トランプ現象に学ぶべきこと

 話題沸騰、就任早々自らの選挙公約に沿った大統領令を立て続けに署名、アメリカのみならず世界に予想以上の大きな波紋を投げかけ始めているトランプ大統領。彼の出現は、われわれ日本人は果してそのアメリカについてどれだけのことを知っていたのか、そのことを改めて振り返ることを求めています。

 大統領選の下馬評ではとにかくヒラリー圧勝、その後もつれた戦況になってきたことが伝えられても「それでも民主党に代表されるリベラル勢力が勝つのが当たり前だし、それがアメリカの、ひいては世界の良識」といったおおまかな認識で片づけていたのが、わが日本のマスコミ以下メディアの「報道」姿勢でした。

 社会的タテマエとしての「リベラル」、わかりやすく言い換えれば「民主的」「良心的」な考え方や価値観などがタテマエとして許容されなくなった。いや、前々から「なんだかなぁ」とは思い、感じながらそれ以上の態度表明は控えてきた、控えざるを得ないような空気の中で生きてきたその他おおぜい普通の人たちがはっきりと、その「なんだかなぁ」を形に表わしてしまった、トランプ当選という事態は実にそういうことだった面は否めないようです。

 われわれの知り、かつそういうものだと思ってきたアメリカとは、西海岸のロサンゼルスにサンフランシスコ、東海岸のニューヨークやワシントン限定のアメリカだったらしい。海外旅行にホイホイ出かけられるようになっても、あの広大な大陸の大部分で暮らしているその他おおぜい普通のアメリカ人が日々どんな仕事をし、どんなものを喰い、何を感じて生きているのか、そういう具体的な背景については残念ながら、ほとんどろくに知ることがないままだったらしい。情報社会と呼ばれweb介して自由自在に世界中のあれこれが手もとの端末に送られてくるような世の中になっても。いや、もしかしてそういう世の中になったからこそ、かも知れませんが。

 「アメリカニズムとは何ぞや? それは自動車であらう、飛行機でもあらう、映画でありラヂオであり、スポーツ、ヂャッズ、トラスト、金融資本等々、今日アメリカの高速度機械文化を代表するものは、幾色もあるが、そのすべてに浸潤し、すべてを著色して、すべてに勝って、一層アメリカをアメリカならしめてゐるものはその独自のジャーナリズムである。(…)アメリカニズムとジャーナリズム――現代が生みだしたこの二つの姉妹語、否同意語の意義を掴むものこそ、時代の鍵を握るものであるといはねばならぬ。」

 1929年というから、今から90年近く前の「アメリカ」についての認識です。筆者は、当時新進気鋭の書き手として縦横無尽の活躍をし始めていた若き日の大宅壮一第一次大戦後の世界で荒廃したヨーロッパを尻目に、無傷だった新興工業国としてのアドバンテージを存分に発揮できるようになったアメリカが、その工業力を前提にした生産物だけでなく、大衆文化の側面でも世界に存在感を示すようになってきた。映画とジャズは当時、その象徴として受け取られ始めていたようです。それは当時の東京や大阪などごく一部の都市部の、それも限られた層にとってのアメリカだったにせよ、でもこの数年後、頭上にB29介して焼夷弾や爆弾を雨あられと落とすアメリカについての大方の同胞にとってもそれ以上の情報はなかった。今もなお、同じことは単に日本とアメリカの間だけでなく、足もとの日本国内、東京に象徴される「マチ」とそれ以外についても、メディアを介した情報の流通と受容の構造として健在のようにあたしには思えます。