール前、一気に飛び込んできたのが真っ黒なその一頭。内側ラチ沿いでほぼ勝ちを手にしていた当時の最強馬アンバーシャダイを、きっちりアタマだけ差しきっていた。ああ、平日真っ昼間っから開催してる地方競馬ってやつにゃ、実にこういうとんでもない馬がうっかりひそんでるんだ、ということを、泥まみれの赤と黄色の橋本善吉氏の服色と共に、満天下に思い知らせてくれたものだ。地方競馬通いにより深く、足踏み入れるようになった頃の、今となってはもう昔話。

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 今年は、キタサンブラック。父はディープインパクトの全兄とは言え、ぶっちゃけ愚兄賢弟なブラックタイド。生まれも天下の社台サマご一統ではなく、日高は新冠福満のヤナガワ牧場。前走ジャパンカップでの逃げ切り完勝は、鞍上ユタカの腕もさることながら、馬自体が間違いなく力をつけていることの改めての証明だった。ここはもちろん人気になるし標的にもなる、馬券的にも展開的にもおもしろくないけれども、しかし敢えて、敢えてあの「サブちゃん」のこの馬に期待したい。地方競馬も含め、どれだけ競馬が好きで、好きな分どれだけマジメにこれまで損をしてきたか、その片鱗くらいははばかりながらこちとらとて見聞きしてきている。紅白は引退したかも知れないが、なんのその分、暮れの中山でもう一度、あの「祭」を聴いてみたいってもんじゃないか。

 セントサイモンの首ざしだよなあ、とこれは先日、日高のある馬喰がしたたか酔っぱらっての回らぬ呂律で、ふともらしたひとこと。え、なんでまたセントサイモンなのよ、と首ひねっていると、いや、ジャパンカップでな、と濁った眼を向けてきた。あの時の、パドックじゃなくゲート前での輪乗りの様子を見ていて、ああ、ほんとにこれは素晴らしい競馬ウマになったなあ、タネ馬になってもひと勝負預けたくなるような馬だなあ、ヤナガワさんきっちり権利持っといて欲しいなあ。
 かつて昭和の終わり、世のバブル任せに競馬もまた天井知らずうかれていた時期に、その最先端の修羅場で見るべきものを見てきた百戦錬磨、老いたりとは言えど未だ手練れのうまやもんの一言。いいや、最後に背中押されたんだ、乗ってみる。

 相手は、同じく前めにつけての勝負もできる馬たち。中山だとあとひと脚伸びてくれそうなゴールドアクター、ここに来て充実著しい伸び盛りシュヴァルグランに、牝馬ながら気楽に乗れれば一発ありそうなマリアライト、万一、先行勢が削りあうような乱戦での伏兵アルバートあたりの突っ込みまで考えておきたい。話題の若武者サトノダイヤモンドは年明けて以降が本領と見てここは着まで、キタサンに2連敗中の人気者サウンズオブアースも、勝負づけはすんでいる、と共に敢えて判断、ここは眼をつぶって軽視しておく。徹底マークで捨て身のつぶしを仕掛けてきそうな馬もいるが、そこはそれ、どうやら巷のろくでなしたちのイメージ以上に強くなってるらしいこの馬の底力と世界のユタカの腕前を再度、黙って信頼しよう。