「団塊の世代」と「全共闘」・余滴②――呉智英かく語りき・断片

創価学会

 創価学会は危険な組織か、とよく議論されるけど、創価学会に対して自由に批判があり得るうちは、さほど危険ではないと私は思ってる。この場合の批判というのは、何も高尚でお上品なものだけではなくて、野次や嘲笑、罵倒なんかも含めてのことだけどさ。

 学会への嘲笑はもちろんオーケーというか、むしろどんどんやれと思うんだよ。だって、どう見てもヘンじゃないか(笑)。と同時に、やはりこれまで学会が果たしてきた役割もある、という意見も当然あるよね。で、それも確かにある程度うなづけるんだよ。事実、彼らは左翼理論ではない方法で、やはり極貧の、底辺の民衆を救ってきているんだからさ。

――そのへんは呉智英さんらしい視点ですね。いや、あたしも高度成長期の創価学会については同じような視点を持ってます。

 本当の人の不幸とは、単純に左翼理論で説明できるものじゃなくて、資本主義の搾取云々とは少し違うんだよ。

――貧、病、争(人間関係)が、宗教に入信する最大の理由、と、ずっと言われてきましたからね。

 そうそう。「貧」とは貧乏だよね。昭和三十年頃だと、まだそういう貧乏、ってのは具体的にいくらでもあったんだよ。

 たとえば、お父さんが死んで小さな町工場が左前になる。そうこうしているうちに、兄貴はグレて刑務所に入り、二、三カ月臭い飯を食って出てきた、と。当然、近所でみんなに後ろ指さされるわけだ。そんな界隈で育った中学生の「僕」……というのがしたとして、その彼の不幸というのは、単に社会主義ならもっといい暮らしができるとか、資本主義の矛盾がどうとかいう問題じゃとりあえずないんだよ。だから要は、ああ、おれももうグレちゃおうかな、と途方に暮れていると、そこに学会の人がどこからともなくわらわらとやって来て、「お父さんの工場、駄目なら何とか信用金庫に口をきいてあげるから」とか何とか言って運転資金を十万円くらいふんだくってきてくれたから、オヤジもとにかく工場を再開する。次には、じゃあ、うちの学会系の企業の下請けするのがいいんじゃないか、とか仕事も紹介してもらう。刑務所から帰ってきたその兄貴だって、そんなもの当時だってどこも雇いにくいんだけど、でも、学会なら、というんで隣町の商店に勤めることになったりする。そんなこんなで日々の生活は何とか安定してゆくんだけど、次にはどうしても「でも僕、勉強できないや」という問題が出てくる。なんだ、そんなの、じゃあおれたちがちゃんと教えてやるよ、と、またまた学会の人たちが助けてくれて、ああ、ありがたいことに無事に高校へまで行けるようになりました、という……まあ、ざっとそういう子供が実際に、いくらでもいたんだよね。この場合、創価学会というのは明らかに彼ら貧困層、困窮層を「救っている」わけだよ。

――『キューポラのある街』とか『下町の太陽』とか、そういう世界ですね(笑)。まさに「名もなく貧しく美しく」。「社会派」なんてもの言いも、そういう境遇が具体的にあったからその分、燦然と輝くことだってできたわけですしね。「貧乏」が具体的に身の回りに見えていたから、共産党創価学会もある部分で共感を獲得できた。〈リアル〉に足つけてたんですよ、彼らもまた。


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 一方、「争(人間関係)」の例は、こんな感じかな。

 飲んだくれで仕事に行かない父ちゃんがいて、それを母ちゃんが殴ったりして、とにかく夫婦喧嘩が絶えない家がある。争いに疲れたところに学会に誘われて、集会に顔出してみたら「ちゃんと信心すれば、いいことがあるよ」と慰められて、「どうせ今のままでも青あざだらけなんだし」と、すでにこの時点で前向きになっていたりするわけだ(笑)。あとは案外簡単だったりして、酒飲みで仕事に行かないような自堕落な父ちゃんも、朝から仏壇の前で勤行すれば生活態度もぴしっとしてくるし、朝起きてごろごろしているわけにもいかなくなる。学会の仲間が工場へ仕事を紹介してくれれば取りあえず行かなきゃ格好がつかないし、仲間の眼もあるから昼間っから酒を飲んだりもしにくくなる。で、夕方帰ってきて「おい、母ちゃん、帰ったぜ」、「あれ、なんだ、きょうは魚があるのか。おまえ、煮たのか」、なんて夫婦仲も仲直りの兆しが表れる。「八時からみんなで集会に行きましょうよ」となって出かけて、集会で疲れて帰ってきて十時には寝る。すると、翌朝六時に目が覚めてしまうから、生活リズムもめでたく戻るわけだ。そうやって何となく毎日やってゆくうちに、ありがたいことに家庭内の争いがなんとなくなくなった……というようなケースが、これまたいくらでもあったんだよ、当時は。

――「貧」も「争」も具体的だった分、その当面の解決も素朴だったってことですかね。戦前の賀川豊彦なんかでも、あれはキリスト教が背景にあって貧民窟に入っていったわけですが、やっぱりそういう具体的な功徳が効果があることをさりげなく書いていたりします。でも、それはあくまでも方便だという理解なわけですが……

死線を越えて

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 こんなのはもちろん、内側から見れば根本的な解決にはなっていないよ。単に生活習慣がついただけなんだけど、でも、その生活習慣という概念さえない最下層の人ってのも確かにいたし、今でも形を変えてやっぱりいるんだよ。創価学会がそういう人たちを救ってきた実績というのは、実はすごいもんだと思う。下町という舞台で学会と共産党仁義なき戦いを繰り広げてきたのも当たり前で、あれは高度成長期に顕在化してきた「戦後」の不幸というパイを食い合ってたわけだからさ。

 創価学会は、一応、日蓮正宗の教えだと自称しているわけだけど、昭和三十年頃からの彼らの考えは、基本的には困っている人のところへ言って、悪く言えば、その人たちから瞞着していたんだよね。ただ、ここで学会がすごいのは、当時ほかの宗派は、浄土真宗禅宗も、とにかく下層の民衆を相手にしなかった。ところが学会は、それを積極的に取り込むことによって、彼らを救うという仏道の功徳を成し、一方で、そこに実利をも組み込んだわけだ。

 さっき言った話で言えば、刑務所出の兄貴を学会系の商店で雇う時、実利というのは、たとえ前科者でも刑務所でお勤めを果たしていれば一票は一票だ、ということで、学会というのはそれくらい先のことを考えていたんだ。彼らが今、朝鮮関係のことをとりたてて問題にしているのも、在日朝鮮人投票権をうまく取り込めば公明党議席が増えると考えているに違いないよ。

――それはあるんでしょうね。政治のレベルでは。一方で、普通の人、常民にとっては「役に立つ」というのは、どうしようもなく具体的なんですよ。カネか、オンナか、名誉か、どれか。学会の活動を頑張れば、市営住宅に入れる、病院にも入院できる、学校にも便宜をはかってくれる……これは共産党も似たようなものなわけですが。

 そうだよ。これは何も思想とか宗教といった深い話じゃなくて、本当に徹底的に、ミもフタもない実利なんだよ。しかし、それくらいミもフタもない実利であったからこそ、今日の飯が食えないような人間が救われもしたんだよ。しかもそれを大規模に、あの時代からやってきたわけだ。

 今、逆に学会で問題になっているのは、四畳半のアパートに住民登録五十人もやって、そんなもの居住実態がないじゃないか、といった、選挙ごとの民族大移動に対する非難だったりするんだけど、でも、これに近い例はこれまでほんとに無数にあったはずなんだよ。四畳半のアパートは駄目でも、一戸建てならそこに八人が住んでてもおかしくないし、二家族二所帯で上と下で住んでても、山田さんと加藤さんに住んでもらって住民登録をしてしまう。それで都合八票入るんだから学会としては問題ないんだよ。

 場合によっては、学会員がその人たちに一円もやらなくても、彼らが生活保護を受ける道をつくってやればいい。無学文盲で貧困の中にいる人は、その程度のリテラシーさえないわけだし、とにかく学会員の懐はこれっぽっちも痛まない。そういう交渉に立てば行政側は「うわあ、また学会の人か、じゃあ、払うしかないですねえ」となる。そうすると、結局は「選挙に勝ってよかったねえ。この人たちがいてくれたからだよ」と、みんなの顔がめでたく立つわけだ。

――その「学会の人」を「解放同盟の人」や「共産党の人」、「総連の人」に代入しても成り立つわけですよね。

 そうそう。

 いま、学会ってのは、組織の構造としては、中心部にいる幹部については池田本仏論だよ。「私たちの立法は世俗を超えている。だから、世俗を支配しなければいけない」と本気で思っているわけで、地上の、世俗の論理はどうだっていい。東村山市での女性市議の自殺にしても、あれはどう見たって謀殺なんだけど、でも、あれさえも組織防衛のためには正しいこと、なんだよ。まあ、あれは結局、裁判では学会が勝ったけど、限りなくあやしいとは普通、思うよね。

 宗教的に言えば、法華教自体に一神教という性格があるんだよ。一神教は謀殺もするから恐ろしいんだけど、資金もなく、社会の底辺からはい上がってくる者は、当然多い。それは、組織の下の方の頭脳のキャパシティが小さいくせに狂信的な連中が、もう言われたとおりロボットのように働くからで、はっきり言ってそんなもの、連合赤軍と同じ構造だよ。

――最大のセキュリティは「食える」ってことで、もっと大きく言えば「豊かさ」でしかない。

 一般に、日蓮宗の中では、日蓮本仏論さえ否定されているんだ。つまり、釈迦本仏論だ。しかし、日蓮宗の中でも突出して日蓮原理主義的な経文は、日蓮本仏論を言いそうなところまで行ってたんだよ。でも、それが池田先生になると、もういきなり池田本仏論だからね。だけど、さすがにやはりそれは言えない状態で、今は政治の世界でも与党だし、と、現実にはかなり穏健派になっている。池田本人も否定しているけど、でも、現実にはもう喉まで出かかっているわけだ。「国立戒壇池田本仏論」、だよね。



心理的な問題と格差社会

 創価学会の動き自体は、団塊論と直接は関係ないよ。ただ、学会が一気に急成長するのは池田大作が会長になる昭和三十年以降だという、同時代的な連関は、ないことはない。つまり、高度成長と軌を一にして、その矛盾、たとえば、家族共同体が崩壊していくとか、そういう問題に対する救済という点ではどこかで繋がっていると、私は思ってるよ。

 バブル期になって、最終的にいわゆる貧乏人がいなくなって、創価学会の使命は終わったんじゃないか、なんてことも言われたんだけど、ここへ来てまた勢力が強くなってきているのは、やはり「格差社会」の問題と、もうひとつ、物質的な「豊かさ」では埋められない「心理的な慰安」の問題がこれまで以上に大きくなってきたからじゃないかな。つまり、民衆がアトマイズされ、砂粒になっているわけだから、個々人は不安や虚無感を埋める対象を宗教やオカルトに求めてしまう、と。組織的には、それまでの共同体にかわるものが求められる。これはある意味自然な流れとも言える。だって、それこそ一家で勤行をし、座談会や勉強会に行く、何となくそれで一家のまとまり、地域のまとまりが改めて出てくるところはあるわけだからさ。

 格差社会というのは、例によっていろいろ言われているけれども、あれは経済的実態よりも、実はメンタルな部分がかなり大きいんだよ。三浦展(評論家/一九五八│)も、そう言っている。これはもう、お金で解決する問題ではない、意欲の問題なんだ、と。生きる意欲をつくるノウハウ、これがない、持てない人たちが、新しい「下流社会」を形成しているんだよ。

 かつての横山源之助(ジャーナリスト/一八七一│一九一五)が言った日本の「下層社会」(一八九九)とは、もう決定的に違うんだよ。あれは、本当に貧しくて食えない、東京の下谷あたりの貧民窟をドキュメントしたものだけど、今は格差社会とは言っても、下流(意欲)と下層(金銭)とではその意味が違ってきているんだと思うよ。

――そのへんはあたしもかねがね問題にしているところでもあります。たとえば、「ドキュン」ってもの言いがネット周辺から出てきて、今じゃかなり普通に使われる言葉にもなってますが、あの「ドキュン」がいまどきの貧乏のある部分を反映しているんだと思うんですよ。

 それ、定義としてはどういうことになるの?

――微妙なんですが、要はもう少し前だと「ヤンキー」と言われていたような低学歴、低収入層、ってことなんでしょうかね。ただ、そんなにわかりやすくもなくて、生活のありようや価値観などがあまりに俗物的で流されるままだったり、そういう生活に対する違和感が表明されている、という感じですかね。

 それからもうひとつ、差別に絡む格差、というのもある。たとえば、東京の貧乏とは金がないことで、「宵越しの金は持たない」という浪費家も含めてまだ明るい、という人がいる。それが、関西の貧乏は差別などが絡んでくるから、底の深さが少し違うよね。それはインドにおいて、ヒンズー文化のカーストに対して、イスラムや仏教が対抗策としての意味を持ち得たのと同じことなんだと思う。つまり、人間の値打ちはカーストの問題ではないと言い切ったわけで、創価学会の関西などへの切り込みにも、基本にそういうところがあると思うよ。日本の東と西で、中世以来の文化的背景の違いというのは、未だにあるんだよ。

――去年、『ユリイカ』で西原理恵子と対談した時もその話になりましたよ。西と東、って未だに違う、でもその違いってやつがもう東京の人、少なくとも東京的なるものの中にいるとわかってもらえないらしい、ってことでした。彼女は西南日本の、それも海洋民というか漁村系のカルチュアを背景に出てきてるわけで、まさに近世以来の差別だの何だのの蓄積の上に現れる何ものか、を身近に見聞きして育ってきているわけですよ。それが何なのか、言葉としてわかんなくても、皮膚感覚として「違い」がある、ってことだけはわかっている。
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 東京は人の動きに流動性があるんだよね。社会階層的には、年収格差に所属しているかもしれないが、でも、地域には所属していない。だから、「うちの父ちゃん、稼ぎがないんだよ。がまんしな」で取りあえずすむんだけど、関西はもっと、根が深い。単にカネがない、貧乏だ、ってことだけにとどまらず、「あいつのじいちゃん、○○村の出じゃないか」と詮索される。

 それに付随して、被差別部落にも、それなりのコミュニティが、以前はまだ生きていたと私は思う。

 たとえば、農村部落なら食いぶちは農業だった、農村部落は基本的に小さいから、三戸、五戸の集落が田植えのときは互いに手伝いに来て、小さな田でも手伝う慣習があったはずだ。困っているときの相互依存体制もある。都心部は規模が大きくなるから別だけど。ところが、昭和三十年代頃になると、それがだんだん崩壊するように思える。たとえば、隠れて都会に働きに行くとか。そうすると、小部落同士の助け合いもなくなってくる。孤立してどうしようもなくなってくる。学会などが求心力を持っているのはそういう事情だと私は見ている。宗教団体として膨張しつつ、共同体の崩壊を各地、各階層で補てんしてもいたんだよ。

 表には見えてこない社会問題を、食い止め、解消する人が必ずいたはずで、日本の戦後について言えば、その一つは共産党であり、また学会だったのだ。社会といっても、個々人がどこかで横につながっていないと成り立たない。たとえ実利で考えても、行政にどう交渉するかは、個々人の能力を越えることだった。昔は村長や長老がいて「おれが行ってやろう」、「お願いします」と、彼を押し立てていく。「ここの堤防、いつも決壊して困るから、直して下さい」と訴え、行政が「じゃ仕方ない。やるか」と、動いていたわけだ。