「団塊の世代」と「全共闘」⑬ ――明かされてゆくソ連の非道

●つぎつぎと明かされるソ連の非道

――でも、その価値の中心だったソ連の無謬神話自体が、どんどん崩れてくるようなできごとが当時、すでに起こり始めてたわけじゃないですか。

 そうだよ。ソ連について問題なのは、まず衛星国に対する弾圧。これは当時からときどき聞こえてきていて、私の大学時代だと、被害者はまずチェコだった。ポーランド暴動とかハンガリー暴動はその前、五六年で、これは私が小学校の頃だ。しかも、五七年にはソ連人工衛星スプートニクを打ち上げた頃だから、子供にとってはそっちにばかり眼がいって、政治的な側面は関心が薄いわけだよ。だから、その頃のこれら東欧の暴動に対しては、やはり当時の左翼側は反応していないんだよね。あれは(事実そうなんだと思うけど)、「CIAが裏で動いている」とか「陰謀説があるのだ」とか言われて、だから、こういう問題もあるがあまり取り合うな、という感じだったな。


――そのへん、陰謀論が必ず認識の障壁になる、というのは今もあまり変わらないかも、ですね。でもまあ、今だったらあっという間に情勢が伝わるわけで、そのへんやっぱり情報環境の違いってのは大きいですね。今と比べると、「世界」はほんとにわずかなのぞき窓から垣間見るだけだったわけですから。

 当時の左翼陣営で言うと、新左翼のブントが結成されるかされないかの頃で、それ以前に革共同はすでにできているはずなんだけど、当の共産党はそれを深刻にとらえるよりも、トロツキー論がどうのこうのという抽象的な形でしか考えてなくて、むしろ無視したがっていた頃だったね。だから、そういう東欧のひどい状況は情報としては知っていても、「で、それが何?」という感じでまともに論じない。むしろ国際的な、バチカンなどの反共団体ではそういう関係の資料を盛んに出していたようだけど、当時の左翼はそんなものはまず読まない。まあ、そういう意味じゃかなり偏ったソースで「世界」を見ていたってことだよ。

 それが六○年代後半になってくると、旧左翼、党に忠誠を誓うオールドレフトに代わって新左翼が量的に増えてくる。その段階で六八年のチェコへの領土内侵入が起きたから、多くの学生たちにとってはそれはもはや衝撃という形では受け取られなかった。はっきり言って、「ソ連ならそれくらいのことは当然やるだろう」という感じだったよね。と同時に、「自分たちはチェコを支持するだろう」というのもあった。はっきりチェコ支持とまでは口に出さずとも、心情的には「ソ連ってのはひどいことするな」とは当然、感じていた。それくらい自由にはなっていたんだよ。たとえば、ソルジェニーツィンの問題や、『ドクトル・ジバゴ』のパステルナークに対する仕打ちなんか、そういう話ももうみんな聞いていた。また私たちの場合、文学とか思想から左翼に入ってくる者がかなりいたな。私の場合も大学でロシア語を取ってたけど、それは高校時代にドストエフスキーを読んで、大学へ行ったら何か原書で読めないだろうか、という気持ちがあったからだな。

――露文、ってのが文科系の中でも、ある種ステイタスだった時代ですね。でも、露文だからって、みんな原書でドストエフスキーなんか読めるようになったんですか?

 もちろん読めない(笑)。大学へ入ったらすぐにわかることだけど、そもそも露文科へ行っても、ドストエフスキーは読めないんだよ。まして第二外国語で齧ったくらいでは他学部の者がそんなもの、読めっこない。なのに、それを目指してロシア語を取った者が実際多かったんだよ。何より、ドストエフスキーは、当時のソ連では完全に禁書だったし、そのほかにも、六○年代後半に新潮社と勁草書房から『新しいソ連の文学』全四巻が出ていたし、ソ連ではとても出せないような本がフランス経由で輸入され翻訳されていた。だから余計にあこがれみたいなものがあったんだろうけど、まあ、そんなこんなで、ソ連がとにかくひどい体制になっているらしい、という情報だけは確実に入っていたってことだね。

 ところが、一般学生のレベルではそこまでは理解できない。普通の学生はそこまで理詰めに勉強していなかったし、何より、そういう普通の学生が一気に増えた時期でもあったしね。

――そのへんになるとあたしたちの世代とも地続きに(笑) その「普通の学生」というのは、「ノンポリ」とくくられてたような存在という理解でいいわけですよね。逆に言えば、政治的であることが学生のデフォ、という世界もまだ平然とあったんでしょうけど。何にせよ、ソ連という「世界の中心」をめぐっておおむね左翼の世界観はあって、その普通の学生まで含めて何となくそういう理解というのは共有されていた、ということですか。

 濃淡はあっても、そんなところだったと思う。でも、後になって考えると、基本的な構図はこういうことだったんだよ。

 ソ連は、まず一国で社会主義を起こした。その段階で、本来なら(マルクスレーニンも初期にはそう言っているけど)そのまま世界に革命が広がるんだ、と言っていた。なぜならば、個別の国民国家とか民族性を越える概念を、マルクス主義では「プロレタリアートの普遍性」だと見倣し、そして「それが真理である」という理屈だからね。「プロレタリアートというのは、個別の民族性や、国民性、また、その利害などに拘束されない存在である。だから、全世界のプロレタリアートが団結することによって、世界の歴史が変わり、新しい歴史ができる。だから、万国のプロレタリアートよ、団結しよう」と、マルクス主義は言っている。

 ところが、実際に起きていたのは、今ではソ連の秘密文書がつぎつぎに暴露されているからわかるけど、結局はそんな理念の問題なんかじゃなくて、単に権力奪取の方便なわけで、あるのはリアルな権力を握るためのあこぎな争い、ミもフタもない政治、だけだったんだよ。そんなもの、実はそれ以前、レーニンの頃から同じだったわけでさ。私たちの頃は、一部ではレーニン批判もあったけど、基本的には「どうもスターリンがやったらしい。スターリンの同輩であったトロツキーは、あくまでも世界革命を唱えたらしい」という辺りがせいぜいだった。今ではそんなこと自体が神話で、三人ともみんな極めてあくどい独裁志望者だということになっているけど、当時は三人の配役で言うと、スターリンがまず悪玉で、レーニントロツキーは善玉だ、という分類だったね。

 彼らは世界革命を目指したが、スターリンはそれを自分の権力を守るための道具にしてしまった。そして「世界の共産主義者にとって、労働者の祖国『ソ連』を守ることが運動の目的である」と虚言を弄し、そのためにソ連は、各地で民衆が要求を掲げて立ち上がっても見殺しにし、また自国を守るため、アメリカと手を組んでむしろ弾圧しているのだ、と、まあ、ざっとこういう認識だった。


――スターリニズム、というのが学生にとっては罵倒のもの言いになり得たわけですからね。逆に共産党の側からは、トロツキスト、というのが人非人の意味になってた、と。

 赤塚不二雄だって「狂犬トロツキー」なんての描いてたくらいだからね。別に深い意味もなくて、単なる悪玉として見てたんだろうな。

 こういう当時のソ連に対して、でも新たに出てきた新左翼の側は「そうじゃない」と異議申し立てをしていたわけだ。あくまでも万国の労働者は団結すべきだ、という立場で、だけどね。ただ、その中で組織がまた再分割するもんだから、まあ、クラス討論に来てビラを撒くやつらも、具体的には何もわからないまま撒いてたりしたんだけどさ。

 大まかな見取り図としては、共産党ソ連の言い分を聞いて、「ソ連を守ることが世界の共産主義者、労働者の使命である。労働者の祖国を守るというのが使命である」と宣言し、それに対して「そうではない」と言うか言わないか、が基本線。そこが当時の議論の一番の分かれ目だった。代々木か反代々木か、ってのも、背景にある問題を見ればそういうことだったんだよ。

――「世界」に眼を開く、っていうのは当時だと、そういう政治を介した現実がまずあったんでしょうけど、それがその後はどんどんもっと日常の実感レベル、それこそ「異文化理解」といったところに矮小化されてゆきますよね。「世界」もまた「個人主義」の間尺に切り縮められていったというか。

 とは言え、当時の全学連にしろ、その後の全共闘にしろ、きちんと当時の世界情勢を認識してそう考えていたのかどうかということについては、極めて大きな疑問があるけどね。

 最初にも言ったけど、もし革命のために全世界のプロレタリアート、あるいはプロレタリアートの一部である学生が団結するとなると、そこで、政治とか権力というものが必ず出てくる。ところが、そもそも日本の全学連全共闘の一般学生は(党派の学生は別として)、権力奪取とか、政治に関心があったわけではなく、あくまでも即時的な、自分が、たとえば警官に弾圧されたとか、あるいはベトナム戦争で現地の農民がこんなに米軍にいじめられているということについての、わりと素朴な日常感覚での共感、反発があったに過ぎなかったんだよ。もしも本気で権力を取るつもりなら、「権力闘争というのは、隣にいるやつもたたき殺したりする」くらいの覚悟が要るんだろうけど、でも、彼らにそこまでの意識はなかった。それはまあ、甘いと言えば甘いわけだよ。

 極端な例で言えば、幕末の志士たちは、本当に殺し合いで権力を取っていったよね。何でもありで、最終的には江戸の町に火をつけて、不逞浪人を放って、混乱に乗じて権力奪取する、なんてことまでも一部では言われていた。さらには自分の各藩の親玉をどう使うか、あるいはどう使われるかみたいなことも考えていたわけだ。ひるがえって当時の学生運動を考えると、そりゃあ党派の連中はいくらか考えていたかもしれないが、しかし学生の側にそんな意識はまずなかったと言っていいよね。