「団塊の世代」と「全共闘」⑭ ――ベトナム、文革、北朝鮮

ベトナム、そしてべ平連

――ベトナム、というのはどうだったんでしょう。一般の学生にとっても、「反米」というより、むしろ素朴な「反戦」モードが大衆化したのは、ベトナム戦争がやはり大きかったと思うんですが。

 ベトナムの問題については、日本では在日米軍の問題、戦争に関与する軍需輸送からそのものずばりの軍艦の寄港の問題までが現にあったわけで、政治的なテーマとして当然、ベトナム絡みで反米的な言動は高まっていったよね。その高まりの中で、旧左翼(共産党系)は、完全に沈黙、黙殺しているから、それに対して新左翼が、使いものにならなくなった旧左翼的なものをどう考えるか、といった構造的な形で問題を提起するようになっていったという感じだな。

 当時、学生のそんな素朴な気分をうまく掬い上げたのがべ平連だね。党派に違和感を持つ学生たちを集めて、「ベトナムで米軍が枯れ葉剤を撒き、極悪をしているのは、ひどいじゃないか」、「みんな、率直な気持ちで反米と言おう」、「日本政府の権力が専横を極めるのはおかしい、そういう疑問をまず論じ合おうじゃないか」とやって旗上げした。そこでべ平連は、かなりの学生、若者を引き付けるようになったんだよ。

――それはいわゆるノンポリ系の、さっきの普通の学生というレベルが主力だったと考えていいんですね。それまであった政治的な学生はもちろん、全共闘に積極的に関わっていったような層ともまた違う、もっとほんとに何でもない、一般学生、という。


 


 今言われているようなプロ市民的なエートスの原点は、まずベ平連と言っていいでしょうけど、ただ、それもコアな政治学生から新左翼系シンパを含めたそのフリンジの部分に、全共闘的な気分というのが広がっていてのことで、そういう意味で、全共闘的なるもの、の極相として出てきたのがベ平連だったのかな、と思っています。個人主義で、上からの命令されての組織だっての行動などはとりあえず嫌って、政治や経済といったそれまでの大文字を介した現実認識より素朴な個人の善意を「正義」に置く。革命とまで言わずとも、社会の変革をめざして左翼は大衆化を志向していったんでしょうけど、結局は高度成長のもたらした「豊かさ」に呑み込まれて自ら省みることもできないままに退廃していった、ということなんじゃないかなあ。

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 ソ連に対して中国はどうでしたか? 毛沢東伝説みたいな話とはまた別に、ですが。

 中国に対しては、文革がすでに六六年に起きていて、それもまたなにか異様な感じだったなあ。

 あの頃は一部在日支那人の団体がかなり熱狂的に活動していて、友好運動と絡めて騒動が起きている。学生寮の問題もあった。もともとは台湾系の学生がいた京都の「光華寮」を、本土系の人たちが、おれたちに権利があるんだ、ってゴタゴタが起きて殴り合いなんかがあった。

――中ソ、というくくりが、アメリカに対抗する重要な足場になっていた、と。

 そういうことだね。戦後を考える場合には、前にも触れたけど、まず日共、さらにその親玉としてのソ連の存在も含めて、そういうくくりが大変大きかったんだよね。

 冷戦下ではまず「米ソ」という二極があった。たとえソ連に対して親近感を持ってなくても、米を批判するときには必ず、その対抗軸としてソ連が出てきたんだよ。で、さらにそんなソ連出先機関としての日本共産党があるわけだ。だから、日共が何かするに際しては、まずそういうソ連を中心とした全体構造の中での日共の価値というのを、まず考えなければならなかったんだよ。ところが、その後ソ連が崩壊して基軸がなくなって、その全体構造自体がこの十五年間でこわれてしまっているから、今、よけいに左翼というものがわかりにくくなっているところがあるんだと思うね。カッコつきの「戦後」が終わってゆく過程がこの十五年だった、ということだね。今回の北朝鮮のミサイル発射の件で、いよいよその過程も終幕を迎えて、ほんとに戦後は終わりだな、と思っているよ。

――ああ、そうだ、その北朝鮮ですけど、今でこそみんな拉致問題が国民的に知られるようになりましたけど、少し前までほんとにごく一部で知られているだけだったじゃないですか。中ソについてはうかがいましたけど、呉智英さんの若い頃、それこそ学生だった頃だと、北朝鮮についてはどういう認識だったんですか?

 正直言って、北朝鮮については私個人としては、学生の頃、あまり意識になかったなあ。大学でも北朝鮮の学生団体はそれなりに運動をしていたし、それに対しては当然、戦後の在日朝鮮人の苦労をわかっているから、それなりに同情の気持ちはあったけれど、ただ、実際に巻き込まれると面倒だぞ、という気持ちが先に立ってたのも確かだったよね。


――ああ、関わるとややこしそうだ、という感じですか。

 まあ、そうだね。日本国内でなら共産党社会党のいざこざに巻き込まれたとしても、一応議論で論破すれば、言葉で戦えばきっと通じるだろう、そう思ってたところはある。たとえば、私が日共の党員になって、査問でパージされたりボロボロにされたとしても、だからといっていきなり消されることはないだろう、という感覚はあったよ。実際にはそうじゃないにしても、ね。

 最近また、松本清張(作家/一九○九│一九九二)をめぐって、渡部昇一(英語学者・評論家/一九三○│)なんかが「コミンテルン史観であるところ以外は結構よかった」と評価したり、その他にも、戦後史を謀略だけで捉えるのはいかがなものか、とか、いろいろ批判も出ているらしいんだけど、清張の作品で『北の詩人』(中央公論社、一九六四年)ってのは知ってるかい?

――いや、清張は『無法松の一生』の作者、岩下俊作の弟子筋にあたることもあって、それなりに読みましたが、不勉強にしてその作品は知りません。呉智英さん、清張は結構読まれてたんですか?

 『張り込み』など初期の短編は好きで、長編もずっと読んでいたよ。この『北の詩人』ってのは異色の作品で、最近清張がこれだけ騒がれている中で議論に上らないのが不思議なんだけど、何の話かというと、実話にもとづいた在日朝鮮人の話なんだよ。主人公は昭和二○年代の劣悪な環境下で結核になってしまうんだけど、その時、米軍が彼に取り入ってくる。「ストレプトマイシンをやるから、スパイになれ」というんだな。で、彼はストマイと引き換えにスパイになり、その後、北に帰って北のスパイ、つまり二重スパイになって行方不明になる。

――へえ、それはまた当時としてはアクチュアルな素材を扱ってますね。

 そう。清張はこういう北に絡んだ実話を、当時もう小説化してるんだよ。今の清張を見なおす動きの中でそういうこともちゃんと語るべきだと思うんだけど、ただね、当時私は二十代でこれを読んだ時、「ああ、やっぱり国際的な、力と力の戦いの時には、一個人の理想とかそんなものは、巨大な歯車に巻き込まれて容易に潰されてしまうんだ」という感想を持ったんだよね。

 だから、うっかり北なんかに関わったら、青臭い学生が正論を言ってもまず意味がないなあ、国内なら、いざとなれば警察に駆け込めば、あるいは自民党に行けば何とかしてくれるだろう、そこまでいかなくとも、言葉で相手を論破すればいい。論破されて相手が怒ってパージされるかもしれないけど、それはそれですむ。逆にパージされることでこちらの論理が正しいことがわかるだろうし。でも、北の問題というのはどうもそういうことだけではすまなさそうだ、という、漠然とした予感みたいなものはあったね。

――なるほど。皮膚感覚で「なんかヤバそうだな」ってのはあったってことですね。まあ、北朝鮮についての情報が当時は異常に少なかったから、という事情もありそうですが。

 それはソ連に対しても、程度の差こそあれ、それに近い感覚はあったんだよ。社会主義国、共産圏というのはそれくらいには「こわい」ものでもあったんだな、左翼思想全盛の当時でさえも。

 


 戦後、最後に残った問題は、北朝鮮と在日、朝鮮総連だったけど、このところの流れを見ていると、まずもうこれで終わりだろうね。今回のデポドンは、まさかほんとには撃たないだろうと思ってたんだよ、私は。

――あれ、そうだったんですか。

 そうだよ。だって、撃ってしまえば北朝鮮のリスクはものすごいものになるし、実際に撃てば孤立して、日本の最後の背中を押すことになりかねない。中国からも無視されるだろう。今、支那の場合はいくらか利権が絡んでいるから完全には北を切れないけれど、でも国連安保理では、支那は拒否権を使う可能性もあったよね。北にあるのは、せいぜい川を挟んだ闇の物流くらいで、それしか残らない。日本からの物流も駄目になるだろう。なんだかんだで金日正政権自体が非常に危なくなるので、うわあ、これはまずいな、と思ったんだよ。

――アメリカも、ですけど、それ以上に中国が一番困ったんじゃないですかね。北朝鮮に鈴をつけられるのはうちだけですよ、というのが国際舞台でのプレゼンスだったのに、そのメンツを当の北朝鮮が平然とつぶしにかかったわけで。朝鮮戦争が未だに休戦状態で何十年も続いている、というのも考えたら異様な状態なわけですけど、その一方の大切な盟友であるはずの中国の顔に泥を塗ったようなものですよね。

 もしも私が防衛庁の人間だったら、あの規模のテポドンなら打たせればいい、と考えただろうね。それこそ謀略説が好きなやつだったら、あれは防衛庁が裏でやらせたとか、アメリカがやらせているんだというだろうし。


――いや、実際そう言っている人はいますよ。本気かどうかはともかく。

 本気で思っていなくとも、あってもおかしくはない謀略説で、事実を並べてみたらそうも読めるわけだろ。ただ、可能性の低い謀略で、本気で言われるとちょっと困る。まさにそういうところにも表れているんだけど、これまでの左翼の枠組みというのが、もう最後に残された一本の柱まで今や崩れかけているということなんだよ。

 北朝鮮がそう出てくるなら日本側は、それまでは、憲法九条を盾にして、敵が攻めてきたら自分たちは反戦だから人を殺すんだったら手を上げて投降します、という具合に話は抽象的にしかならなかっただろ。せいぜい、「そこまでやらなくたって」とか、「ガンジーの無抵抗主義者みたいにやりなさい」だったけど、でも、現在の戦争は敵が鉄砲を持ってやってくるのではなく、最初からミサイルをアウトレンジから撃ってくるから、いくらこっちで反戦です、戦いません、と手を上げても助からないよね。あっという間にそのまま殺されてしまう。だから、今、一部の世論で言われているように、中距離ミサイルは日本も持ってもいいのではないか、敵が撃ちそうだというのがわかっていたら先制攻撃をしかけるのは自衛権の範囲に属するんじゃないか、ということにもなってくる。で、そこまで議論が出てくると、これまでみたいに北朝鮮を軸にものを考えるとか、北朝鮮のブランチとしての総連をどう支持していくか、といった議論はもう成り立たなくなる。これまで「戦後」の枠組みの中にあった左翼的な、ぎりぎり最後の筋道が、現実の側から最終的に崩されつつあるんだよ。

――「戦後」のパラダイムの内側に安住したままの左翼の言語が、現実とどうしようもなく乖離している、ってことが誰の目にも明らかになってしまった、ということですね。

  

 ただ、これはしつこく確認しておきたいんですけど、そういう風に、左翼が終わった、ということと同時に、それとの対抗関係でしか成り立っていなかったような保守、右翼系の立場ってのも終わってるわけですよね。これはあたしの持論ですけど、要するにそういう左翼/右翼、革新/保守、といった二分法を成り立たせていた「戦後」という枠組み自体が大きく別のものに移行し始めている。今の状況で、左翼が終わった、と感じるのは当然だし、普通の感覚を持っていれば最低限それはわかるくらいのものでしょうけど、だったらなおのこと、それと全く同じに、保守の側も実は終焉しているんだ、って認識を持たないとまずいですよね。なのに、今の「水に落ちた犬は遠慮なく叩け」的な左翼批判、俗流市民派叩きのやり口を見ていると、往々にしてその「戦後」の枠内での保守の立ち位置からでしか見ていない、そのへんがなんとも情けないなあ、と思うんですよ。

 今でも、日本が戦争に向かってる」などと本気で批判してるのは、土井たか子福島瑞穂くらいなのかな。さすがにそれ以外の人は、もう公的にはそう言いにくいみたいだね。

 

 ああいう立場の人たちは数年前には「まず拉致被害者を、約束したのだから北に返せ」と言っていたし、北朝鮮に対しては「植民地賠償をまずしなければ」という主張だったんだけど、さすがに今の状況では言えないだろう。「今すべきことは、まず北朝鮮に金を送ることだ」とでもまだ言い続けるなら、それはそれで確信を持って生きてるな、立派だな、と思うけれど、口つぐんじゃってるのを見ると、やっぱり確信はなかったんだな、ってことになってしまう。

 人道支援の名の下の援助もあったけど、実際には民衆の手まで援助物資が届かないということがわかってきたし。「九条死守」原理主義というか、「もし戦争になったら、人を殺すより殺される方を選ぶ」という人も昔からいたけど、さすがに最近はそれさえもあまり聞かなくなったね。「敵が攻めてきたら山奥に逃げる」というのも、今はミサイルが来たら逃げようがないから実効性ないし。今こういう状況だからこそ、そういう人を「朝生(朝まで生テレビ)」あたりで呼んでほしいもんだね。ほんとに今、何をどう考えてるのか、みんなに袋叩きに合うんだろうけど、それでもやっぱりちゃんと聞いてみたいと思う。今、そういう風に袋叩きにされることも、彼らの責任なんだと思うよ。

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――ただまあ、いずれにしても、ほんとに「戦後」がゆっくりと変わりつつあるなあ、というのは痛感しますね。教科書的にはベルリンの壁の崩壊あたりから始まった、ってことになるんでしょうけど、でも、日本国内に生きてる限りで、しかもそれが誰の目にもわかりやすいような形で見えてくるまで、やっぱり十年、十五年かかったなあ、という感じですね。

 それは極東地区に限ってもそうだよ。ヨーロッパ地区と中東とか、南米とか、情勢は微妙に違うと思うけど、極東のわれわれ日本人にとっては、そういう「戦後」の終わりの始まりは八九年、でも、それが明確な形で出てくるのが世紀が変わって、ようやく今年くらいからなんじゃないかな。だから、この十五、六年に何が起こって、それはどういう意味があったのか、という全体的、構造的な検討が、ほんとはそこへ出てこなきゃいけないんだよ。

 最近大きくとりあげられるようになった改憲の問題だって、ほんとはそういう視点がないといけない。防衛の議論だって、これまでは敵を迎撃するための戦闘機が必要だったけど、今は長距離爆撃機の力が求められている。でも、これは防衛の範囲を越え、攻撃力になるという反対論があって、これまでは持つことができなかったよ。もしも敵の爆撃機が日本まで飛来した段階で、はじめて撃ち返す、というものだったわけでさ。

 ミサイルにしても、かつてはせいぜい地対空ミサイルどまりで、何百キロも飛ぶことはできなかった。ところが最近は、完全に日本の近辺の敵のミサイル基地を攻撃する(モスクワやニューヨークまでは駄目だけど)という話が出てきて、北朝鮮くらいの射程範囲なら撃って当然だろう、という論調にまでなっている。海を越えるミサイルは不可という暗黙の了解が、どんどんそれもオッケーに変わり、だったら爆撃機だって同じことだろう、という具合になしくずしになってきてる。

 空中給油なんてのも、もっと前から「あり」になっているはずだよね。ただ、それにはレベルがあって、たとえば爆撃機で、日本からヨーロッパやアフリカに行くならその途上に空中給油はするだろう、といった極端な話ばかりが防衛の議論になると表に出てきたわけだけど、でも、せいぜい北海道の千歳と沖縄の間を飛ぶだけでも今の自衛隊の戦闘機なら一回や二回は給油が必要だろうから、実はその程度の給油はもう前から実際の議論はあったんだよ。今はそれがさらに進んで、朝鮮半島、大連くらいまでならいいだろう、となってきた。ミサイルがいけるんだったら爆撃機だっていいんだから、長距離爆撃機は駄目だけど中距離はオッケー、長駆パリを爆撃するのはまずいけど、極東地区ならあり、という具合になってきて、みんなもう「それが普通だよね」という風潮にまでなっている。「普通」どころか、議論の余地さえないって感じかな。でも、ほんの少し前までだったらこんなこと、口にしただけでも大問題になっていただろうけどね。

――それはほんとにそうですね。小泉内閣以降、どんな「失言」もそれで閣僚の首を飛ばすことは難しくなった。むしろ、下半身だのゼニカネに関する俗なスキャンダルだと簡単に飛ぶんですけど。なにしろ総理大臣自ら「改憲」をいの一番に掲げて就任しているわけですから、もうこわいもんなし、でしょう。憲法改正が総選挙含めて、政治の第一の争点になってる、っていうのも、是非はともかく、ほんとに時代は変わったなあ、と。

 まあ、素朴に考えて、いくら何でもあの九条のままじゃもう無理だ、やってけない、という状況にはなっているよね。

 今までは九条の弾力運用でしのいできたわけだ。「確かに戦争はしません、しかし、自衛隊は必要でしょう」、「でも、自衛隊は自分から外には攻め込みませんよ」という理屈だよね。でも、ここまで来たらもう九条自体、法理の整合性が成り立たなくなっているから、変えざるを得なくなっている。そういう意味じゃこの「改憲」の流れも、実は北朝鮮のおかげとも言えるから、それはそれでまた謀略説が出るのも無理はないと思うよ。

 ただ、実際に改憲を発議するには、法律もつくらなければならない。そこに至るまでの手続きも結構面倒くさい。国民投票という形になったときには、本当にいいのかな、という若干のためらいも出るだろう。自民党としても発議した以上、通らないとメンツにかかわる。国民投票にまで持ち込んで葬られたらそれはそれで大問題だから、そこまで実際にやるかどうかはわからないけど、ただ、今や国民感情的には「改憲」はもうオッケーなはずだよね。


――総論、そんなところでしょうね。ただ、実際、国民投票に持ち込んだ時に、果たしてどれくらいレバレッジが効くのか効かないのか、というのは個人的に、というか野次馬的にとても興味深いところではあるんですが、それはそれとして、憲法改正、最低限あの第九条のタテマエだけはもう現実とはズレちゃってるだろう、ということだけは、大方の日本人が感じていることだとは思います。