『質的心理学辞典』項目 4点

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写実的物語

 ヴァン=マーネンがTales of the Field(1988)で分類、提示した、エスノグラフィーにおける3つの記述スタイルのひとつ。「経験に基づく著者性」「典型的形式」「現地の人々の視点」「解釈の全能性」の4点を特徴的な作法とする。書き手は「お座なりにほんのちょっと顔を出した後は、描写された世界の中に多かれ少なかれ埋没していくフィールドワーカーとして」のみ姿を見せるのが通例で、語りは匿名性を示唆し、書き手はそこで再現/表現された「世界が現実の世界であることに自信を持っている」し、また「個人の個性を描くことは意識的に抑える」ことで、いわゆるリアリズムの約束事に素朴に従うようなスタイルになっている。


告白体の物語

 ヴァン=マーネンがTales of the Field(1988)で提示した、エスノグラフィーにおける3つの記述スタイルのひとつ。「写実的物語」に対する批判や反省も含めた反応として現われたもので「高度に個人的なスタイルと、書き手自身のために書き手が自らに与える大きな権限」を特徴とし、「人格化された著者性」「フィールドワーカーの視点」「自然さ」の3点を作法とする。


印象派の物語

 ヴァン=マーネンがTales of the Field(1988)で提示した、エスノグラフィーにおける3つの記述スタイルのひとつ。美術史における印象派になぞらえて、写実的物語、告白体の物語のそれぞれの作法によって「固定され、あまりにも整然と秩序立てられてしまった感のある現実」からこぼれ落ちる「挿話的な部分、複雑な部分、相矛盾する部分を強調する」スタイルとされる。語られるものとしての特徴があり、実際にテキスト化されたもの以前にフィールドワーカーたちのふだんの会話、自慢話などにすでに「物語・おはなし」としての洗練が加えられてきており、それらの上に「書かれる」ことが少なくない。「物語は、世界を凝縮し、例証し、再現するその力によって、調査者の作る他のどんなこしらえ物とも同じくらい、文化理解を伝達する装置として有効なもの」というマーネンの認識は、「自らがその基礎としている具体的な社会的経験に対してと同じくらい、偶然性と解釈に対して、ためらいつつも開かれた存在であろうとする」エスノグラファーのあり方を示している。それは「常に未完成」であり「語り直す度に、われわれはすでに知っている以上のものを新たに発見する。」 エスノグラフィーが広義の読みものとしても流通し、読者と出会う必然についても視野に入れた認識である。



ジョン・ヴァン=マーネン John Van=Maanen 1943~

 マサチューセッツ工科大学(MIT)教授。現代社会における組織/集団のエスノグラフィックな記述と、それを元にした分析、方法論も含めた理論などが専門。警察や漁民、ディズニーランドなど、現代アメリカ社会のさまざまな組織/集団についてのエスノグラフィックな調査研究を重ねると共に、エスノグラフィーなど質的研究についての方法論的な自省/考察も同時に行ってきている。主な著作、Qualitative Methodology. Newbury Park, CA: Sage Publications, 1983. Tales of the Field: On Writing Ethnography. Chicago, IL: University of Chicago Press, 1988. Representation in Ethnography. Newbury Park, CA: Sage Publications, 1995. Tales of the Field: On Writing Ethnography. Chicago, IL: University of Chicago Press, 2011.

*1:全く想定外にお堅い学術研究の辞典の項目執筆が、それも因縁の新曜社から飛来して当惑したが、やりとりして事情もわかったので、まあいいか、と執筆した原稿。エスノグラフィーや文化の記述といったお題経由で「質的心理学」といった領域が、どうやら心理学と社会学文化人類学などの重複した界隈で立ち上がっとるような話ではあった、しらんけど。

*2:以前、版元に紹介して解説も書いた翻訳シリーズの中の一冊が、その界隈でそれなりに読まれとるような話でもあったのは、それはそれで善哉ではあったが。

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