「団塊の世代」と「全共闘」⑮ ――護憲と反米、その戦後的来歴


 なんだかなあ、と思うのは、社民党以下、いわゆる野党側、平和勢力が「改憲」に反対するのに、未だに言語道断、お家の一大事、的に肩肘張ってみせているのがかえって滑稽で。憲法くらい変えとかないと現実にもうどうしようもないでしょ、っていう世間の視線に対する空気の読めなさ、というのはやっぱり異様ですよ。言葉が現実からどんどん置き去りにされていって最終的にどうにもならなくなって、一気に現実に復讐される、ってのは、幕末の煮詰まり方なんかともある意味似てるのかなあ、とか思います。

 話が出たんでお尋ねしますけど、呉智英さんは今の憲法自体についてはどういう立場なんですか? 改憲の是非というだけじゃなくて。

 私はこれまで、原則的に九条を守る方向でいいと思ってきたんだ。

 原則的とは、弾力運用で何とかなる、いわば町人国家の効率主義で上手に運用していけばいい、ということ。九条は守りつつ自衛隊をいかして外交でうまくやっていけば、文言は特に変える必要はない。基本の部分で「九条は何故守らなければならないか」と考えた時、私は、これは倫理ではなく守った方がいい、と言う意見なんだよ。

 なぜかというと、「殺されない」ほど楽なことはないわけだから、なるべく知らん振りして殺されなければいい、ということなんだよ。つまり、普通は「平和という理念を守れ」という理由で改憲に反対するんだけど、私はそうじゃなくて、現実を見れば「撃たれたり攻められたりしなければなんでもいい」という方向でうまく立ち回って、この戦後六十年間を豊かに暮してきたのだから、この方針は保った方が得だ、と、純粋にリアリズムで考えてきたんだ。

――となると、改憲か護憲か、という二分法だと、呉智英さんは護憲派ってことになりますね(笑)

 そうだよ、護憲派だったんだよ、私は(笑)

 ところが今、私は「九条を守るためには、憲法を改正しなければならない」という考えに変わったんだな、これが。これはここ数カ月の持論でね、つまりこういうことだ。

 現実的な平和を守るためには、最近の国際情勢下では、まず情報省、あるいは謀略省というものをつくる必要があるということだな。それこそCIAやMI6のようなやつだ。それで、攻めてきそうな国があれば、それに対して偽情報を流したり、その国内の反乱分子を指導してその隣国と争わせたり、合従なり連衡なり、そういう策謀を行うのがいちばんいいと思う。たとえば、北朝鮮が危ないとなれば支那に「北にこれこれというやつがいて、おまえの国を狙ってるよ」と情報を流し、反朝鮮分子を育成して牽制させ合う。それこそが平和を維持し、戦争を避ける活動だろう。

――それは、まさに安倍内閣が今、押し進めようとしてることでもありますが。日本版CIAとか言われてますね。

 それはほんとに必要だなと思うんだよ。たとえば日露戦争のとき、明石元次郎などがレーニンに金を送って革命のための活動を援助してたわけでさ。あるいは、アメリカのやり方もその典型で、中南米を支配する時などしきりにやっているしね。

 ならば、わが日本はこの六○年、なぜそれをしなかったのか。これは実はある憲法学者に言われて気づいたんだけど、戦後の日本というのはあの憲法前文にあるように「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」というわけだから、海外の諸国民が公正であることを信頼している、だから情報戦はできないんだよ。情報を収集することは出来るけど、あちこちに親日分子を養成して反政府活動の資金を流すとか、日本以外の二つの国を争わせるよう企てるとか、そういう謀略というのは、「諸国民の公正と信義」を信頼している現行憲法上は出来ない、とこういうことだ。

――戦後憲法の前文が国家自立の縛りになってた、というわけですか。そりゃまあ、今の憲法自体、日本が今みたいにいっちょまえになることなんか全く想定してなかったんでしょうから、言わばいたいけな子供の正義として書かれたものが、今やガタイもでかくなって声変わりもして、ヒゲも生えたりしてるくせに、未だに子供の自意識のまま小さい頃のその能書きを後生大事にしよう、と、ついこの間までしてたわけですから、子供にはそんな謀略とか策謀みたいなものはとりあえずないことになってますよねえ。

 しかしだよ、だったらそれはそれで、鉄砲撃って大砲を撃ち返されて死ぬのは困るけど、でも、謀略しかけてその結果隣国同士がいがみ合おうと喧嘩しようと私は知りません、と考えればいいじゃないか。

 そのためには、やはりあの九条を守ることは必要だろう。もっとも、そのためには前文を変えなければならないけどね。だから九条を守るために憲法前文を変え、九条は変えないままで謀略省をつくり、そうやって日本は生き延びればいいんじゃないか、と思うようになったんだ。

 そのかわり九条は断固死守する。佐藤優(外交官/一九六○│)の『国家の罠』など読んでいて改めて思ったけど、やっぱりそれが戦後、小国日本が軽武装で生き延びる賢明な選択だったんだと思うよ。考えてみれば、戦後六○年、アメリカやソ連南北朝鮮は、みんな謀略を日本に仕掛け続けていたわけだ。アメリカについては反米の問題にもつながるけれど、ソ連ソ連共産党社会党に資金を流していると言われていて、事実、冷戦体制の崩壊でそういう関係の文書も暴露され始めているわけだ。どっちもどっちなんだよ。

――考えたら、幕末もフランスやイギリスが幕府と西南雄藩のそれぞれ背後にくっついて、謀略しまくりだったわけですからねえ。明治維新の語られ方にしても、そういうほんとの意味での国際的文脈から更新されないといけないですよね。


 でもね、そんな資金提供なんかは逆に言えばたいしたことではないんだよ。むしろ文化政策、たとえばロシア民謡を流行らせる活動、とか、こういう類のものこそが明らかに本質的な謀略なんだ。あるビルを爆破するとか、要人を暗殺するといった短期的な謀略ではなくて、本当に長期的に考えた上で、相手国に対して親日感情を醸成し、また相手国の政権の土台を少しずつ揺るがしてゆくような謀略を国家レベルで仕掛けておいた方が、実は本当に鉄砲を撃たずにすむんだ、ということだよ。

 戦後の、特に知識人層を中心にしたソ連に対する親しみなどは、実はソ連社会主義体制ではなくてロシア文化に対するものだったわけで、しかもそれはソ連が政策的に流したものだった。だから、五木寛之も、李恢成(小説家/一九三五│)も、当時はどんどんロシア文学にいったんだよ。平岡正明だって露文だろ。あるいは七〇年の大阪万博ソ連館で、何の知識、先入観もない一般人を「やっぱりソ連はすばらしい」と感動させて、国威発揚人工衛星を打ち上げたのも同じことだよ。

――日常生活に浸透してゆくアメリカニズムを問うならば、同じ文脈でソ連や中国、「戦後」の枠組みにおける「東側」の文化戦略も問わなければウソですよね。文化や芸術、って領域が長い間、ほぼ無意識のまんま微妙なサヨク風味のまんまできている、ってこと自体、かなり前から違和感あったんですよ。文学から音楽、美術に演劇……ものすごくおおざっぱに言っちゃえば、「戦後」の「文科系」ってのはもうそれ自体でサヨク風味が前提になってたじゃないですか。それは思想とか信条なんて自覚的なものでもなくて、とにかくそういうもの、身だしなみみたいなものになってた、っていうのは、最近もずっと言ってるんですけどね。



 実はこの謀略省のことは、潜在的にもずっと以前から考えていたんだ。

 以前も書いたことがあるけど、あのスイスというのは非常によく出来た国で、「永世中立」という幻想を意図的に振りまいて、防衛、金儲けをしてきたわけだよ。

 たとえば、目の前で強盗が旅人を襲い、ナイフをつき付けていても「私は知らない」と言う国だ。また、旅人が反撃して強盗を殴り倒しても「どうぞやってください。私は知りません」という。しかし、強盗が旅人を縛りつけるために縄が欲しいというと「縄は売ります」、と。さらには、強盗をしようかどうか迷っている奴には「強盗すれば? 縄は売りますよ」くらいのことは言うしね。

 また、スイスというのは、実はかなりの武器輸出国なんだよ。同時に、あのスイス銀行を持ってる。アフリカの新興国など、軍閥が絡んでいる政権に「最近こんな兵器ができましたよ」と、どんどん売り込んで売りつける。で、地下資源などをカネの形で還流させて、しかもその政権の軍事独裁者の個人資産をスイス銀行で預かるわけだ。

 ところが、その種の独裁者はたいていの場合、ほどなくクーデターで覆されるんだけど、でも、ここが肝心なんだが、スイス銀行は、最近ナチスの資金が問題になっているように預金者本人のサインがないと引き出せないことになっているんだよ。ということは、その独裁者が殺されてしまうと、彼の蓄えていた巨万の富はスイス銀行の口座に死蔵されたままになってしまう。次の政権の責任者が、あれはわが国の国民の財産だから返せ、と言っても「これはあなたから預かったものではない、また預金者の名前は言えない。守秘義務があります」とやって、永遠に返さない。

――う~ん、なんかものすごくずる賢いというか、ヨーロッパの白人土人特有のえげつなさというか、他人は他人でどうなろうが知ったこっちゃない、というのが、あからさまなような……

 これはもう、意図的な独裁者養成だよ。遅れた土人の国に独裁者が出て、自国の武器を買ってくれるようにして、しかも還流したカネは預けさせて、できればその政権がクーデターで倒されればいい、というところまで考えているわけだ。もう、二重三重に儲けのシステムが出来ている。で、私はこれを、いいことだと思う。世界平和を考えなければこれほど儲かる方法はない。巧妙に他国をけしかけて喧嘩させ、そこに軍事物資を売りつけて儲ける、くらいのことは、国家なんだからやってもいいと思う。しかし、そういう駆け引きは、日本は苦手とするところなんだよ。明治の一時期には少しはあったけど、やっぱり全体としてはうまくいかなかったよね。

――考えたら、確か、金正日もスイスに口座持ってるんじゃなかったですか? 北朝鮮情勢に対するスイスの謀略の有無、なんて話、あまり聞こえてきませんけど、なんかやってたりして。

 やってるかも知れない。仮にそうだとしても、別に不思議はないよ。国家間の政治というのはそういうレベルも含めてのことなんだから。

 「反米」の問題にしても、そういう風に考えてくると、日本の場合、机上の空論の雰囲気的な「反米」でしかなかった、ってつくづく思うよね。そういうスイスみたいな謀略や策謀も含み込んだ上での、本当の意味での実践的な政治に根ざした思想がなかった。

 たとえば、五年ほど前に出た原彬久の(政治学者/一九三九│)日本の『戦後史のなかの日本社会党』(中公新書)にも出ているんだけど、六○年安保というのは結局社会党自民党の、そして共産党も含めての、言わば馴れ合いだった、と言うんだ。現に安保反対の社会党議員はデモに参加した後、すぐに自民党の幹部に会いに行っていたそうだ。つまり、こんなに膨れ上がってしまったデモに対して、どこに落としどころを見つければいいか、そのためにはどうしたらいいだろう、という相談に行ってるんだな。

――それくらいはやってたんでしょうね。今のいわゆる国対政治なんか見てても、そんなネゴシェーションのやり方の名残り、って感じもするし。また、与党と野党の間にも、今とはまた違う信頼関係みたいなものがあったような気もしますね。それこそ「選良」としてのソリダリティ、とか。

 同じように、自民党側も似たような警戒心は持っていて、一度は自衛隊の出動も考えたんだけど、長期的に見ると必ずしもこのデモを否定していなかったりするんだよね。なぜならば、デモがあるがゆえに対米交渉が有利に運べるということがわかっていたから。アメリカに対して、「もっと援助をしてくれない限り、こういう風に国内の反米感情は燃え上がりますよ」と、ひとつの外交カードとして使えるわけだ。政治はそういう駆け引きの上に成り立っているから、デモ隊も持ち駒の一つなんだよ。つまり、デモをやっている側は本気だったんだけど、その実、そういう政治の俎上で踊らされていた、という構図を持っていたわけだ。個々のレベルではそれなりに純朴な学生たちの正義感というものも、そういう大きな謀略の力関係のなかにきちんと組み込まれていた、ってことだけどさ。

――「個人」と情況との相克、ですか。いつの時代もそんなもん、って言ってしまえばミもフタもないんでしょうけど、ただ、ことを団塊の世代に限ってみた場合、それまでになかったくらい一気に、広い範囲でそういう「個人」の問題が浮上してこざるを得ないようなめぐりあわせになってしまってた、ってことはあるんじゃないですか、歴史的にも文化的にも。だから、余計にそのナイーヴさがむき出しになってしまった面はありそうですよね。

 

 団塊の世代、っていうと、あたしなんかは、たむろするという、その“感じ”をまず想起しちゃうんですよ。呑み屋とかでもそうですけど、とにかく仲間同士でたむろして馴れ合ってグダグダやっている、に見える。そこには男女共に混じっていて、それはもう夫婦ものもそうじゃないのも一緒くたに混じってるわけですけど、でもそれは普通に日常生活で遭遇していた親戚同士の集まり、などとはまた違ったたむろの仕方、仲の良さの表現、みたいなところがあったように思うんです。で、そういうナイーヴさ、ゆるさみたいなものと、メディアも含めた情報環境にいいように流されてきたというところが、どこかでつながっていないかなあ、と。「反抗」とか「反権力」って言ったところで、個々の例外はあっても、全体としてはやっぱりゆるいまんまにトシ食ってきてるなあ、と感じざるを得ないんですよね。

 たとえば、総連を通じて、朝鮮高校の女の子が時々悪さをされた、とか未だに言うじゃない? あれも北朝鮮の自作自演だ、ってことはもうおおよそわかってしまっている。部落解放同盟が自作自演の差別落書きを書いていたことがあったのと同じことだよ。ただ、そういう事実があろうがなかろうが、やはり変な連中というのはいつの時代も一定量はいるから、実際に在日の女の子に石を投げたり悪さをするやつも、そりゃあ少しはいるだろう。でも、それも誤差の範囲というか例外なわけで、それより何より、不思議なことに朝鮮総連に対する大規模なデモとか、反朝鮮暴動というのはこれまで日本で一度も起きたことがないんだよね。

――ですねえ。市ヶ谷の総連本部の周囲はいつも警官がいますけど、でも、あそこに右翼の街宣車が押し寄せたって話も聞いたことがないですし、ましてや、朝鮮人許すまじ、なんてデモなんか起こりようもないわけで。

 自国民が拉致され、それを返してくれないどころか、遺骨の鑑定疑惑まで出てきた。そんなむちゃくちやな国に向けて未だにパチンコのあがりをせっせと送り続ける団体が存在していて、しかもそこでは金正日を崇拝する民族教育をやっている。そして、とうとうミサイルもほんとにこっちに向かって飛んできたのに、この国ではそれに対して合法的な包囲デモも起こらなければ、焼き討ちもない。朝鮮人が三十人くらいガソリンをかけられ、焼き殺されたという事件でもあったって不思議ないと思うんだけど、ということは、マスコミや知識人が言うような「右傾化」というのは実は相当にあやしくて、現実には日本中で誰ひとり熱狂などしていない、ということだと思うね。

――「右傾化」「保守化」「危険なナショナリズム」ときて、お約束の「軍靴の音が聞こえる」ですか(苦笑)。冷戦構造崩壊後の、この「戦後」が終わってゆく過程をそんな「右傾化」程度のもの言いでしかカバーできない、ってこと自体、マスコミはもちろん、大げさに言えばニッポンの知性の退廃ですよ。

 まあ、こんな事態は、ヨーロッパなら考えられないよ。まして旧ユーゴだったら、即日内乱、とっくに内戦状態だ。いまや、どうやったら日本人をほんとに怒らせられるんだ、というジョークがあるくらい、ほんとに日本人というのは何をやっても怒らない。よその国では考えられないくらい日本人はおとなしくて、寛容なんだよ。まあ、不甲斐ないと思わないでもないが、でもね、私はこういう状況を決して悪いことだと思わないんだよ。むしろいいことなんだ。こういう事態を、あまり熱狂せずに平和裡に解決できるのなら、それは民族の成熟の表れかな、とも感じているよ。

――ただ、どうなんでしょうかね、日本人が民族として根がおとなしい、といった理由以外に、まず、なんだかんだ言ってもまだ経済的にはそこまで困っていない、ということのが大きいように思うところもあるんですよね。「格差社会」とか最近やたら言われてますけど、そんなの以前からあったわけで。


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 そこだよね。みんな何かというと、ファシズムファシズムと言うけれど、ファシズムの要件、これは定義によっていくつかあるけど、基本的にはエーリッヒ・フロムらのいう、「金融危機」と「自分たちの職が奪われる」という危機幻想が前提と言っていいだろう。ということは、たとえば外国人労働者が悪さしたり犯罪に走ったりしても、自分たちが現実に食えなくなっている状態でなければ、あいつらが自分たちの職場を奪っている、という実感は特にないんだ。 事実、むしろ「三K職業の中に入ってくれてありがとう」とか、「皿洗いをやってくれてよかった」みたいに今はまだ大方の日本人は思っているし、中小企業や地方の農山漁村だと実際、そのメリットの方が治安その他のデメリットをうわまわっているんだよ。

――現状はまだそうなんでしょうね。不法滞在その他の外国人による治安の悪化、というのは数字としてもちらほら出てきてはいますけど、でも、日常の生活感覚としてそれはまだ数字ほどには表われてきていないところがありますし。



 ボブ・フォッシーの『キャバレー』ってあったじゃないですか。もともとミュージカルで、ライザ・ミネリで映画になったやつ。ワイマール後のドイツでファシズムが台頭してゆく過程を、実に寓話的に描いてた作品ですが、ああいう具合に在日排除、不良シナ人排斥、みたいな空気が現実に盛り上がってきてるのなら、おお、まだニッポン人もきっちり近代やってるなあ、と思えるんでしょうけど、今のこのなんというか無駄にセキュリティだけ高くなってる事態、生きものとしての沸点の低さというのは、まさに「豊かさ」による成熟かも知れないですね。いたずらに民度が上がっているというのか。



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 そういう意味でも私は、戦後を支えてきた最後のつっかえ棒がなくなりつつあるまさに今、高度経済成長以降の現代史を、今一度整理して理解しておかなければならないと思っているんだよ。なにせ、物事の枠組みとかたたき台がないと、人間というのはものを考えられないわけで、つまり言語を持たないと考えられないんだよ。まず日本人なら日本語で考えて、それをもとにして、英語ならどう考えるか、ドイツ語ならどう話すか、フランス語ならどうか、考えていくわけで、その最も前提になるべき母語で現実をとらえようとすることもしないまま、何もないところでいきなり考えなさい、といってもそんなのできやしないよ。

――「戦後」がこうやって終焉しつつある中では、もう右も左もあるもんか、ということは認識できたとして、ならばいっそ、そういう立場を超えて連携する、ということも立場としてあり得ないんですかね。それこそ、一時期の竹中労の「左右を弁別せず」、じゃないですが。

 それはどうかな。一部じゃ、反米原理主義みたいな部分で左翼の反米と右翼が手を結ぶという動きもあるが、現実には北朝鮮問題があるから、そう簡単にはいかないだろうね。

 右翼の中の原理主義的な連中、とにかくそれなりに主義が通っているように見える民族主義系の人たちは、ある時期イラクに評価を与えていたし、「リビアカダフィもいいか」なんて言っていたんだからね。それならアメリカだけが核武装しているのはけしからん、と言うのであれば、同じように北朝鮮に対しても、自分たちで防衛権を持つ必要がある、という流れがあるなかで彼らはそういう事態にどう対応するのか、よくわからないよね。カダフィがオーケーなら、金正日もオーケー、と言わなければ筋が通らないじゃないか。そう考えてゆくと、いま旧左翼と右翼がそうそううまく手を結ぶというわけにはいかない気がするね。やっぱり、北朝鮮テポドンの衝撃というのは、「手を結ぶ」という野望を断ち切るくらい大きなものなんだと思うよ。

――あたしもなにせあの「新しい歴史教科書をつくる会」で、西尾幹二じきじきに「リベラル」とお墨つき頂戴したくらいのバカですから(苦笑)、左翼とは言わないまでも、市井の個人が認識を深めていって自ら腰上げてゆく過程にはそれなりに信心がまだ残ってたりしないでもないんですが、ここまでものの見事にこれまで「戦後」の内側で成り立ってきた思想なり知的営為なりが、一気に意味のないような状況になってしまうと、かえって危機感持ってしまうくらいのもので。派遣会社が猖獗をきわめて契約社員ばかりがどんどん増えて、しかも基本的な労働環境の改善は見込めないままというんじゃ、お~い、労働組合はこの忙しいのに何やってんだ、と言いたくなったりしますよ。地方競馬の現場に関わってゴソゴソやってきているのも、やっぱりそういう時代の中で、どうにも不条理で不利益を被らざるを得ない立場ってのが今なお厳然としてある、そしてそれはできる限り自前で救済されるべきだろう、という信心があるからなんですよ。なのに、肝心かなめの知識人なりメディアなりがこういうていたらくですからねえ……

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 結局、戦後の新左翼にあったのは単純な、個人の実感レベルから決して離れることのない正義感と、同時に、六〇年頃まではまだあった戦前から地続きの「鬼畜米英」感情がごっちゃになった「反米」だったんだな。その「鬼畜米英」感情にしても、高度成長期の大衆化で七○年安保段階ではかなり薄らいでいたけれど、それでもまだ記憶の片隅に少しは残っていた、と。でも、今の人たちにはそういうものはもう全くと言っていいほどなくなってるんだろうね。だから、純粋に抽象的な平和論、反戦論しかない。近くに基地があります、基地の米兵が乱暴しました、というレベル、それで社会派になれるんだから話は簡単だよ。