オウム真理教「復活」の動きあり?

 にわかには信じられないのだが、最近、あのオウム真理教がまたぞろいろいろとうごめき始めているという。

 嘘じゃないぞ、やつらインターネット上でホームページまで開設していて、これがまたとんでもない代物でな、といった話をその道に詳しい友人から耳打ちされておっとり刀でのぞいてみれば、いやはや、地下鉄サリン事件なんざどこ吹く風、てめえらのやったことをかけらも反省してない能書きが堂々と垂れ流されていてめまいがした。なるほど、一部で喧伝されるインターネットの「自由」とやらは、こういうゴミやガラクタ、道端のゲロに等しい代物をも横目で見ながらにっこり許容する人格者であることをこちとらみたいな粗忽者にまで要求しやがる“何でもあり”の地獄だというのがよくわかる。

 実際のところ、脱会した信者でも教団に舞い戻るのも少なくないし、さらには、これはもう一体どういう神経なのかもはやさっぱりわからんけれども、このご時世に新たに入会する信者さえいるのだという。どないなっとんねん。

 いや、そういうバカはもうギャグとして笑って見てればいいんだよ、とその友人は言う。そりゃ確かにそうだ。でも、オウムに限らず、オカルトでもUFOでも、はたまた度を越したエコロジーでも人権運動でも、いずれ世間の常識的な感覚からはずれてしまった「正義」を背負う言葉や人をそうやって「お笑い」としてほったらかしておくだけでいいのか、僕にはよくわからない。だって、「お笑い」としてつきあっていたつもりだったのがいきなりサリンばらまかれて泡食ったというのが、あのオウムの一件だったんだし。

 しつこいようだけど、あんたらはサリンばらまいたんだからね。それだけのことをやっときながら不思議と破防法も適用されずに生き延びて、それだけでもありがたいはずなのにまたぞろ何かやらかそうとしてるんだったら、そりゃもうこんなに世の中をなめきった話はない。あんたら、ちったあ世をはばかる神経ってのはないんかい。

 「危機管理」などと大層なもの言いを持ち出すまでもなく、確かにわれわれそういう妙な寛容さというか、何度痛い目にあっても決して懲りない人のよさみたいなものが、骨がらみになっている。日米安保ガイドラインの問題でも、外国の勢力による国内で起こされるテロ活動への対策や難民の受け入れに関する項目がいきなり盛り込まれていたり、あるいは米海兵隊の北海道での実弾演習やどでかい空母のたてつづけの民間港への寄港などなど、最近立て続けに報道されるそんなこんなのニュースを考え合わせると、ははあ、こりゃいよいよほんとに何かおっぱじまるんかいな、少なくとも、近い将来起こり得る事態について何か具体的なイメージがあってアメリカさんはこれだけあわただしく制度の整備をやらせようとしているんじゃないかいな、と、おっちょこちょいの大月はついついそんなことを思ったりするのでありますよ。

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*1:サンデー毎日』「ちょこざいなり!」連載原稿