「団塊の世代」と「全共闘」㉒ ――オトコとオンナ、自慰の暗闇、処女性の霹靂

◎男と女、自慰の暗闇 処女性の霹靂

――「婚前交渉」と同じように、当時はオナニーも問題になったでしょ。自慰、マスターベーション、ですが。

 もちろん、問題になった。私の世代では、小・中学校の頃、オナニーは変態扱いだったね。

――うわ……いきなり「変態」、ですか(苦笑)

 そうだよ。そもそも生殖を伴わない性というのは同性愛、SMはいうまでもなく、オナニーさえも変態性欲だった。もちろん、中学・高校くらいになると「いや、害はない、やってもいいんだ」となってくるんだけど、ひとたび罪悪感を持ってしまうと、トラウマになって、あとあと苦しむことにもなったりしたんだ。

 戦前だったら、背が伸びなくなる、頭が悪くなる、とか言われたからね。頭が悪くなると言われたら、当時の少年たちは、さぞ悩んだろうと思うね。なにしろ、そんなことばっかりやっていると栄養分がそっちにいってしまい、タンパク質やカルシウムが足りなくなるとか、まあ、いい加減な説明なんだけどね。

――運動、スポーツをして発散させればそんなモヤモヤは吹き飛ぶんだ、みたいなことが言われてましたからねえ。保健体育の授業でそういうことを真顔を言われてましたから。 これはまただいぶあとですが、吉田秋生が『河よりも長くゆるやかに』の中で、主人公の男子高校生がコンドームを持っているのが見つかって職員室で大目玉を食らう、その教師の説教がまさにその「運動をして発散させろ」みたいなものだったのに対して、「おまえらだって若い頃があったんだから、そんなもの、スポーツやったからって忘れられるようなものじゃないのわかってるだろ、ゴルァー(#゚Д゚)ゝ」みたいにひそかに毒づいて見せる、舞台設定はあれ、70年代半ばから後半くらいだったと思いますが、すでにそういう説明自体がひからびて実効性なくなっている状況を如実に反映させてましたね。

 ただこれは、酷い話だとも一概に言えないんだな。大人が、若者に対して枷をつくってやり、ちょっと脅しをかけておく、その中で若者は、自ら「これは迷信だ」と枷を打ち破るくらいの気概を持つべきなんであって、少年にとっての最高の試練、自己鍛練の場でもあったんだよ。

 それが六○年代後半になると、もちろんこのオナニーもオッケーになる。大きな力があったと思うのは、六○年に『平凡パンチ』が出て、それで若者文化をがらりと変えたんだよ。クルマの性能、男と女のつきあい方指南、ファッションはこうあるべきだ、と、まあ、そういう生活まわりの情報を一気に与えていったことで、若者の生活意識から文化まで全部変わってきた。それを追うように二、三年後、『プレイボーイ』が出て、両者が競い合う形でさらに加速され、一気に日本中に広がった。当然、その中にもセックスの悩みは出てくるわけだけど、その時点ではもう「僕、人には言えないんだけどオナニーをしています。背が低いのはそのせいでしょうか?」という類いの相談はまずなくなっていたね。


――まさに近代化、ですねえ。性的な領域についての自覚や悩みが、そのまま社会的な体格や身体感覚まで含めて陰を落としてゆく、という風に考えられてゆくわけで。


 六○年代後半、われわれ団塊の世代が大学生だった頃は、男はまず全員、特殊な人以外はオナニーをしていた。当たり前だな。で、女はというと、これは当時こっちからはよくわからなかった。「そもそも、女はそういうことをするのだろうか」とまず悩んで、やっぱり全部の女じゃなくても、一○か二○パーセントくらいはしてるのかな、するんだったらどういうふうにするんだろう、ああ、一度でいいから女のオナニーを見てみたい、という風にあれやこれやの妄想が広がってゆくわけだ。

――それはもう、身近に姉や妹がいたところでどうなるもんでもないですしね。社会的には言うまでもなく、家族の中でも男と女は結構巧妙に棲み分けがされていたわけですから。互いにいかに顔つきあわせていても、性的な領域に関わる部分はそんなに明るみに出ているわけでもなかったですしね。まただからこそ、社会に出ていった時にもいい具合に妄想が前向きに作用してくれたり。「やる気」とか「意気」なんてのも、実はそういう棲み分けが保証されてないとうまく機能できないものかも知れない、と思います。



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 こんな話があったんだよ。高校時代、近くに名門の女子高があってね。そこの生徒の女の子がある日、一人死んだ、っていうんだ。救急車で運ばれたけれども間に合わなかった、と。原因はというと、なんと、授業中に電球でオナニーをしていたからだった、と(笑)。気の毒なことに彼女はことに及んでいる最中に先生に当てられ、あわてて立ち上がったはずみでその電球が割れてしまって……救急車で大至急病院に運ばれたけれど、あたら若い命を散らせてしまった、という話だ。

――まさに「都市伝説」(笑)いや、ありがとうございます。でも、その手の「女子校」伝説、ってのはもう全国津々浦々に広まってますね。電球ってディテールは、それ以前、戦前にすでに語られていたなすびなどからの連想かも知れませんが、確かに似たような話はどこかで聞いたことがあります。

 すでに民話になってるんだろうね。まあ、そんなもの、よりによって授業中にする必要もないだろう、と誰でも思うんだが、それでもそういう話がまことしやかに語られて、聞く方も聞く方で、そういうことがほんとにあったらいいな、という願望があるから、伝承に拍車をかけたんだろうね。

――若い女性に集団で襲われる、ってのも、そういう類の都市伝説には設定として割とよくありましたね。強姦ならぬ強チン、とか言ってましたが(苦笑)これは、たいていオトコの側が受け身で、騎乗位でかわるがわる犯される、ってのが基本的な形ですね。で、射精させないようにチンチンの根もとを輪ゴムで縛られるから、イキたくてもイケない、まさに地獄、という趣向もついてくる。実際に、当時の「スケバン」(これもまさに当時出てきたもの言いなんですが)の実録なんかでは、こういうリンチをほんとにやっていた、って話も出てますから、まあ、現実にあった話ではあるんでしょうけど、でも、想像力の水準で考えると、なんかこれ、ヴァギナデンタータ(歯のある女陰)なんかにも通じるような趣きがありますね。

 ところが、それがどんどん変化していって、それでも八○年代頃までは「女も三割くらいはするかな」だったが、今では結局、男と一緒だとわかってしまって、面白くもなんともない(と、憮然)。

――こちとらと同じように向こうさんにも性欲もあれば、オナニーもする、ってのを、あらかじめもうわからされちゃってますからねえ。ましてやローターだ、デンマだなんてシロモノまでが今やおおっぴらに取り沙汰される始末で……。ドンキホーテあたりでどうみてもそれ用のバイブレーターがゴロンと放り出されるように売られている光景というのは、なんというか、荒涼としたものがあります。同じようにローションが一般にも使われるようになったり……いやもう、確かに世も末かなあ、と。


 ただ、ここでひとつ興味深いのは、フェミニズム(六○年代後半まではウーマンリブと呼んだが)の言動なんだよ。その頃でも、女がオナニーする、というとフェミニズムの連中も、まだ怒っていたもんだ。七○年代に入っても割と怒っていた。「そんなもの、しない人も多いし、したからって悪くはない。でも、あまりしません」という感じでね。ところがその後、あれは『MORE』など女性誌が、男の性についての研究をおおっぴらに掲載するようになって、そのあたりから変わり出したような気がする。女の側では、異性についての社会的な意味が男とは違ってたら、その分、男の側の変化にワンステップ遅れてついてくる形だったんだろうな。

 典型的な例を紹介しようか。あるテレビ番組で竹中労ルポライター/一九三○│九一)が、当時清純派で出てきたアイドルの小川知子(一九六八年、歌手デビュー)に向かって、「おまえ、処女じゃないよ」と言って大問題になったことがあるんだ。彼女は「いえ、私は処女です」と言い張るし、竹中は「いやそんなことはない、おれはルポの取材をしていてわかってる」と言い張って大騒ぎになって、小川知子は処女か非処女か、なんてのがスポーツ紙などで大論争になった。今思えば、あれほどエキセントリックな反応を示した小川知子には、後に「幸福の科学」入信の下地がすでにあったのかもしれない。


――うううむ……小川知子も当時の労さんに食いつかれたのが運の尽き、って感じですねえ。でも、アイドルというもの言い以前の清純派というのは、もう当たり前のようにそういう性的存在の部分はなかったことにされてたわけですね。それこそ、クソもしなきゃションベンもしない、という。まさに吉永小百合を頂点とするそういう芸能人としての理想の女性像、ってのがまだ確固としてあり得た最後の時代だったんでしょうね。


 とにかく、今じゃとても考えられないことだったな。今ならむしろ「二十五にもなって、男がいないのかしら」「おかしいんじゃないの」とネガティブにとらえられてしまうようなもんだ。まあ、それが本当にネガティブかどうかは異見もあるだろうけど、少なくとも「処女か非処女か」以前にまず、男がいない、つまり女としての魅力がない、ろくに声もかけられない、相手にされていない、と周囲から先読みされてしまうのは間違いないだろう。

 多分男の本音としては、男から声はかけられているが、でも、最後の一線だけは越えないで守っている、それなりに浮いた話もないではないんだけど、最終的にはふしだらではない、というあたりが最も価値ある女性像だった、ってことなんだろうな。だから、たとえ処女でも「おまえには誰も声かけないってことなんだよな、ならば、そういうのはおれもちょっとカンベンしてくれよ」、みたいな微妙な駆け引きがあったような気がするんだけど、そのへんも含めてどんどん変わっていくのが、まさにその頃だった。

――とは言え、そういう激変をくぐり抜けたのは男の側だけじゃないですよね。

 むろん、女の側から考えても大きな転機だったと思うよ。団塊の時代は、そういう自我に気付いてゆく女を大量に輩出した。そしてまた、その自我を持て余し、それに困って葛藤した女たちを大量に産み出した最初の世代ともいえるんだろうね。

 と同時に、女に必要以上に主導権を握らせたのも団塊だ、といわれているけど、でも、それもまたすでに終戦直後から始まっているんだよ。ただ、その段階じゃまだ建前なんだな。だから、女が実際に突出して声をあげれば、やはり周りから白い目で見られた。で、そのとき声を上げた女は、フェミニズムだろうと、ウーマンリブだろうと、女権労働者であろうと、基本的に私は立派だと思う。風よけ、弾よけになる者は、先頭に立っている機動隊員よりはずっと立派だ。
 たとえば明治の頃すでに、神近市子(評論家・政治家/一八八八│一九八一)などは、いい根性をしてたよ。伊藤野枝(婦人解放運動家/一八九五│一九二三)は単なる色狂いだったが、そんな女の横で、それにはじき飛ばされそうになりながら頑張った神近は立派だった。市川房枝(婦人運動家・政治家/一八九三│一九八一)もいくらか問題はあるけれど、でも、あれも立派。戦前に声を上げた女は、それだけで優秀で、六○点、八○点の違いはあっても、五○点以下はない。みんな、強風に向かって進んだわけだ。

 でも、戦後になると向かい風が止み、やがて追い風になる。しかもぬるま湯のような追い風の中で、ぐでっと立っていても、自然に進んでゆける。戦前と今とでは、それは一緒にしてはかわいそうだと思うよ、この私でも。